群青の軌跡

花影

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第2章 オリガの物語

第18話

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 宿舎として用意されていた家には使わせてもらっていた南棟の客間よりも広い寝室が5つと晩餐会が開けるほどの大きな食堂に大小2つの応接間、居間というには広すぎる部屋に書斎の他用途のよくわからない部屋もあった。
 借りた翌日にはティムも遊びに来たのだけど、「すごい、すごい」と言いながらお屋敷中を探検していた。こんな姿を見ていると、やはりまだ年相応の子供じみたところもあるのだと実感した。
 当初は豪華なお屋敷は落ち着かないのではないかと思っていたけど、ほんの数日のうちに案外快適に過ごせるようになっていた。以前の持ち主は趣味の良い方だったらしく、随所の装飾も調度品の類も華美ではなかったのが幸いしたのかも。
 それに大仰すぎると思われていた使用人達も屋敷の維持に注力し、私達への過度な干渉を控えていてくれる。たいていの事は自分達で出来るからと、控えめに要望を伝えておいたのが良かったのか、もしかしたらグレーテル様から何かしらのご指示があったのかもしれない。
 私は庭に面したお茶会を開くために作られた部屋が気に入っていて、時間に余裕があるときはそこでルークと朝食を摂るようになっていた。庭に植えられている植物を見ると、他の季節も見てみたいなんて思ってしまうほどだった。
「じゃあ、春もまた借りる?」
 私の感想を聞いたルークがそう茶化してきたけど、次はもうちょっと小ぢんまりした家が良いかな。それでも、こうして2人で暮らしてみて思ったけど、結婚後も仕事を続けるにはやはり家の維持に人を雇った方が良いというのは実感した。この家は特に広すぎるから余計そう思うのだけど……。


 ルークとの生活を楽しんでいる間に、気づけば即位式は5日後に迫っていた。参列する賓客が続々とタランテラに入国する中、今日は礎の里から式を取り仕切る賢者が到着される予定となっていた。先ぶれがあったので、殿下と奥方様は出迎えの為に着場の上層へ向かわれた。
 お2人を見送った私はいつもの様に仕事をしていたのだけれど、ほどなくして南棟から見届け役としてお見えになられたのが奥方様の祖父、賢者ペドロだったと知らせが届いた。年齢に加えておみ足が不自由なのもあり、まさかタランテラにまで来られるとは思ってもいなかった。
 驚きから立ち直ると、すぐに姫様にもお伝えした。家庭教師に頼んで今日の授業は切り上げてもらい、ユリアーナ様からエルヴィン殿下を預かって南棟の客間に向かった。
「お祖父様」
「おお、元気そうじゃの」
 駆け寄った姫様を賢者様は優しく抱きしめた。そして頭をなで、自分の隣に姫様を座らせる。こうしてみているとどこにでもいるような好々爺のようにも見えるけれど、薬学に関しては一切の妥協も許さない厳しいお方だった。
 続けて奥方様が私の腕から抱き上げたエルヴィン殿下を賢者様の前に連れて行く。
「大きくなったのう」
 3カ月前に比べると随分と福々しくなられた殿下は、近頃は這いずる様になられており、時折赤子用の寝台の縁にある柵で行き詰まれて進めないと泣いておられる。奥方様からそんな話を伺いながら、賢者様は膝に抱いた殿下をあやしておられた。
「お久しぶりでございます、お師匠様」
 ご家族のご挨拶が一段落したところを見計らって私は賢者様の前に進み出て頭を下げた。本当はラトリ村に滞在中に薬学の基本中の基本だけを教わっただけの私がこの方を師匠と呼ぶのはおこがましいのだけど、賢者様は笑って許して下さっている。
「壮健そうじゃの。随分と表情も柔らかくなっておる」
 ラトリにいた頃は自分達の事で一杯一杯の状態で、周囲に目を配る余裕などなかった。常に張り詰めた状態の私を気にかけて下さり、薬学を教えてほしいと言う私の無茶なお願いも聞いて下さっていた。
「皆様のご尽力のおかげで平和が戻りました。そのおかげです」
 私の答えに賢者様は目を細めて何度も頷いておられた。ルークと無事に再会したことを報告すると、「ではそのうち紹介してもらおうかのう」とおっしゃっていた。
 本当はご挨拶を済ませたらすぐに北棟に戻ろうと思っていたのだけど、奥方様の御要望でお傍に控えていることになった。お茶を淹れ直したり、ぐずり始めたエルヴィン殿下をあやしていると、姫様は早速、先日マルモアへ行ってきた話をしている。
「あの子は良き相棒に恵まれたようじゃの」
 賢者様は頷きながら姫様のお話を聞いておられた。しかし、少しだけ顔をしかめ、「パラクインスがまたわがままを言ってのう……」とため息をつかれた。
 パラクインスは大陸でもっとも有名な飛竜とも言われている。御夫君と共に最強の番と呼ばれている奥方様の御養母アリシア様の相棒だった。大陸の南方にいるはずのその飛竜は、奥方様の弟のアレス卿を乗せてタランテラに来ているらしい。
「まさか……ティムに会いに来たのですか?」
「そのようじゃ。ティムのブラッシングが忘れられなくて単独で飛び出してきたらしい。後から来たブレシッドの竜騎士の話によると、彼の技術を学んでくることになったらしい」
 ラトリに滞在していた時、ティムはせめて自分にできることをしようと、飛竜のお世話を手伝っていた。そんな中、彼のブラッシングが飛竜達に好評だったのだけど、特にパラクインスに気に入られて事あるごとに催促されていた。まさかブラッシングしてもらいたくてはるばるこの最北の国まで来てしまうとは思わなかった。
「ティムはルーク卿から教わったのでしょう? オリガ」
「そうです」
 奥方様の問いかけに私は頷いて答えた。ルークに言わせると特別なことはしていないらしいのだけど、彼等のブラッシングが特別と思われる何かがあるのかもしれない。
「それで満足してくれるといいのだけど……」
 奥方様もパラクインスの執着ぶりを知っているので、思わずといった様子でため息をついていた。その後はタランテラに帰還してからの話したり、賢者様からその後のラトリの様子を伺ったりしている間に所用を済まされたアレス卿も来られた。残念ながら殿下は手が離せずに同席できなかったが、それでも奥方様は久しぶりに会うご家族との会話を楽しんでおられていた。


