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第3章 2人の物語
第33話
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メリークリスマス!
今年最後の更新です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ルーク・ディ・ビレア、タランテラ国主エドワルド・クラウスの名において、本日、この時よりそなたをアジュガ地方の領主に任じる」
「へ?」
陛下の宣告を理解できずに固まっていると、広場から大歓声が沸き起こる。それでようやく俺は我に返った。
「おぉー!」
「ルークが領主様だって」
「バンザーイ」
天幕の外へ視線を向けると、住民達だけでなく雷光隊の面々まで一緒になって喜んでいる。なぜ、お前達まで喜んでいる? いや、それよりも俺が領主? そんな大役、俺には無理だ。とっさにオリガに視線を向けると、彼女も困惑している様子だった。
「俺には無理です!」
「この無能者には務まりませんぞ!」
俺とクラインさんの叫び声が重なる。先程まで気落ちして座り込んでいたのが嘘のようにクラインさんは激高し、慌てた文官達に止められている。しかし、陛下はそれを見事に無視して俺に向き直る。
「この町の事を誰よりも愛しているお前なら出来るさ」
「しかし、俺にはそんな知識は……」
「だからこそ選んだ引き継ぎの人員だ。本当はこの秋の式典で公表するつもりだった。予定が早まったが、彼等の下で学びながら覚えていけばいい。そもそもこの町は1人で運営するのではないのだろう? 今まで通り親方衆と意見を出し合って運営していけばいい」
俺は振り返ってウォルフに視線を向けると、彼は笑みを浮かべてうなずいていた。どうやら彼は事前にこうなることを知らされていたらしい。
「ですが……」
あまりに突然で俺はまだ混乱していた。俺が領主? 本当に? 何故? 色んな疑問符が浮かび上がる。しかし、返す言葉が浮かんでこない。
「ゼンケルの一件で領主にすると提案したが断わられた。自覚はあまりないみたいだが、内乱の前からお前は手柄を立て続け、私には返しきれない恩がある。お前が伴侶に選んだオリガにもだ。今後も我々はお前たち夫婦の手を借り続けることになるだろう。だからこそ、ここでちゃんと恩を返したい」
「陛下……」
俺としてはただできることをしてきただけのつもりだったのだが、陛下にそこまで恩を感じていただいていたとは思わなかった。それにしても7年前、ゼンケルを譲ると言う話は冗談だと思っていたが、意外にも本気だったことに驚いた。
「我々の感謝の気持ちだ。受け取ってくれ。それに、住民達の事を思いやれるお前ならいい領主になれるだろう」
跪いたままだった俺は改めて陛下を見上げる。男でも惚れ惚れとしてしまうその端正なお顔はいつになく優しい笑みを浮かべている。そしてもう一度オリガを振り返ると感極まった様子で涙を浮かべていた。彼女と視線を合わせ、うなずき合う。それから彼女と2人で陛下の前に跪き、改めて「謹んで拝命いたします」と頭を下げた。
しかし、それで納まらないのがクラインさんだった。アジュガの領主という地位はクライン家の悲願だったが、それを目の前で俺に授けられてしまったのだから。文官達を振り払い、俺につかみかかる。しかし、寸でのところでラウルとシュテファンに取り押さえられる。
「何故、お前なのだ! 無能者のお前が領主などわしは認めんぞ!」
激高するクラインさんのあまりの勢いに、俺は立ちあがってオリガを庇い、陛下は皇妃様を同様に庇っておられた。竜騎士2人がかりで抑えているにもかかわらず、ものすごい力で逃れようともがいている。
