群青の軌跡

花影

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第3章 2人の物語

閑話 サイラス1

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サイラス君のお話も長くなりそうな予感……。



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「サイラス先輩!」
 本宮に勤めるのもあと10日余り。引き継ぎもほぼ完了し、お世話になった方々への挨拶回りをしている所へ声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは新人の頃から指導してきた後輩侍官達だった。
「どうしましたか?」
「本当に……辞められるのですか?」
 今更な質問だった。辞めると決まった時に十分説明したのだが、まだ納得出来ていないのだろうか。
「その件に関しては十分に説明をしたはずですよ」
「ですが、納得ができません」
「そうです、先輩が悪いわけではありませんのに……」
 困ったものです。納得いかないと言われても、彼等の発言で左右されるような事案ではないのだから。
「決定事項です」
 心配してくれる相手に冷たい様にも思えるが、そうきっぱりと言い切ると仕事に戻る様にうながした。ちょうど同僚が彼等を呼んでいる。行くように促すと、彼等は渋々と言った様子で引き下がってくれた。
 本当に困ったものです。この度発覚した反乱計画にしゅうとが加担していた。極刑を言い渡されてもおかしくないほどの重罪だ。そのような重罪人を身内に持つ者が、国の中枢である本宮にいてはならない。強い口調で上司にそう告げられ、自分も納得して辞職に同意した。だから、彼等がいくら納得できなくても、いかに自分を説得しようにもくつがえることはもうない。
「サイラス侍官」
 この日の挨拶回りが終了し、帰宅しようとしたところで誰かに呼び止められる。またかと思いながら作り笑いで振り向くと、ブランドル家の家令セバスティアン氏だった。思ってもいない相手で、正直に言って驚いた。侍官となって習得した特技である作り笑いがひきつるほどに。
「私に何か御用でしょうか?」
「我が主がサイラス侍官に話があると仰せです。お時間の都合がよろしければお付き合い頂きたいのですが」
 ブランドル公直々のお呼びである。断る理由などなかった。帰っても特にすることが無く、ここ最近は帰宅しても暇を持て余しているので、こころよく応じることにした。
 案内された先はブランドル公の執務室だった。驚きつつも中に入ると、部屋の主と共にサントリナ公が自分の到着を待っておられた。
「忙しいのに呼び出してしまって済まないね」
 ブランドル公はそう仰ると、自分に席を勧めて下さった。セバスティアン氏が呼びに来てくださった事から判断すると、今回は私的なご用件なのだろうと察し、緊張しながらも勧められるまま席に着いた。
「辞めると聞いたが、この後の事は決まっているのか?」
 単刀直入にご用件を切り出された。実のところ、今後の身の振り方はまだ決まっていない。強いて挙げるならば所領で後始末をしている妻を手伝いに行くくらいだが、妻の親族から疎まれている自分が行っても果たして役に立つかどうかはなはだ疑問が残る。出来る事と言えば生まれたばかりの息子の世話くらいだろう。
「特に決まってはいません。落ち着いたら地方で侍官の職を探すことになるとは思います」
 自分の答えにブランドル公とサントリナ公は一瞬顔を綻ばせた。何だろう、なんか悪だくみに引き込まれているような錯覚を覚える。
「実はだな、この度婚礼を挙げるルーク卿に陛下から屋敷が下賜される運びとなった」
「そこでだ、君には彼の家令として働いてもらいたいのだ」
 お2人からの要望に思考が停止する。そして言われたことを頭の中で反芻し、ようやくその内容を理解した。
「自分が……ルーク卿の……」
 先の内乱では言うに及ばず、この度発覚した内乱計画を未然に防いだ立役者であり、同時に発生した女王の行軍も足止めして被害を最小限に抑えたまさにタランテラの英雄である。それでいて決しておごる事のない彼は主として使えるには申し分が無いお方だ。
 侍官としてこれまでも幾度も担当し、10日後に皇都に戻って来られる彼を担当するのが最後の仕事と決めていた。二つ返事でお受けしたいところだが、侍官と家令では勝手が異なってくる。果たして自分にそんな大役が務まるだろうか……。
「当初は我が家から派遣しているヨハンをそのまま家令に据えようと思っていたのだが、本宮のオルティス殿の補佐に回ることになってね。公になるのは秋だが、ルーク卿がアジュガの領主に任命されることだし、信頼できる者を傍に置きたいと考えたのだよ」
 まるで世間話のようにブランドル公はさらりと機密事項を暴露された。え? ルーク卿がアジュガの領主?
「陛下はご自身が即位される時に任命されたかったご様子だった。しかし、あの当時ではまだ彼も上に立つ者としては経験不足。婚礼を機に贈るおつもりで計画を進めておられた。それが今回、内乱を阻止した上に女王の行軍を足止めすると言う手柄を立てた。ミステル領も加領し、団長と同格の地位も与えられる」
 驚きも冷めやらぬうちにサントリナ公もこれまでの内情を暴露して下さる。信用されている証なのだろうけれども心臓に悪い。今自分が聞いてしまっていいのだろうか? 冷汗が止まらない。
「そんな彼を今まで蔑んできた者達も認めざるを得なくなってくるだろう。更には己の利の為に彼にすり寄り、利用しようとする輩も出てくるはずだ。本当につまらないことでこの国に必要な人材を失ってはならない。そなたならばよからぬ企てを未然に防げると思い、声をかけさせてもらったのだ」
「ですが、私の力が及ばなかったばかりに舅は全てを失いました」
 再三忠告をしたのだが、舅は聞く耳を持って下さらなかった。途中で忠告を諦めなければあの企てに加担する事は無かったのではないかと今でも思うことがある。
「何もしなかったわけではあるまい? それにその助言を聞き入れなかったのは君の舅殿の責任だろう。ルーク卿ならそなたの話もきちんと耳を傾けてくれると思うのだが、違うかね?」
 諭すようにサントリナ公が言葉を添える。それは自分の心にじわじわと染み渡り、わずかに残った迷いを消し去っていった。
「そなたは侍官としておくには惜しいほどの才の持ち主だ。他国からの賓客のもてなしをそなたに任せておけば、どのような難しい交渉もすんなりと話が進む。そなたのおかげで今までどれだけ助けられた事か……」
 国の中枢をになっている方々から賛辞を贈られ、胸が熱くなる。自分がやってきたことが間違いではないと、そう認めていただけたのだ。
「そのように言って頂けて本当に嬉しいです」
「実のところ、惜しいのだよ。優秀な外交官を失うのと等しい損失だ。だが、このまま留まってもそなたの為にならない。辞めるのであれば今後のこの国の為にも彼に仕えてもらえないだろうか?」
 恐れ多いことにブランドル公とサントリナ公に頭を下げられる。そんなことしていただかなくても既に心が決まっていたので、精一杯勤めさせていただくと返答した。尤も、直接面談をして雇って頂けるかはルーク卿次第になるらしいのだが、自分が採用されるのはほぼ間違いないだろうと保証して下さった。
 その後は細かい打ち合わせをし、帰宅したのは深夜となった。気分が高揚したまま妻に新しい職を紹介してもらえた旨を綴った手紙を書いた。数日後届いた返事には簡単に「健闘を祈る」とだけ書かれていた。彼女も忙しいらしい。



