群青の軌跡

花影

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第5章 家族の物語

第21話

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「今日は無理か……」
 翌朝、日課の鍛錬を終えた俺は空を見上げていた。まだ完全に雲に覆われている訳ではないが、いつ雨が降り出してもおかしくない天気だ。今日は郊外へ出かけるつもりだったが、この様子だとそれは難しいだろう。残念だが今日の予定は変更だ。そこへサイラスが朝食の準備が整ったと呼びに来たので、流れる汗を拭うと屋内へ戻った。
 一旦着替えて食堂へ行くと、既に父さんと母さんは席に座っていた。昨夜は留守番で機嫌が悪かったカミルだったが、今朝はみんなが揃っている事に喜んでいる。オリガはそんな息子を子供用の椅子に座らせていたところだった。
「ゴメン、遅くなった」
「構わないよ。私達も今来たところだからねえ」
 母さんはそう言いながら向かいに座るカミルをあやす様に笑いかけている。カミルはそれが嬉しいらしく、声を上げて笑っていた。俺達も席に着き、ダナシア様に祈りを捧げてから食事を始めた。
「今日は遠出はやめておいた方が良いな」
「そうかい? それは残念だねえ」
 今日は郊外にある庭園へ出かける予定だった。この時期は特に色とりどりの花が咲き乱れていて、貴族に限らず庶民も小旅行の感覚で遊びに行く場所だ。俺もオリガと休みが合えば遠乗りも兼ねて良く訪れている。
 カミルがまだ小さいので、小さな体に負担にならないように、朝食後に出立し、昼過ぎまで向こうで過ごしたら夕方の早い時間までに帰って来るという予定を立てていた。
「それでは、本日は如何されますか?」
 給仕をしながらサイラスが訪ねる。こういうことも想定していくつか予定を立てていたが、雨が降るのであればもう出かけるのは難しい。外出を諦め、明日の昼にアジュガへ帰るために皇都を出立する両親やビアンカ達の送別会を盛大に行い、その準備を朝からすることにした。
「それじゃあ、私も手伝おうかね」
 元々出かけていても夜には行うつもりではいた。その準備はリタや応援に来てくれている侍女達に一任するつもりだったのだけど、母さんもオリガも腕を振るうと張り切っている。それなら俺は足りないものを買い出しにでも……と思ったのだが、子守りを任された。まあ、息子と触れ合える貴重な時間だ。頑張ろう。



「きゃぁぁぁ!」
 先程まで俺が鍛錬をしていた中庭に子供達の元気な声が響いている。朝食後、まだ、雨は降りだしていなかったので、それまでは外で遊ばせようとカミル、フリッツ、ベティーナの3人を連れて出ていた。始めたのは鬼ごっこ。鬼は当然俺で交代は無し。ひたすら3人の子供達を追いかけた。捕まえたら高い、高いをして降ろし、また追いかける。これ、鍛錬よりも案外きつい。
「あー、ちょっと休憩」
 底なしの子供達の元気に付いて行けなくなり、俺はウーゴが手入れをしてくれている芝生の上に寝ころんだ。上がった息を整えていると、カミルがポスンと俺の腹の上に載って来た。それにつられてフリッツとベティーナも寄って来て俺の顔をつついてくる。
「捕まえた」
 頃合いを見計らって3人同時に捕まえて抱えあげ、その場でぐるぐる回ると、子供達はまたキャアキャアと騒ぐ。その様子を庭先に置いてある椅子に座った父さんが目を細めて眺めていた。