「あんた、まだそんな事を言っているのかい!」
声を上げたのは神殿でもクラインさんに詰め寄っていたおかみさんだった。それに同調する声が次々と上がる。その勢いは俺も気圧されてしまうほどだ。それでもクラインさんは負けていない。
「この無能者の所為で息子は全てを失ったのだぞ!」
ダミアンさんの生存をどのように伝えられたかは定かではない。しかし、ゼンケルでの経緯は幾度となく説明をしてきた。それでも未だにクラインさんはそれを受け入れることが出来ず、全てが俺の所為だと信じている。その様子に陛下もアスター卿も機嫌を著しく損ね、顔を顰めている。
「彼が無能だと言うのなら、この大陸にいる竜騎士のほとんどが役立たずということになるなぁ」
そこへ場違いなほどのんびりとした口調でアレス卿が割って入って来た。その背後には少し怯えた様子の姫様とティムが続いている。パラクインスはどうしたのだろうかと思っていると、ティムのブラッシングが気持ち良すぎて寝てしまったらしい。まあ、大陸を北上してはるばるタランテラまでやって来たのだ。彼女も疲れているのだろう。
「この者はそうでも言い続けていないと己の矜持を守れないのだろう」
「ああ、なるほど。敵わないと分かっているのに認めたくないんだ」
「己の力では無理と悟ったのは立派だが、息子に過度な期待をかけすぎたのだ」
陛下はともかく、アレス卿もなかなか辛辣な事を仰る。案の定、クラインさんは顔を真赤にして怒り、体を震わせている。
「怒るのは勝手だが、我々は幾度も経緯を説明してきた。ルークには何の落ち度もない。むしろ被害者だ。そしてそんな彼に対する不当な扱いを是正するよう何度も警告をしてきたはずだ」
「そなたはそれを無視し続けた。そんなに私の言葉が信じられないか?」
「よく、それで使い続けましたね」
「人手が足りなかったからな。仕方なくだ」
「なるほど」
アスター卿も加わり、更に追い打ちをかけるが、クラインさんは何も言い返せない。
「エド、アレス、アスター卿もそのくらいで」
ティムに守られるようにして天幕に入って来た姫様を抱きしめて安心させていた皇妃様が口を挟む。さすがにそろそろ気の毒に思われたのだろう。椅子から立ち上がり、クラインさんの目の前に膝を付かれ、彼の顔を覗き込む。
「憎しみ、恨み、嫉妬。負の感情が人を突き動かす力は確かに強いでしょう。しかし、それだけでは何かを成し遂げても心を満たすことはありません」
皇妃様が口を開かれると、先程までざわついていた広場もしんと静まり返る。
「欲は際限なく膨らみ、周囲から差し伸べられる手ですら見えなくなってしまいます。私達は先の内乱でこのことを目の当たりにしました。グスタフ、ラグラス、ベルク、3人の末路は言うまでもないでしょう。しかし、そうなる前に確かに手を差し伸べていた者達はいたのです」
決して声を張り上げておられているわけではないけれど、皇妃様の言葉は集まった住民達全てに届いていた。誰もが自然と頭を下げる。それはクラインさんも例外ではなかった。ラトリの聖女と称えられ、心の傷をも癒すと言われる不思議な力は健在だ。
「今ならまだ間に合います。今一度自分を見つめなおしてみてください。自ずと進むべき道は見つかるはずです」
皇妃様の言葉についに耐えきれなくなったクラインさんはその場に伏して泣き出した。長年の軋轢に終止符が打てたのだろうか? 少し複雑な気持ちで俺はその姿を眺めていた。
「出過ぎた真似をいたしました」
皇妃様は立ち上がるとそう言って陛下に頭を下げられた。
「いや、助かった。ありがとうフレア」
陛下はそう言うと、皇妃様の頬に口づけて労われた。そして改めてクラインさんに向き直る。
