群青の軌跡

花影

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第3章 2人の物語

閑話 ウォルフ2

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 ゲオルグ様との面会から2日後、アジュガへ向かう朝を迎えた。準備を整え、いよいよ出立というところで陛下が見送りに来られた。相棒の様子を見に来たついでだと仰られていたが、意図して来られたのは間違いない。休暇中とはいえ異例の特別扱いにルーク卿は複雑な表情を浮かべていた。
 アジュガまでの道中は思っていた以上に快適だった。オリガ嬢が同行しているのもあって、無理をしなかったのだろう。しかも道中の景色が素晴らしく、1日飛竜の背に乗っていても飽きる事は無かった。途中の休憩も野営に慣れた雷光隊の面々のおかげで楽に過ごすことができ、予定通り夕刻にはアジュガに到着した。
「ようこそアジュガへ」
 着場に着いた自分達を町の人達が温かく迎えてくれる。そのまま滞在中の宿となる「踊る牡鹿亭」へ移動し、そのまま宿の前の広場で歓迎の宴となった。
「友人のウォルフだ。本宮で文官をしている。仕事のし過ぎだったから息抜きに誘ったんだ」
 ルーク卿はそう言って自分の事を町の人達に紹介していた。そのおかげで妙に尊敬されてしまい、慌てて一般的に思われているようなたいそうな身分ではないことは伝えた。あまり効果はなかったけれど。
「ウォルフさん、だったよね? ルーク兄さんから話を聞いているわ。こちらどうぞ」
「あ、どうも……」
 エプロン姿の可愛らしい女性がそう言って飲み物の杯を差し出してくれた。恐縮しながら受け取ると、中身は果実水だった。俺が酒類を断っている事情を知っているルーク卿が予め手配していてくれたらしい。近くに座っているコンラート卿の話によると、彼女がルーク卿の妹カミラさんで「踊る牡鹿亭」の女給をしているらしい。
「可愛いっすよねぇ」
「新米の自分にも丁寧に応対してくれます」
 コンラート卿が鼻の下を伸ばしながら彼女の姿を眺めている横でドミニク卿も同意して頷いている。雷光隊だけでなく、アジュガに来たことがある若い竜騎士達の間で彼女は人気があるらしい。気づけば自分も自然と彼女の姿を目で追っていた。
「毎度のことながら疲れる」
 そう言ってルーク卿がエールの杯を片手に隣の席に移動してきた。町の主だった人達に皇都での夏至祭の様子を話していたのがようやく終わったらしい。こうして帰省するたびにこういった宴席が設けられ、最新情報を伝えるのが恒例行事なのだとか。
「お疲れ」
「まだまだ序の口だよ」
 ルーク卿はそう言ってエールを飲み干した。するとその横から新たにエールを満たした杯がドンと置かれる。
「ほら、おかわりだ」
 杯を置いたのはルーク卿の幼馴染で自警団を束ねているザムエルさんだった。自分にも勧められそうになったが、ルーク卿がやんわりと断ってくれる。謝意を伝えると、気にするなと言われた。
「良い町だね」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
 この町の人全員がみんな顔見知りのようなものだとルーク卿は教えてくれた。出世した今でも昔と変わらない態度で接してくれるのが嬉しいらしい。
「オリガ嬢は一緒でなくていいのか?」
「彼女は人気者だからね」
 ルーク卿の視線の先に、町の女性達と談笑しているオリガ嬢の姿があった。皇妃様の侍女をしている彼女から最新流行を聞ける貴重な時間らしい。ルーク卿はそんな彼女を優しく見守っていたが、親方衆という町の運営にも関わっている古株の職人達から呼ばれ、渋々と言った様子で席を立つ。
「まあ、ゆっくり楽しんでくれ。限界だと思ったら宿に引っ込んでもいいから」
「うん、ありがとう」
 席を離れる前にそう声をかけてくれている間も彼は親方衆から名前を呼ばれ続けている。まあ、まぎれもなくこの町一番の人気者はルーク卿で間違いないだろう。
 ルーク卿が席を離れ、傍にいてくれた竜騎士達も自警団員達に呼ばれて言ってしまい、急に一人になってしまった。他のテーブルでは話の輪が広がっているのだが、自分からそういった中に入っていく勇気が持てなかった。
「文官殿、少しこの老いぼれの話に付きおうてもらえないだろうか?」
 ぼんやりと楽しそうな人達の様子を眺めていると、不意に声をかけられた。振り向くと一人の老人が立っていた。断る理由などなく、どうぞどうぞと空いている席を勧めた。
「本宮付きの文官と言っても、国の運営にかかわる官僚とは異なり、自分は古書の整理をしている下端なんです」
 やはり文官というだけで遠巻きにされていたらしい。身分から言えばルーク卿の方がはるかに上なのだと伝えると、「ルーク坊もずいぶん出世したのぉ」と笑っておられた。聞けばルーク卿のお兄さんのお嫁さんのお祖父さんだった。今は現役を退き、若い職人に技術指導をしていると言っておられた。
「休みに入る前は建国当時の記録を整理していました。中に少しだけですがアジュガの記述もあったんですよ」
 とりあえず自分の身分を分かってもらうには仕事の話が一番だと思った。古書の整理には意外と体力が必要なのだと言うと、ご老人は「そうかそうか」とニコニコしながら話に耳を傾けてくれていた。
「中に当時の騎士団長様に関する記述があって、ルーク卿と印象が似ているんですよ」
 風の様に飛竜を操るとか多くの部下に慕われていたとか、まさに今の彼の姿を現しているとしか思えないのだ。思わず熱くなって語ってしまった。
「そうじゃのう……小さな町じゃからもしかしたら彼もその血を引いておるかもしれんのう」
 ご老人は自分の熱弁にも笑わずに耳を傾けてくれた。そしてなんだかんだで話が合い、結局、宴が終わるまで2人で話し込んでいた。



