群青の軌跡

花影

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第5章 家族の物語

第38話

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 カイを見送った後、朝食を済ませた俺とオリガは見習い候補の子供達の勉強風景を見学させてもらった。算術はもう基礎を卒業して難易度の上がった問題でも3人ともスラスラ解けるようになっていた。読み書きも上達し、俺達が来るのを知ってから書いたと言う手紙をもらった。字も随分上達したみたいだ。
 そしてその見学の後、子供達1人1人と面談した。農家の息子のディルクと孤児院出身のロルフは竜騎士を目指すことに非常に前向きだった。今日は見学していないが、武術の基礎を学ぶのが楽しいと口をそろえて言っていた。このまま順調に成長してくれれば、カイに続いてミステル出身の竜騎士が誕生する。領主としては嬉しい限りだ。
 最後に唯一の女の子、アルベルタと面談する。俺が前面に出ては委縮して自分の考えを口に出せないだろうから、壁際に控えて全てオリガに任せることにした。彼女が何を望んでいるのか、何をしたいのか、じっくりと時間を取って聞き出すつもりだ。
「失礼します」
 緊張するのも無理もなく、彼女は少しおどおどとした様子で部屋に入って来た。本当は年の近いモニカやヤスミーンを同席させようかと提案していたのだが、当人が大丈夫だと言ったので1人で来てもらった。
「お茶を飲みながらゆっくり話をしましょう」
 オリガが優しく声をかけてアルベルタを迎え入れ、席を勧める。手ずからお茶を淹れ、気持ちをほぐす様に他愛もない会話を始める。俺は壁際の椅子に腰を下ろしてそのやり取りを眺めていた。
「本が読めるのが嬉しいです」
 字を習い、本を読めるようになったのが嬉しいとはにかんだ笑みを浮かべる。仲が悪いわけではないが、男子2人とは好みも異なり、一緒に始めた武術の鍛錬はあまり得意ではないらしい。逆に座学は一番成績が良く、時間があれば書庫で本を読みふけっているらしい。
「武術が苦手ならば、無理に習わなくてもいいのよ?」
 竜騎士になるのを無理強いするつもりはない。人には向き不向きがあるのだから当然だ。それをオリガが伝えると、彼女は途端に泣きそうな表情となる。
「でも、竜騎士にならなかったらお母さんの所に帰らないといけないんですよね?」
 アルベルタの口ぶりからすると、母親の所へは戻りたくないらしい。彼女の母親は自分の子供を自分の為に利用するのは当然の権利と思っている。ここへ通わせるのを了承したのもすぐにお金が稼げると思ったからだ。だが、実際にはただの勉強で給料が出るのは何年も先の話。それならと目先の欲に駆られて商人の要求を了承したのだ。たった金貨1枚で。
 だが、その母親もまた、先の領主による目先の利益に囚われた領地経営の被害者だった。弱者は切り捨てられていたあの町はずれで、何の支援を受けられないまま生きてきたのだ。おそらく成人するかどうかぐらいでアルベルタを授かり、周囲の大人達がしていたように彼女を育てたのだ。
 母親が現在神殿に身柄を預けている。自立できるようそこで正しい一般常識を身に付けてもらっているが、その成果はあまりかんばしくない様だ。今の状態でアルベルタを母親の元へ帰すと、また、どこかへ奉公という名目で身売りさせられる可能性が高かった。
「そんな事は無いよ」
 アルベルタが思いつめている様にも思えてしまい、思わず口を挟んでいた。彼女は驚いた様子で俺を振り返り、オリガは苦笑している。存在をすっかり忘れられていたらしい。
「今、母親の所へ帰してしまうのは君が危険と判断して、俺達が君を保護している。だから、心配せずに今は学びたいことを学べばいい。欲を言えば武術は無理でも護身術の類を身に付けていて欲しいかな」
「護身術?」
「何かあった時に自分で自分の身を守る方法だよ。ちょうどいい機会だからヤスミーンやモニカと一緒に初めてみればいい」
 俺の提案は魅力的だったらしく、彼女の顔がほころぶ。やりたいことはまだ思いつかないみたいだけど、勉強は続けていく事で話がまとまった。もしかしたらこのまま侍女として仕えてもらう事になるかもしれない。