「モーリッツ・クライン、沙汰は追って通達する」
頭の怪我もあるし、クラインさんは処分が決まるまで謹慎して過ごすことになった。ザムエルの命で自警団員に拘束されてももう抵抗はせず、まだ泣いていたが陛下と皇妃様に頭を下げると天幕から連れ出された。
「じゃあ、次は俺の用事かな」
クラインさんが天幕から出ていくのを見届けると、アレス卿は俺に向き直る。俺に何の用だろうと思っていると、彼は懐から百合の紋章を金で箔押しした封筒を俺に差し出す。その紋章だけで誰からの手紙かは聞かなくても分かってしまった。
「俺に?」
「今回のカルネイロ残党の捕縛に貢献したルーク卿を特別にお招きしたいと当代様は思っていらっしゃいます」
「……」
俺は招待状を手にしたまま固まっていたが、陛下に開けてみたらどうかと言われて我に返った。そして持っていた小刀で慎重に封を開ける。中の手紙にはアレス卿が言っていた通り、礎の里に招きたい旨の内容が流麗な文字で書かれていた。
「俺、どうしたら……」
事態の展開についていけず、ただ混乱するしかなかった。そんな俺に陛下は「まあ、座れ」と椅子を勧め、俺はぎこちなく座る。座ってしまってからオリガは……と振り返ると、彼女も俺の隣に椅子が用意されて席を勧められていたところだった。
「当初、当代様は純粋にルーク卿を労いたいというお気持ちでその招待状をご用意された。ところが、次第に話が大きくなって、それだけの功績を上げたのだから聖騎士にして里へ招き、神殿騎士団長にすると言う話まででてきた」
「え……」
「困ったことに、その話を広めたのがうちの身内なんだ」
「お身内……ですか?」
皇妃様やアレス卿の身内として思い浮かぶのは、里の賢者様やブレシッド公御夫妻、ルイス卿ぐらいだろうか。首を傾げていると、皇妃様が非常に申し訳なさそうに捕捉して下さった。
「お母様の縁戚でリグレット家から大母補に選ばれている子なの。その子、ティアナとは子供の頃にお母様の下で一緒に学んだ仲なのだけど、何と言うか……」
「高望みしすぎるんだよ。大母補になったのもいい男を捕まえるのが目的でなったようなものだし……。で、今回ルーク卿の活躍を聞いて、自分の結婚相手に相応しいと思ったらしく、先ずは根回しと思ったのか聖騎士にすると言う噂を広めたらしい。加えて里ではまだ一部の賢者達の間で主導権争いが続いている。君を騎士団長に仕立てて恩を売り、自分の陣営に加えて有利に立とうという目論見なんだろう」
俺が聖騎士? どう考えても無理がある。しかも神殿騎士団の団長だなんて絶対に勤まるはずがない。当代様の招待を断るなんて不遜にもほどがある。それでも、俺はこの招待に応じる気が起きなかった。
「俺が心底お仕えしたいのはエドワルド・クラウス陛下只一人です。このご招待をお断りすることは出来ませんか?」
そう言って恐る恐るアレス卿の表情を伺う。続いて陛下とアスター卿へも視線を向けると、彼等は思わずといった様子で笑い出した。
「うん、やっぱりそう言うと思ったよ」
「予想通りだな」
どうやら俺の返答は想定内だったらしい。陛下もアスター卿も笑みを浮かべてうなずいている。
「気にしなくていいよ。当代様も招待状を送ると決まった時点でこんな事態を招くとは思ってもおられなかったから。気づいたらあっという間に噂が広まってしまって取りやめることが出来なくなってしまっていた。こちらの不手際だから適当な理由をつけて辞退しても当代様がお気を悪くなされる事は無いから安心していい」
「本当に?」
俺が念押しするように聞き返すと、アレス卿は大きくうなずいて下さった。これで一安心だが、さて、どういう理由にすれば失礼にならないだろうか?