 ポツッ……。

 顔に水滴が落ちて来る。見上げると暗い雲が立ち込めていて、雨が降り出していた。
「お外はおしまい。中に入ろう」
 子供達は不服そうだが、こればかりは仕方がない。父さんも椅子を片付けて屋内へ入って来た。
「旦那様、湯あみの準備が整ってございます」
 あれだけ走り回ったのだから当然、俺だけでなく子供達も汗だくだ。気を利かしたサイラスが湯あみの準備を整えてくれていた。どうせなら子供達も一緒に汗を流してやろう。でも、ベティーナは女の子だし、俺が恥ずかしいのでビアンカに任せた。
 湯あみが済み、軽い昼食を摂った子供達はすぐにお昼寝を始めた。こうなる事は分かっていたので、送別会は子供達が起きてから始めることになっている。俺は引き続き子守りを頼まれていたので、子供達の傍らに寝ころんで本を読んでいたのだが、いつの間にか一緒になって寝てしまっていた。
「とぉー」
 頬をペチペチと叩かれて目を開けると、カミルが俺の体の上に乗っていた。続けて2度体に衝撃が来て、フリッツとベティーナが俺の顔を覗き込んでくる。この2人は勢いを付けて飛び乗って来たのだ。
「ご機嫌だね、みんな」
 3人にまた遊ぼうと誘われるが、彼等が起きたのなら送別会が始まる。鬼ごっこは出来ないが、別の楽しい事が始まる。俺の上に乗っかっている子供達を降ろして体を起こすと、控えめに扉が叩かれてサイラスが入って来た。
「会場の準備が整ってございます」
「分かった」
 立ち上がって大きく伸びをする。カミルがまとわりついてくるので抱き上げ、みんなで食堂に向かった。
「遅くなってごめん」
「子供達の相手を全力でやってくれていたんだろう? 疲れて当然さ」
 既に父さんと母さん、そしてオリガがお茶を飲みながら待っていた。遅くなったことを謝ると、笑いながら許してくれた。
「まんま」
 テーブルの上には所狭しと料理が並んでいて、食欲をそそるいい匂いが漂っている。カミルは我慢できない様子でテーブルに駆け寄ろうとしていたが、それをどうにか押しとどめた。
「じゃあ、みんなを集めて始めようか」
 今日は慰労会も兼ねている。明日皇都を発つビアンカやガブリエラ、モニカとヤスミーンが主役だが、他の使用人達も参加は自由だ。レーナやブランドル家から応援に来てくれている侍女達の姿もある。
「みんな、色々協力してくれてありがとう。そして、これからもよろしく」
 堅苦しい挨拶は無し。それぞれが好きな飲み物を用意して乾杯し、送別会は始まった。



「ビアンカ、今まで本当にありがとう。助かったよ」
「いえ、微力ながらお力になれて良かったです。逆に貴重な経験も沢山させていただいて感謝いたします」
「そう言ってもらえると気が楽になるよ」
 本当であれば、ヨルンとの離縁が成立した時点で自分の店を始める予定だった。しかし、俺達がカミルを引き取ると聞き、その計画を中断して乳母役を引き受けてくれたのだ。
「お店の事も旦那様が御助力して下さったおかげで理想の形に作ることが出来そうです」
「いや、俺の方がお礼を言いたいくらいだよ」
 ビアンカが始めるのは小さな食堂。「踊る牡鹿亭」の様な名物料理がある料理屋を営むのが子供の頃からの夢だったらしい。ヨルンの浮気問題を経てミステルの事情を知り、その考えが少しずつ変わっていったと言う。
 自分の実家は裕福で頼ることも出来るが、世の中には頼れる実家を持たない人もいる。子供を抱えたまま仕事をするのは困難で、思い余って子供を手放すこともある。ミステルで起きていたことがまさにそれだった。そこでビアンカは子供を抱えた母親でも働ける場所を作りたいと思う様になったらしい。
 ならばミステルで店を開いてほしいと頼むと、ビアンカも快《こころよ》く承諾してくれたので、アヒムやブルーノにも助力を頼んでいた。ただ、俺が支援しすぎても良くない。先ずは小さな店から始めて軌道に乗ったら規模を大きくしていく事になる。
「大変だろうけど、頑張って。応戦しているよ」
「ありがとうございます」
 雇う人員は向こうに戻ってから選び、早ければこの秋から営業を始める手はずを整えてある。可能な範囲で支援をしたので、後は彼女の手腕にかかっている。成功を願って改めて乾杯し、彼女との会話を終えた。