 ルーク卿が皇都に来られるまでの間、セバスティアン氏から家令の基礎を学ばせていただけることになっていた。時間が無いので焼き付け刃となるのは仕方がない。それでも新しい主の為、出来る限りの事をしようとセバスティアン氏の厳しい指導に耐えた。
 そしてあっという間に時間は過ぎ、ルーク卿が皇都へ到着される日を迎えた。侍官として勤める最後の日でもある。到着を上司であるアスター卿の元へ報告しに行った彼を、アスター卿の執務室まで迎えに行った。
「お部屋とお着替えの準備を整えてございます」
「ああ、ありがとう」
 いつもと変わらず柔らかい笑みを浮かべて応じて下さる彼は、以前に比べて随分と痩せておられた。女王の足止めには成功したが、命にかかわるような大怪我をされたと聞いている。元気なお姿に安堵し、声が詰まりそうになる己を叱咤して平静を勤めた。
 しかし、客間に案内して湯を使って頂き、お支度のお手伝いをしている際に体中に残る傷跡を目の当たりにすると感情を抑え切ることが出来なくなってしまった。それをルーク卿に気付かれてしまい、気遣わせてしまった。最後の最後で粗相をしてしまい、大いに反省しなければならない。謝罪すると、腑に落ちないご様子だったが快く受け入れて下さった。やはりこの方は素晴らしい人間性の持ち主だと再認識したのだった。
 お支度が済み、時間に遅れることなく送り出すことが出来た。今宵は北棟での私的な晩餐会に招かれておられた。お戻りになられた時には夜も随分と更けていて、陛下や皇妃様と久しぶりに歓談出来て楽しいお時間を過ごされたご様子だった。
 お屋敷をたまわるお話も出たとかで随分と困惑されておられるが、嫌がってはおられないご様子。内乱終結直後から宿舎として使っていたお屋敷だったので、愛着も沸いていたと本音を漏らして下さった。実はその辺も陛下の策略の内だったと、ブランドル公やサントリナ公から聞いていた。
「今日はもういいよ。また明日」
 寝支度が整ったところで部屋を退出する。大抵の事はご自身でこなされるので、よほどのことが無い限りは夜中に呼ばれる事は無い。それでも最後の仕事を全うするべく、控えの間で不寝番を勤めた。
 そして翌朝、共に朝を迎えられたオリガ嬢の分と合わせて朝食の準備と身支度のお手伝いをし、お2人を送り出して侍官としての最後の仕事を終えた。そして手が空いていた仲間に見送られ、見習いの頃から合わせると10年近い歳月を勤めた本宮を去ったのだった。
 そしてブランドル公との手筈通りその翌日、ルーク卿が賜ったお屋敷に伺《うかが》った。私服姿の自分を見て、彼は随分と驚いていたが、当然だろう。前日まで侍官として本宮でお世話をしていたのだから。最初から自分が候補だと言うと固辞されるだろうからと今日まで伝えるのを控えていたのだ。
「え? 我が家の家令候補が来るって聞いたんだけど?」
 困惑するルーク卿とオリガ嬢に侍官を辞めざるを得なかった経緯を説明すると、どうにか納得して下さった。それでもルーク卿は自分に雇われていいのかと念押ししてきた。あまりにもご自身を卑下されるので、自分の気持ちを率直に伝えた。
「貴方様はこの国を救った正真正銘の英雄です。これからもこの国にはなくてはならない存在です。それでも驕ることなく他者への労りを忘れない、そんなお方にお仕えできるのはこれ以上ない喜びです」
 私の返答に照れておられるのかルーク卿の顔が心なしか赤くなっている。それでも自分の熱意は伝わってくれたようで、家令として雇って頂けることになった。そしてその場でセバスティアンさんの意見を聞きながら契約を交わしたのだった。
 その夜もまた妻に手紙を書いた。正式に家令として仕えることが決まった事、妻と息子も一緒に暮らせる事等を書いた。彼女は喜んでくれるだろうか? 忙しいらしいから返事はまた一言だろうか? そんな事を考えながら書簡筒に封をしたのだった。

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