「理由は女王討伐で受けた傷の療養中……でいいかな。それに婚礼を挙げたばかりだと付け加えれば、蜜月を邪魔してまで連れて来いと言うような無粋な奴はいないと思うよ。ティアナも伴侶がいると分かれば諦めるだろう」
領主でも荷が重いのに、これ以上の責務を背負わずに済んだ。アレス卿の言葉に俺は安堵して胸をなでおろした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アリシアの縁戚の大母補ティアナは後のお話になる「小さな恋の行方」第2章国主会議奇想曲に出て来た当代様の事。内乱終結の折にタランテラへ行ったシュザンナからも情報収集して画策した模様。もちろん、後から事情を知ったアリシアにお説教される羽目に……。
「群青の軌跡」の連載が始まって2度目の年越しを迎えます。
当初の予定では年内で第3章は終わらせるつもりだったのだけど、書きたいこと書いていたら本当に話が長くなって本編すら終わらなかった(大汗)
引き続き頑張って更新していきますので、来年もどうぞよろしくお願いします。
花影
今年最後の更新です。
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「ルーク・ディ・ビレア、タランテラ国主エドワルド・クラウスの名において、本日、この時よりそなたをアジュガ地方の領主に任じる」
「へ?」
陛下の宣告を理解できずに固まっていると、広場から大歓声が沸き起こる。それでようやく俺は我に返った。
「おぉー!」
「ルークが領主様だって」
「バンザーイ」
天幕の外へ視線を向けると、住民達だけでなく雷光隊の面々まで一緒になって喜んでいる。なぜ、お前達まで喜んでいる? いや、それよりも俺が領主? そんな大役、俺には無理だ。とっさにオリガに視線を向けると、彼女も困惑している様子だった。
「俺には無理です!」
「この無能者には務まりませんぞ!」
俺とクラインさんの叫び声が重なる。先程まで気落ちして座り込んでいたのが嘘のようにクラインさんは激高し、慌てた文官達に止められている。しかし、陛下はそれを見事に無視して俺に向き直る。
「この町の事を誰よりも愛しているお前なら出来るさ」
「しかし、俺にはそんな知識は……」
「だからこそ選んだ引き継ぎの人員だ。本当はこの秋の式典で公表するつもりだった。予定が早まったが、彼等の下で学びながら覚えていけばいい。そもそもこの町は1人で運営するのではないのだろう? 今まで通り親方衆と意見を出し合って運営していけばいい」
俺は振り返ってウォルフに視線を向けると、彼は笑みを浮かべてうなずいていた。どうやら彼は事前にこうなることを知らされていたらしい。
「ですが……」
あまりに突然で俺はまだ混乱していた。俺が領主? 本当に? 何故? 色んな疑問符が浮かび上がる。しかし、返す言葉が浮かんでこない。
「ゼンケルの一件で領主にすると提案したが断わられた。自覚はあまりないみたいだが、内乱の前からお前は手柄を立て続け、私には返しきれない恩がある。お前が伴侶に選んだオリガにもだ。今後も我々はお前たち夫婦の手を借り続けることになるだろう。だからこそ、ここでちゃんと恩を返したい」
「陛下……」
俺としてはただできることをしてきただけのつもりだったのだが、陛下にそこまで恩を感じていただいていたとは思わなかった。それにしても7年前、ゼンケルを譲ると言う話は冗談だと思っていたが、意外にも本気だったことに驚いた。
「我々の感謝の気持ちだ。受け取ってくれ。それに、住民達の事を思いやれるお前ならいい領主になれるだろう」
跪いたままだった俺は改めて陛下を見上げる。男でも惚れ惚れとしてしまうその端正なお顔はいつになく優しい笑みを浮かべている。そしてもう一度オリガを振り返ると感極まった様子で涙を浮かべていた。彼女と視線を合わせ、うなずき合う。それから彼女と2人で陛下の前に跪き、改めて「謹んで拝命いたします」と頭を下げた。
しかし、それで納まらないのがクラインさんだった。アジュガの領主という地位はクライン家の悲願だったが、それを目の前で俺に授けられてしまったのだから。文官達を振り払い、俺につかみかかる。しかし、寸でのところでラウルとシュテファンに取り押さえられる。
「何故、お前なのだ! 無能者のお前が領主などわしは認めんぞ!」