「ちょっと休憩……」
 曲が終わったとたんにルークと私は床に思わず座り込んでいた。即位式を翌日に控え、私達はブランドル家でダンスの特訓を受けていた。当初は踊らなくても済むように取り計らって頂く予定だったのだけど、事態が変わってしまっていた。
 別に隠しているわけではないけれど、ルークが舞踏を苦手にしていることを面白おかしく流布されているらしい。放っておいてもいいのだけど、その噂を流しているのが先日の試合でルークが打ちのめした相手だったらしい。腹いせに他にも何か企んでいるのかもしれない。
「親友がそんな不名誉な噂を流されているなんてやっぱり腹立たしいんだよ」
 そう言って噂の存在を私達に教えてくれたのはユリウス卿で、師匠と仰ぐ賢者ペドロ様が本宮に到着された次の日の事だった。
「負け惜しみだ。放っておけばいい」
 どんな噂だろうと自分だけなら頓着しないルークは放置を決めたようだけれど、国の中枢を担うお方達には見過ごせない事態らしい。
「やはり殿下は内乱で功績のあった君達を大々的にお披露目したい気持ちもおありの様だよ」
「……今からじゃ間に合わないだろう?」
「オリガ嬢相手なら大丈夫だろう」
「……」
「とにかく行くぞ」
「どこへ?」
「俺ん家。お袋が凄腕の講師陣と楽師を集めて待っている」
「え?」
 そんなやり取りの後、私達は有無を言わさずにブランドル家へ連れてこられ、ダンスの特訓が始まった。まだ3年前の夏至祭で人前で踊ったことがあるルークはともかく、私はフォルビアのお館で基礎をかじった程度。本当に大丈夫だろうかと心配していたけれど、本人が言っていたよりもはるかにルークは上手だった。
「何だ、出来るじゃないか。あれから練習したのか?」
 3年前の夏至祭の時の腕前を知っているユリウス卿はそう言ってルークを褒めていたけれど、彼は力なく首を振った。
「あの時は女性に触れるのも恥ずかしかったんだ」
「なるほど。それなら何とかなりそうだな」
 ユリウス卿は何やら1人で納得すると、控えている講師達に目配せをする。そして……私達はより難度の高いダンスをする羽目になった。
 それから3日間、ルークも私もブランドル家に泊まり込み、朝から晩までダンスの練習に明け暮れた。今日も朝から数えられないほど2人でステップを踏んで既に汗だくとなっていた。慣れない靴でとにかくもう足が痛い。曲が終わったところでもう耐えられなくなり、私は座り込んでいた。
「うん、うん、初日に比べると良くなっているよ」
 毎日の様に様子を見に来てくれるユリウス卿が満足そうに頷いている。褒めてくれているのだけど、ルークは恨めしそうな視線を友人に向けている。ユリウス卿が余計な一言を言わなければ難易度は上がらずに済んだかもしれない。その分、私達のダンスはまだ優雅には程遠い気がする。
「今日はもう、これ以上動けそうにないよ」
「おいおい、毎日あれだけ厳しい訓練をしている君が何言っているんだ? 雷光隊の鍛錬に付き合った連中が毎日は無理だと言っていたぞ」
「俺には鍛錬の方が楽だよ」
 ルークはため息をつく。そこへちょうどブランドル家の侍女が休憩用のお茶を持ってきてくれた。いつまでも床に座り込んでいるのも不作法なので立ち上がったけど、足の痛みは引いていなかった。
「オリガ、足を痛めた?」
 少し足を庇う動作をしたからか、すぐにルークが近寄ってきて制止する間もなく私を抱き上げる。そしてそっと近くの椅子に座らせてくれた。
「痛めたわけじゃないの。ちょっと履きなれない靴だから……」
 そう答えると、ルークは私の前に跪いてそっと靴を脱がした。足はちょっとむくんでいて、こすれた個所が赤くなっていた。
「明日に差し障るから今日はもう終わりでいいんじゃないかな」
 ユリウス卿が確認するように講師陣に目を向けると、彼等も渋々と言った様子で頷いた。このままで明日の本番は大丈夫だろうか? 何だか急に不安が襲ってくる。
「技術的な物は問題ないよ。後は楽しんでやればいい」
 ユリウス卿はそう言って慰めて下さったけど、やはり不安しか残らなかった。
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