 ビアンカと話を終えた後、侍女見習3人組に目がついた。楽しそうに話をしながらお菓子をつまんでいる。あれはオリガのお手製のはずだ。後で取りに行こう。
「手紙を書くね」
 レーナは皇都に残るが、ヤスミーンとモニカがアジュガへ帰る。やはり2人には皇都での暮らしは会わなかったのか、サイラスを通じて早々にアジュガでの勤務を希望していた。それでも休みの日に出かけるのは楽しかったらしく、家族にたくさんのお土産を買いこんだらしい。
 一方のレーナはミステルでの生活が生きているのか、この皇都でもあまり迷うことなく歩くことが出来るらしい。それに先日、侍女見習だけで近所に出かけたときにスリに会ったらしいのだが、彼女のおかげでそれを防ぐことが出来たのだと後から知った。何だか頼もしい。後は飛竜での長旅だが、それも何となくだが大丈夫そうだ。そんなわけで、オリガの専属侍女は正式にレーナに決まっていた。それでも当面はカミルの子守りが中心になりそうだけれど。
「カイさんには書かないの?」
「きっと喜ぶと思うよ」
「えっと……」
 ヤスミーンとモニカに冷やかされてレーナが赤くなっている。兄の様に慕っているのだと思っていたが、この反応を見る限りはどうも違うらしい。この小さな恋もそっと見守ろう。



「ルーク。渡したいものがある」
 程よく腹も満たされてきたところで、父さんと母さんが揃って俺の所へ来た。オリガも呼んでなんだかちょっと改まった様子で先ずは母さんから何かの包みを渡された。
「何かお礼をしようと思ってね、ずっと作っていたものがやっと出来たのよ」
 うながされて包みを開けると、それは飛竜の縫い取りが施されたタペストリーだった。
「これ、エアリアル?」
「そうさ。つたないものだけど、使ってくれると嬉しいね」
「もちろん、使わせてもらうよ。でも、お礼を言われるほど大したことはしてないよ?」
 何しろ仕事ばかりでほったらかしだった。慣れない場所へ連れて来てしまって、かえって申し訳なかった気がする。
「仕事が忙しいのは仕方ないさ。それに、ルークやオリガさんがどれだけ頼りにされているかもよくわかったしね」
「母さん……」
「それに、この年になって新しい体験が出来るなんて幸せなことだよ」
「母さんの言う通りだ」
 父さんも母さんに同意してうなずく。そして父さんも何やら包みを俺に差し出した。
「これはワシからだ」
 受け取るとズシリと重い。慎重に包みを開けると、それは細かい細工が施された鉄製のドア飾りだった。アジュガでは各家が趣向を凝らしたドア飾りを玄関扉に飾る風習がある。俺の実家にも金物職人の象徴である槌をあしらったドア飾りがかけられている。そして、父さんから送られた物には、翼を広げたエアリアルがあしらわれていた。
「お前とエアリアルは一心同体だろう。だからこれが一番ふさわしいと思った」
 ウーゴが用意した工房で何かをしていると思ったら、これの仕上げをしていたらしい。そのおかげで納得のいくものが出来上がったらしい。
「ありがとう……」
 2人の気持ちが嬉しくて胸が熱くなる。2人に改めてお礼を言い、そしてすぐにドア飾りを玄関に飾ることにした。雨も小雨になっていたので、みんなでぞろぞろと表に出て、扉に贈られたばかりのドア飾りを取り付けた。エアリアルの姿が何だか誇らしい。こうして俺達に新しい宝物が出来た。ちなみにタペストリーはオリガと相談して、居間の一番目につく場所に飾ることにしたのだった。
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