激高するクラインさんのあまりの勢いに、俺は立ちあがってオリガを庇い、陛下は皇妃様を同様に庇っておられた。竜騎士2人がかりで抑えているにもかかわらず、ものすごい力で逃れようともがいている。
「あんた、まだそんな事を言っているのかい!」
声を上げたのは神殿でもクラインさんに詰め寄っていたおかみさんだった。それに同調する声が次々と上がる。その勢いは俺も気圧されてしまうほどだ。それでもクラインさんは負けていない。
「この無能者の所為で息子は全てを失ったのだぞ!」
ダミアンさんの生存をどのように伝えられたかは定かではない。しかし、ゼンケルでの経緯は幾度となく説明をしてきた。それでも未だにクラインさんはそれを受け入れることが出来ず、全てが俺の所為だと信じている。その様子に陛下もアスター卿も機嫌を著しく損ね、顔を顰めている。
「彼が無能だと言うのなら、この大陸にいる竜騎士のほとんどが役立たずということになるなぁ」
そこへ場違いなほどのんびりとした口調でアレス卿が割って入って来た。その背後には少し怯えた様子の姫様とティムが続いている。パラクインスはどうしたのだろうかと思っていると、ティムのブラッシングが気持ち良すぎて寝てしまったらしい。まあ、大陸を北上してはるばるタランテラまでやって来たのだ。彼女も疲れているのだろう。
「この者はそうでも言い続けていないと己の矜持を守れないのだろう」
「ああ、なるほど。敵わないと分かっているのに認めたくないんだ」
「己の力では無理と悟ったのは立派だが、息子に過度な期待をかけすぎたのだ」
陛下はともかく、アレス卿もなかなか辛辣な事を仰る。案の定、クラインさんは顔を真赤にして怒り、体を震わせている。
「怒るのは勝手だが、我々は幾度も経緯を説明してきた。ルークには何の落ち度もない。むしろ被害者だ。そしてそんな彼に対する不当な扱いを是正するよう何度も警告をしてきたはずだ」
「そなたはそれを無視し続けた。そんなに私の言葉が信じられないか?」
「よく、それで使い続けましたね」
「人手が足りなかったからな。仕方なくだ」
「なるほど」
アスター卿も加わり、更に追い打ちをかけるが、クラインさんは何も言い返せない。
「エド、アレス、アスター卿もそのくらいで」
ティムに守られるようにして天幕に入って来た姫様を抱きしめて安心させていた皇妃様が口を挟む。さすがにそろそろ気の毒に思われたのだろう。椅子から立ち上がり、クラインさんの目の前に膝を付かれ、彼の顔を覗き込む。
「憎しみ、恨み、嫉妬。負の感情が人を突き動かす力は確かに強いでしょう。しかし、それだけでは何かを成し遂げても心を満たすことはありません」
皇妃様が口を開かれると、先程までざわついていた広場もしんと静まり返る。
「欲は際限なく膨らみ、周囲から差し伸べられる手ですら見えなくなってしまいます。私達は先の内乱でこのことを目の当たりにしました。グスタフ、ラグラス、ベルク、3人の末路は言うまでもないでしょう。しかし、そうなる前に確かに手を差し伸べていた者達はいたのです」
決して声を張り上げておられているわけではないけれど、皇妃様の言葉は集まった住民達全てに届いていた。誰もが自然と頭を下げる。それはクラインさんも例外ではなかった。ラトリの聖女と称えられ、心の傷をも癒すと言われる不思議な力は健在だ。
「今ならまだ間に合います。今一度自分を見つめなおしてみてください。自ずと進むべき道は見つかるはずです」
皇妃様の言葉についに耐えきれなくなったクラインさんはその場に伏して泣き出した。長年の軋轢に終止符が打てたのだろうか? 少し複雑な気持ちで俺はその姿を眺めていた。
「出過ぎた真似をいたしました」
皇妃様は立ち上がるとそう言って陛下に頭を下げられた。
「いや、助かった。ありがとうフレア」
陛下はそう言うと、皇妃様の頬に口づけて労われた。そして改めてクラインさんに向き直る。
「モーリッツ・クライン、沙汰は追って通達する」
頭の怪我もあるし、クラインさんは処分が決まるまで謹慎して過ごすことになった。ザムエルの命で自警団員に拘束されてももう抵抗はせず、まだ泣いていたが陛下と皇妃様に頭を下げると天幕から連れ出された。
「じゃあ、次は俺の用事かな」
クラインさんが天幕から出ていくのを見届けると、アレス卿は俺に向き直る。俺に何の用だろうと思っていると、彼は懐から百合の紋章を金で箔押しした封筒を俺に差し出す。その紋章だけで誰からの手紙かは聞かなくても分かってしまった。
「俺に?」