 午後からは俺は郊外の農家、オリガは町中の視察と別れて行動した。エアリアルを耕作地の外れに降ろし、出迎えてくれた農家の代表に案内してもらう。香草は既に刈り取りが終わっていたが、その跡地と来年拡張する畑の予定地も見せてもらった。この分だと、農作地へ割り当てる労働者の数も増やすことになる。町中での作業も限界が来ているので、受入れ先が増えるのもありがたい。
 その後は乾燥させた状態の香草を保存している倉庫も見学する。一部はすでに俺も受け取っていてその出来は確認済みだし、保存の方法も問題ない。何年か続ければ質も向上していくはずだ。
 燃料として使った後の飛竜の糞の肥料は他の作物にも使っているようでとても好評らしい。滞在する飛竜が増えれば、それだけこれも確保できるというと、香草づくりの励みになると言っていた。このまま頑張って香草の質を上げ、ミステルを飛竜が集まる町にしていけばきっと豊かになる。
「今のところ問題ないから来年も予定通り進めてくれたらいいよ」
 俺が下した評価に農家の代表はホッとした表情を浮かべる。来年も安定した収入を得られる約束を領主直々に確約してもらえたのだから当然だろう。
 帰り際、譲ってもらった香草をエアリアルに渡すと、思い切り吸い込みすぎたのか盛大なくしゃみをして周囲の笑いを誘っていた。同行したレオナルトの相棒も香草が気に入ったらしく、その香りをしきりに嗅いでいる。農夫達も飛竜が香草を好むと言う話は半信半疑だったらしいが、これで少しは証明できたかもしれない。来年以降も引き続き頑張ってくれると確約してくれたので、俺も安心して町へ戻った。



