上 下
11 / 242
第1章 異世界《エムメルク》の歩き方

第11話 もう大ピンチ

しおりを挟む
 ゾクッと背中に悪寒が走った。この大きな独り言は、明らかに俺に向けて言っている。つまり、俺の存在に気づいているのだ。

「一人……いや、他にもいるな。これは……猫か?」

 魔物が舌舐めずりした音が聞こえる。そして、ゆっくり、ゆっくりと俺に近づいてくる。

 やばい。やばい。このままだと気づかれる。

 そうは思っているのに、足が震えてまったく動かなかった。まるで金縛りにあったように指一本も動かせない。

 だが、魔物は何もためらうことなく、俺に近づいてくる。

 そしてついに、魔物の足が俺の視界に入った。

「なんだこいつ、寝てるのかあ?」

  頭上から魔物の声がしたが、俺は反応をしなかった。こうなったら、死んだふりをするしかない。前々から熊に会った時もこうすれと言われている。死体だったらこいつだって相手にしないだろう。迷信? 知るか、もうこれしか縋るものがないのだ。

 必死に死体のふりをしている隣で、ノアが「にゃーにゃー」鳴いている。こいつはこいつで倒れた飼い主を心配している猫の真似でもしているのだろうか。

 お互い、どうにかしてこの状況を打破しようとしている。そんな俺たちをあざ笑うように魔物は俺の腹をつま先で小突いた。

「おら、起きろよ」

 魔物のつま先がスライムに突進された肋に当たる。奴が小突くたびに腹部に激痛が走るが、「動いてはいけない」と言い聞かせる。

 目をつぶり、声もあげず、ピクリとも動かず、奴が去るのを待つ。だが、もう痛みが治まらない。あと一回やられたら、今度こそ声が漏れてしまう。

 ――もういい加減やめてくれ!

 閉じた口で奥歯を噛み締めながら、俺はひたすら念じた。すると、頭上から魔物のため息が聞こえた。

「なんだ……死んでるのか」

 魔物のつまらなさそうな声が聞こえる。これはもしかして、本当に死んだふり作戦が効いたのか?

 はっ、ざまぁ見やがれ。このまま興醒めしてお家に帰って子供の面倒でも見てな、カンガルー野郎。

 勝利を確信し、心の中でほくそ笑む。

 だが、思惑通りに進んでいると思っているのは俺だけだった。ズルリと舌舐めずりした魔物が、ニヤリと笑ったような気がしたのだ。

「それなら……ぶっ刺してミンチにして食っても文句言われないよなあ……」

 魔物の低い声がする。それと同時に、ぞくりと背中に悪寒が走った。

 気づいたら、俺はバトルフォークを持ったまま起き上がっていた。

 バトルフォークを構えた先には、ビッグナイフを振り下ろした魔物がいた。奇跡的にナイフはフォークの先に挟み込まれた形で押さえられている。しかし、ナイフも奴の顔も近すぎてどうすればいいのかわからなかった。

 焦る俺をあざ笑うかのように、魔物の口角がニヤリと上がる。

「なんだ……やっぱり生きてるじゃねえか」

 口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。

 その鋭い眼差しで睨みつけられてくると心臓が鷲掴みされたように胸が痛かった。呼吸も浅くなる一方で、体も震えた。だが、そうすると奴にパワーで押し負けてナイフで切りつけられてしまう。けれども、今の俺にはこんな魔物を振り払える程の気力もパワーもない。

 それでも無理矢理ナイフを押さえていると、俺の肩にノアが乗ってきた。

「なんだよ、こんな時に!」

 今の状態ではノアに顔を向けることはできない。それはノアも承知のようで、俺に耳打ちするようにそっと呟いた。

「おい、隙を見て逃げるぞ」

「逃げるってどうやってだよ」俺も小声で返す。

「どうとでもいい。魔法でもなんでも使ってひとまず体制立て直せ」

 そんなこと言われたって、できたらとっくの前にやってるわ。それに、そもそも魔力がないから使える魔法がないし、あったとしても――……。 

 そう思ったところで、俺はハッと息を呑んだ。抑えたフォークの先の面はちょうど魔物の一直線上にある。面と奴の顔面は奴の息がかかるくらい近い。

 ――それならば、ひょっとしたら。

 ミスしたら死ぬ。でも、動かなくても死ぬ。

 もう俺の握力も限界だ。今も手の震えが止まらないし、いつフォークを落とすかわからない。

 やるしか、ない。

 息を吸い、力強くフォークの柄を握る。そして、怒鳴るように呪文を唱えた。

「『冷たい風』コルド・ウィンド‼︎」

 自分の手が冷たくなり、その冷気を伝ってバトルフォークがぼんやりと青く光る。

 魔物はすぐに警戒したがもう遅い。体を退く前にフォークの先から白い雪が出てきた。

 先程の粉雪より結晶が大きくなったが、こんな雪程度ではダメージは喰らわせられない。それはわかっている。

 俺の目的は、別のことなのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……

karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。

『悪役』のイメージが違うことで起きた悲しい事故

ラララキヲ
ファンタジー
 ある男爵が手を出していたメイドが密かに娘を産んでいた。それを知った男爵は平民として生きていた娘を探し出して養子とした。  娘の名前はルーニー。  とても可愛い外見をしていた。  彼女は人を惹き付ける特別な外見をしていたが、特別なのはそれだけではなかった。  彼女は前世の記憶を持っていたのだ。  そして彼女はこの世界が前世で遊んだ乙女ゲームが舞台なのだと気付く。  格好良い攻略対象たちに意地悪な悪役令嬢。  しかしその悪役令嬢がどうもおかしい。何もしてこないどころか性格さえも設定と違うようだ。  乙女ゲームのヒロインであるルーニーは腹を立てた。  “悪役令嬢が悪役をちゃんとしないからゲームのストーリーが進まないじゃない!”と。  怒ったルーニーは悪役令嬢を責める。  そして物語は動き出した…………── ※!!※細かい描写などはありませんが女性が酷い目に遭った展開となるので嫌な方はお気をつけ下さい。 ※!!※『子供が絵本のシンデレラ読んでと頼んだらヤバイ方のシンデレラを読まれた』みたいな話です。 ◇テンプレ乙女ゲームの世界。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇なろうにも上げる予定です。

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

異世界でのんびり暮らしてみることにしました

松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

処理中です...