「今回のカルネイロ残党の捕縛に貢献したルーク卿を特別にお招きしたいと当代様は思っていらっしゃいます」
「……」
俺は招待状を手にしたまま固まっていたが、陛下に開けてみたらどうかと言われて我に返った。そして持っていた小刀で慎重に封を開ける。中の手紙にはアレス卿が言っていた通り、礎の里に招きたい旨の内容が流麗な文字で書かれていた。
「俺、どうしたら……」
事態の展開についていけず、ただ混乱するしかなかった。そんな俺に陛下は「まあ、座れ」と椅子を勧め、俺はぎこちなく座る。座ってしまってからオリガは……と振り返ると、彼女も俺の隣に椅子が用意されて席を勧められていたところだった。
「当初、当代様は純粋にルーク卿を労いたいというお気持ちでその招待状をご用意された。ところが、次第に話が大きくなって、それだけの功績を上げたのだから聖騎士にして里へ招き、神殿騎士団長にすると言う話まででてきた」
「え……」
「困ったことに、その話を広めたのがうちの身内なんだ」
「お身内……ですか?」
皇妃様やアレス卿の身内として思い浮かぶのは、里の賢者様やブレシッド公御夫妻、ルイス卿ぐらいだろうか。首を傾げていると、皇妃様が非常に申し訳なさそうに捕捉して下さった。
「お母様の縁戚でリグレット家から大母補に選ばれている子なの。その子、ティアナとは子供の頃にお母様の下で一緒に学んだ仲なのだけど、何と言うか……」
「高望みしすぎるんだよ。大母補になったのもいい男を捕まえるのが目的でなったようなものだし……。で、今回ルーク卿の活躍を聞いて、自分の結婚相手に相応しいと思ったらしく、先ずは根回しと思ったのか聖騎士にすると言う噂を広めたらしい。加えて里ではまだ一部の賢者達の間で主導権争いが続いている。君を騎士団長に仕立てて恩を売り、自分の陣営に加えて有利に立とうという目論見なんだろう」
俺が聖騎士? どう考えても無理がある。しかも神殿騎士団の団長だなんて絶対に勤まるはずがない。当代様の招待を断るなんて不遜にもほどがある。それでも、俺はこの招待に応じる気が起きなかった。
「俺が心底お仕えしたいのはエドワルド・クラウス陛下只一人です。このご招待をお断りすることは出来ませんか?」
そう言って恐る恐るアレス卿の表情を伺う。続いて陛下とアスター卿へも視線を向けると、彼等は思わずといった様子で笑い出した。
「うん、やっぱりそう言うと思ったよ」
「予想通りだな」
どうやら俺の返答は想定内だったらしい。陛下もアスター卿も笑みを浮かべてうなずいている。
「気にしなくていいよ。当代様も招待状を送ると決まった時点でこんな事態を招くとは思ってもおられなかったから。気づいたらあっという間に噂が広まってしまって取りやめることが出来なくなってしまっていた。こちらの不手際だから適当な理由をつけて辞退しても当代様がお気を悪くなされる事は無いから安心していい」
「本当に?」
俺が念押しするように聞き返すと、アレス卿は大きくうなずいて下さった。これで一安心だが、さて、どういう理由にすれば失礼にならないだろうか?
「理由は女王討伐で受けた傷の療養中……でいいかな。それに婚礼を挙げたばかりだと付け加えれば、蜜月を邪魔してまで連れて来いと言うような無粋な奴はいないと思うよ。ティアナも伴侶がいると分かれば諦めるだろう」
領主でも荷が重いのに、これ以上の責務を背負わずに済んだ。アレス卿の言葉に俺は安堵して胸をなでおろした。
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アリシアの縁戚の大母補ティアナは後のお話になる「小さな恋の行方」第2章国主会議奇想曲に出て来た当代様の事。内乱終結の折にタランテラへ行ったシュザンナからも情報収集して画策した模様。もちろん、後から事情を知ったアリシアにお説教される羽目に……。
「群青の軌跡」の連載が始まって2度目の年越しを迎えます。
当初の予定では年内で第3章は終わらせるつもりだったのだけど、書きたいこと書いていたら本当に話が長くなって本編すら終わらなかった(大汗)
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✈他社にも同時公開
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
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