夢宵いの詩~勝小吉伝

あばた文士

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小吉の幼少期(六)~小三郎の過去

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 今から五年ほど前、小三郎は二十四歳。まだ物乞いではなかった。れっきとした武士だった。剣の腕は道場でも一、二を争うほどで、また役職もあった。愛人もいた。名はお松といった。小三郎の前途は明るいかに思えた。
 神田明神といえば、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民に尊崇を集めた神社である。一之宮に大己貴命、二之宮には少彦名命、三之宮には遠く平安時代に、朝廷に謀反して討伐された平将門が祭られている。
 小三郎は五年ほど前の正月、この神田明神に、松と共に初詣に赴いたことがあった。小雪が舞う中、二人して簡単な御祈りをすませた後。
「何を祈った?」
 と小三郎は、ややかすれた声で松にたずねた。
「それは」
 しばし松は沈黙した。なにやら照れている様子でもあり、はにかんでいるようでもあった。
「うち、早く子供がほしい」
 と、ようやく小さな声でいった。
 小三郎は返す言葉が中々見つからず、しばし二人の間に気まずい間があった。やがて松が沈黙をやぶった。
「小三郎さんは、何をお願いしたんですか?」
「俺は……」
 もともと口下手な小三郎は、それ以上なかなか気のきいた言葉がでなかった。思わず真顔で、お松の顔を見てしまった。ひらひらと音もなく降り続ける粉雪の中、もともと華奢なお松は、粉雪よりも儚げに思えた。
「俺は、お前がほしい」
 相変わらず真顔のまま小三郎がいったので、松は思わず、ふき出してしまった。
「どうしたんですか急に?」
 突然、小三郎は松を強く抱いた。しばしお松は何がおこったかわからなかった。しかしやがて、沸々と胸の奥から込み上げてくるものがあった。
「ずっと離さないでいて、うちのこと」
 と、声を震わせながらもいった。


 その頃、小三郎は本所にある比較的大きな屋敷で、三つ年上の兄・源太郎と、年老いた女中・豊の三人で暮らしていた。両親は小三郎が幼い頃、すでに世を去っており、兄弟二人で支えあって生きてきた。ところが源太郎に縁談があり、三つ姉さん女房の妙を嫁にむかえた。いずれもすでに一度、妻と夫に死に別れての再婚だった。この縁談が兄弟の不幸の始まりだった。
 

 妙はその名のとおり奇妙な女だった。背丈は高いほうで、切れ長の眼をしていた。琴・三味線の名手でもあり、そして碁を打つと、源太郎も小三郎も相応の腕ではあったが、妙にはまるで歯がたたなかった。
 その眼光の奥には、限りない力が宿っているかのように思え、華奢な女ではあったが、小三郎が見たところ例えば松のように吹けば飛ぶような、か弱いタイプの女ではない。かなり芯が強そうに思え、中々にずる賢く、またしたたかな女にも思えた。それがまたこの女の怪しい魅力でもある。そしてなによりも妙は二筋縄でも三筋縄でもいかない、とんでもない男好きだったのである。
 源太郎は生まれつき体が弱かった。貧弱な体格をしており、小三郎とは対照的に剣はまるで駄目。とてもじゃないが容姿端麗にはほど遠い人物であり、妙と並ぶと、弟の小三郎をもってしても、釣り合いのとれた夫婦には見えなかった。
 不幸な出来事は源太郎が遠方へ出張し、屋敷に妙と小三郎、それに女中の豊だけになった冬の日におきたのである。






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