上 下
122 / 242
第7章 流浪人とエルフの子

第122話 この一言に凝縮した

しおりを挟む

『……あとは、頼んだからね』

 不意に、親父の最期の言葉が脳裏によぎる。親父は、自分がこうなることがわかっていたのだろうか。だから、俺にこんな言葉を残したのだろうか。今となってはわからない。

 いろんな考えを巡らせているうちに、里についてしまった。

 親父の遺体を担いで里の中を歩いても、みんな何も言わなかった。その沈黙こそが、彼らの出した答えのような気がした。

 だから、俺も何も言わないで俺の母親が眠る場所まで親父を連れて行った。

 ――親父を埋葬できた頃には、もう空は橙色に染まっていた。

「ただいま」

 そう言って何食わぬ顔で帰ったつもりだったが、オリビアは俺を見て絶句した。

「……ジャンさんは?」

 おそるおそる尋ねるオリビアに、俺は黙って首を横に振った。

「……見つかんなかった」

 それだけ言うと、彼女は「そう……」とこうべを垂らした。

 しかし、彼女のことだから多分何も言わなくてもわかっていると思った。俺の泥だらけの手と親父の血が付着した服を見たら、考えられるのは一つだけだ。

「……つらい役目をさせて、本当にごめんね」

 そう言って、オリビアは俺の背中に腕をまわし、優しく抱きしめた。それが、初めて見せた彼女の涙で、俺が初めて彼女についた嘘だった。



 親父が死んでから、オリビアは飲み食いできないほど衰弱し、最後にはリオンを抱くことすらもできなかった。

 リオンが布団の上に乗るようになったのはその頃だった。俺も最初はオリビアの上に乗るリオンを引き離そうとしたが、オリビアのほうから「リオンのそばにいられるから」とそれを拒んだ。

 ――彼女の人生最期の日も、リオンは彼女の上に乗ってじっと母親を見つめていた。

「あんた……死ぬのか?」

 死にゆくオリビアに問いただすと、彼女は何も言わず、うっすらと笑った。

「ごめんね、リオン……ごめんね、ライザ君……」

 掠れた声で、オリビアは何度も俺たちに謝った。謝るのは、むしろ俺のほうなのに。

 皮肉なものだ。人間はたくさんのエルフを殺したが、彼女を殺したのは間違いなくエルフの俺たちだ。

 こんなところに来なかったら、もっと彼女は生きられただろう。けれども彼女は、最後までエルフを恨まず死んでいった。それが俺には理解できなかった。こんなにも里のみんなには虐げられ、あんなにも愛していた人を殺され、どうしてこの最期のひと時でさえ、彼女の心はここまで綺麗でいられるのだろう。

 彼女の息が絶え絶えになる。もう、彼女はリオンの重みですら耐えられなさそうだ。

 そっとリオンを下ろすと、彼は不思議そうな顔で俺を見ていた。幼い彼はオリビアが死ぬことがわかっていないのだろう。無垢で、哀れな弟だ。

 やる瀬なさが全面的に出ていたのだろうか、オリビアは最後の力を振り絞って、そっと俺の頬に手を伸ばした。

「……そんな顔、しなくても大丈夫」

 そうやって、彼女は優しく微笑んだ。自分の命は今まさに終わりを告げようとしているのに。俺にも、リオンにも、会えなくなるというのに。

 俺の頬に触れた彼女の手は、氷のように冷たかった。

 彼女の手を握ると、リオンも真似をして彼女の手のひらに小さな手を伸ばした。

 そんな俺たちを見て、オリビアは微笑ましそうに口角を上げた。だが、彼女の大きな瞳からは、大粒の涙が流れ出ていた。きっと、彼女も自分の「最期」を悟っていたのだろうと思った。

 彼女はもう目を開ける力も残っておらず、声だって囁く程度で今にも消えそうだった。それでも彼女が残す最後の言葉だから、俺は口を噤んだまま小さく頷いた。

 そして、彼女は静かに微笑んで、そっと俺たちに告げた。

「ライザ君……リオン……忘れないで……この世界は広くて……美しい……私が見た世界を……君たちにも、見せてあげたいくらいに――」

 ――それだけ言って、オリビアは眠りにつくように息を引き取った。

 動かない彼女をリオンは目をパチクリとさせながら見つめていた。そんなリオンの頭を優しく撫でながら、俺は後ろからそっと彼の背中を抱きしめた。

「……さよなら、母さん」

 無意識にこぼれたその言葉は、信じられないほど震えていて、とても情けなかった。

 ただ、どんなに視界が涙で歪んでも、眠るオリビアの安らかで優しい死に顔ははっきりと見えていた。

 ――これが、里に来た人間・オリビアと、彼女に運命を変えられた哀れな男たちの話。

 全てを話終えた頃には持っている煙草もほとんど灰になっており、体も夜風で完全に冷え切っていた。

 それでもムギトとかいう人間は、ただ黙って俺の話を聞いていた。

 そして最後まで聞いた奴は深い息を吐き、険しい顔で俺にこう言った。

「重てぇし、話がなげえよこの野郎」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……

karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。

『悪役』のイメージが違うことで起きた悲しい事故

ラララキヲ
ファンタジー
 ある男爵が手を出していたメイドが密かに娘を産んでいた。それを知った男爵は平民として生きていた娘を探し出して養子とした。  娘の名前はルーニー。  とても可愛い外見をしていた。  彼女は人を惹き付ける特別な外見をしていたが、特別なのはそれだけではなかった。  彼女は前世の記憶を持っていたのだ。  そして彼女はこの世界が前世で遊んだ乙女ゲームが舞台なのだと気付く。  格好良い攻略対象たちに意地悪な悪役令嬢。  しかしその悪役令嬢がどうもおかしい。何もしてこないどころか性格さえも設定と違うようだ。  乙女ゲームのヒロインであるルーニーは腹を立てた。  “悪役令嬢が悪役をちゃんとしないからゲームのストーリーが進まないじゃない!”と。  怒ったルーニーは悪役令嬢を責める。  そして物語は動き出した…………── ※!!※細かい描写などはありませんが女性が酷い目に遭った展開となるので嫌な方はお気をつけ下さい。 ※!!※『子供が絵本のシンデレラ読んでと頼んだらヤバイ方のシンデレラを読まれた』みたいな話です。 ◇テンプレ乙女ゲームの世界。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇なろうにも上げる予定です。

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

異世界でのんびり暮らしてみることにしました

松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

処理中です...