 移動の疲れもあってか、翌日に目を覚ますと既にお昼は過ぎていた。慌てて飛び起きると、身だしなみを整えて部屋を出た。
「あ、ウォルフさん」
 食堂のある1階に降りると、カミラさんが笑顔で迎えてくれた。これだけで今日はなんだかいい事ありそうな気がする。……もう昼だけど。
 とりあえず何か食べる物をお願いすると、奥の席に案内された。そこには既に先客がいて、シュテファン卿とザムエルさんが何かの書付を真剣な表情で覗き込んでいた。
「お、起きたか」
「すみません、遅くまで寝てしまって」
「休みなんだろう? 気にしなくていいさ」
 シュテファン卿の話によると、コンラート卿とドミニク卿は二日酔いでまだ寝ているらしい。彼等だけではなく、昨夜の宴に参加した人の半数は二日酔いで今日は仕事どころではないだろうとのことだった。
「はい、どうぞ」
 そんな話をしている間にカミラさんが豪勢な昼食をテーブルに並べてくれる。チーズをのせた薄焼きパンに香辛料を利かせた野菜のスープと焼いた腸詰、そして踊る牡鹿亭名物のミートパイ。寝起きでこんなに食べられるか心配だったが、どれも絶品で全て平らげていた。
「ところで、さっきから真剣に何を話し合っているんですか?」
 自分が食事をしている間もシュテファン卿とザムエルさんは書付を見ながら真剣に議論していた。気になって尋ねると、シュテファンさんがその書付を見せてくれる。
「ルーク卿用設営計画書?」
 書付は昨年の日付が書かれていた。毎年ルーク卿はこの時期にアジュガに訪れると、オリガ嬢を連れて山頂にある湖のほとりの山小屋でお泊りデートをするらしい。なんでも景色が素晴らしいのだとか。
 毎回2人に最高の時間を過ごしていただくために色々と手を尽くしているらしいのだが、今回は目新しい案が思いつかずに悩んでいたらしい。
「何もしなくていいと言われるのですが、やはり居心地よく過ごしていただきたいじゃないですか」
 ルーク卿に心酔しているシュテファン卿が熱く語る。ザムエルさんはどちらかと言うと面白がっているみたいだが、それでも楽しんでもらいたいと言う気持ちには変わらない様子だ。
「お貴族様みたいに優雅に……と思っているんだが、ウォルフ殿は何かいい案はないか?」
「お貴族様……ですか?」
 ふと思い出したのはフォルビアで陛下にお会いした時に側に控えておられたオルティスさんの姿だった。家令の鏡とも言われるあの方ほどでなくても、側仕えがいれば優雅な気分になれるのではないだろうか?
「家令なんてどうですか?」
「なるほど、その手があったか」
 単なる思い付きを口に出しただけだったが、お2人は思いのほか食いついてきた。そして再び議論を始めたので、役に立てたのなら良かったと一先ず安堵した。
「じゃ、ちょっと付き合ってくれ」
「はい?」
 ちょうどカミラさんが運んできてくれた食後のお茶を優雅に堪能していたのだが、話がまとまったらしい2人に半ば拉致されるようにして食堂から連れ出された。そして発案者ということで自分がその家令役をすることになっていたのだった。


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2話で終わらせるつもりだったのに終わらなかった……。
もう1話ウォルフのお話にお付き合いください。
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