 夕食は軽めに済ませた俺は、シュテファンとザムエルをお供に、お忍びで夜の町へ出かけた。護衛としてレオナルトもついて来ようとしたのだが、あの店は狭いし彼にはまだ早いと判断して留守番を命じた。腑に落ちない様子だったが、今回ミステルに同行してくれているコンラートとマティアスが気を利かせてどこかへ連れ出していた。
 こうして夜のミステルを歩くのも久しぶりだ。酒場へ繰り出している労働者と思しき男達の姿が随分と増えている。景気が良くなっている証拠だろう。ザムエルが言うには喧嘩も増えた事だったが、許容の範囲内に収まっているらしい。
「邪魔するよ」
 いつもの様に路地裏の店に入っていくと、既にブルーノが来ていて飲んでいた。俺がその隣に座ると、何も言わなくても店主が俺の好みの酒と酒肴を出してくれる。それどころかシュテファンとザムエルにもそれぞれ異なる酒と酒肴が用意されていた。
「相変わらず忙しいみたいだな」
 ブルーノが酒杯を傾けながらそう声をかけて来る。
「何だか目を付けられちゃったみたいでね。大変だよ」
「大変だと言いながらそれでも卒なくこなしてしまうから向こうも躍起になるんじゃろう」
 どこから話を聞いたか知らないが、相変わらず耳が早い。まあ、もしかしたらザムエル辺りが話をしているのかもしれないが。
「相変わらずうまいな」
 出された酒肴を一口食べて思わずそう観想を漏らすと、無口な店主の口元がわずかにほころんでいる。どうやら喜んでいるらしい。どうやって調達しているのか知らないが、珍しい酒も出て来る。何だかいつもより特別な気がするけど気のせいだろうか? だがそんな事よりも美味しい酒と酒肴を堪能する方に意識が向いていた。
「ワシは引退することにした」
 しばらく無言で酒杯を傾けていると、おもむろにブルーノがそう言った。聞き間違いではないかと振り向くと、彼は黙ったままうなずいた。急にそんな事を聞かされてどうしていいか考えがまとまらない。
「後はどうするんだ?」
「後継は決まっておる」
 慌てて口に出した質問の答えに少しだけホッとする。後継が決まっているなら混乱は最小限で済むだろう。後はその後継者もブルーノの様に接しやすい相手だと非常に助かる。
「その後継者は誰ですか? 挨拶をしておきたいんだけど」
「目の前にいるだろう」
「え?」
 店主かと思って顔を見ると、彼は静かに首を振る。シュテファンは彼の性格からすればそんな事は引き受けない。残るはいつの間にかここの常連になっていたザムエルか? だが、彼も首を振る。
「お前さんじゃよ」
「へ?」
 俺の慌て様にブルーノは愉快そうに肩を震わせて笑っている。あまり表情に出さない店主も顔を綻ばせているし、ザムエルは耐えきれないと言った様子で腹を抱えて笑い出す。
「いや、でも、何で?」
「前の領主は領民をただ税金を巻き上げる対象としか見ていなかった。荒れていく故郷を見ていられなくて、ワシはこの町を少しでも住みやすくしようと活動した。狡猾な商人と渡り合えるよう話術を鍛え、力づくで全てを奪って行く兵士に対抗できるように体も鍛えた」
 俺の質問にはすぐには答えず、ブルーノは昔話を始める。詳しい話を聞くのは初めてで、俺は大人しく彼の昔話に耳を傾けることにした。
「最初はそんな事をしても無駄だと周囲に呆れられた。何しろかみさんが真っ先に子供を連れて出て行った。まあ、当然じゃな。兵士に目を付けられて真っ先に狙われるのはワシの家族だからな。それでもそんなワシに味方してくれる仲間が次第に増えて、10年も経つ頃には今の組織の基礎が出来上がっていた」
 悪徳な商人から金を巻き上げたり、孤児たちに住処を提供したりしていたらしい。カイたちがアジトに使っていた場所も元は彼の隠れ家だった場所らしい。
「だが、享楽にふける領主の所為で税は重くなっていく一方だった。人の流出は防げず、町は荒んでいくばかりだった。心が折れかけた時に内乱が終結して領主が更迭された。これで町は変わると喜んだが、国の管理下に入っても生活は楽にはならなかった」
 当時管理を任された代官はブルーノ達を信用できず、逆に排除しようとしたらしい。だから彼等は住民から信用されず、町の復興が思うように進まなかった経緯があった。
「だが、お主が領主になってそれが全て変わった。たった2年だ。ワシらが10年、20年かけても出来なかった町の復興をお主は短期間でやり遂げたのだ」
「国の支援があったからですよ」
「いや。お主のおかげだ。お主が率先して体を動かし、思い付きを形にしていったおかげで住民の気持ちを動かし、町は変わったのだ。当初描いていたワシの夢が実現した。ならばここら辺が引き際ではないかと思ったんじゃ」
「でも、だからと言って俺が後継というのは……」
「皆、納得しておる。古株はワシと同様に引退するが、若い者はお主についていきたいそうだ。兵士としてこき使ってやってくれ」
 まあ、願ってもいない申し出だ。こちらに兵団の拠点を移したが、使える兵士はまだまだ少ない。この辺の地理に明るい彼等が加わってくれるのは本当に助かるし、心強い。
「でも、いいのか、本当に?」
「実質、組織は解散じゃ。後は領主様の良い様にしてくれ」
「分かった。そうさせてもらう」
 ザムエルはこの話を既に知っていた。ブルーノの部下達を既に配下として訓練を始めているらしい。彼等が正式に加わったことで、今後の領地運営も楽になりそうだ。
「まあ、もう会う事は無いじゃろう。一領民として町の発展を見届けさせてもらおう」
 ブルーノはそう言うと、店を後にした。俺はその背中に町の発展を改めて誓った。
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