群青の軌跡

花影

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第2章 オリガの物語

第16話

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 長い回想から我に返ると、外は既に明るくなり始めていた。私は結局1ページも読み進めることができなかった本を閉じると、朝の身支度を整える。それが終わると今度は姫様のお支度の準備を始める。そして一通りの準備が終わり、お声をかけようとしたところで寝室から物音が聞こえる。そっと扉を開けると姫様がモソモソと寝台から抜け出していた。
「おはよう、オリガ」
「おはようございます、姫様」
 朝の挨拶を交わすと、姫様は自分で身支度を始める。辛い逃避行を乗り越えられた姫様は、お仕えし始めた当初からは想像できないほど何でもご自身でされるようになっていた。
 今も用意しておいたお湯で顔を洗い、自分で夜着を脱いで昨日のうちに決めておいた着替えに袖を通している。私はその様子を見守りつつ、一人では難しい部分を手伝い、最後に髪を丁寧に結いあげた。
「今日は、すぐに帰っちゃうの?」
「アスター卿が町を視察されるので、同行する予定になっております」
「……エルヴィンにお土産、買えるかな?」
 姫様の支度が終わると同時に運ばれてきた朝食を居間のテーブルに並べていると、姫様が遠慮がちに希望を述べられる。「アスター卿にうかがってみますね」と答え、私は扉の外に控えているシュテファン卿に姫様の御要望を伝え、確認をお願いした。
「いただきます」
 今朝は特別な計らいで私は姫様と一緒に朝食を摂ることになっていた。いつもはご家族で摂られるのだけど、お一人で外出される姫様が寂しくないようにという配慮だった。もし買えるとしたらお土産は何が良いか、2人で話をしながら食事を終えた頃、扉をたたく音がした。席を立ち、扉を開けると、そこにはルークが立っていた。どうやら、シュテファン卿に頼んだ姫様の御要望の返答を伝えに来てくれたらしい。
「おはよう、オリガ」
「おはよう、ルーク」
 いつもであれば抱擁されて口づけを交わすのだけど、今は仕事中だし、何しろ姫様の目の前だ。そこはお互い自制して挨拶を交わすだけに留めておいた。
「あ、ルーク、おはよう」
 ルークに気付いた姫様が戸口にまで出てこようとする。ルークはそれを制すると自分から中に入って姫様の前にひざまずいた。
「おはようございます、姫様。先程のご要望の件、アスター卿に確認したら大丈夫だと言っておられました。ただ、あまりお時間は取れませんのでお気を付けください」
「分かった。ありがとう、ルーク」
 姫様が元気に返事をすると、ルークは優しく姫様の頭を撫でる。今日は昼前にマルモアを出立し、正神殿に立ち寄ってティムの相棒を引き取り、夕刻までに皇都に戻る予定になっている。その出立前の時間を使って町中を視察することになっているので、あまり猶予がない。
 それからほどなくして準備が整い、私達はマルモアの町に出た。昨日とは打って変わり、ワールウェイド公夫妻の間にギスギスとしたものが無くなっていたので、仲直りは済んだのだろう。相変わらずのお2人に従い、ロベリアに次ぐ交易都市の光景を見て回った。
 姫様がおられるのもあり、今回の視察は大通りに面した治安の行き届いた場所だけとなっている。そんな中で立ち寄った店で、姫様はエルヴィン殿下のお土産として鈴が付いた木の玩具を選ばれた。ご両親にも何かと思っておられたご様子だったけれど、時間がなくてそれは泣く泣く諦めておられた。
 そして視察を無事に終えた私達は予定通りマルモアを出立した。立ち寄った正神殿で昼食を済ませ、移送用の木箱に入ったティムの相棒を連れて皇都を目指した。


「……オリガ、もうすぐ着くよ」
 ルークに声をかけられて私はハッと目を覚ました。最後の休憩をしてからの記憶がない。エアリアルの背から落ちないようにしっかりと抱きしめてくれていたルークの腕の中が心地よくてつい寝入ってしまっていたのだ。しかも寒くないようにルークの長衣がきっちり巻き付けられている。
「あ……」
「疲れていたんだよ。大丈夫」
 帰り着くまでが仕事のはずなのに、傍仕えとしてあるまじき失態だった。大いに焦り、起こしてほしかったと言うと、ルークは「オリガの寝顔、可愛かったから無理」と言って額に口づける。何か言い返したかったけど、本宮がもう間近に迫っていて何も言い返せないまま上層の着場にエアリアルは降り立っていた。
 先に降ろした仔竜が入った箱にティムは真っ先に駆け寄っていた。その様子をしり目に私も巻き付けられていた長衣と騎乗用の装具を外してもらって飛竜の背から抱き下ろされる。その間にカーマインから降ろしてもらった姫様は、出迎えの中にイリスを見つけて駆け寄っていた。
「ただいま。ラウルとデートじゃないの?」
 姫様の無邪気な問いに彼女は真っ赤になっている。周囲に笑いが起き、ラウルはアスター卿やシュテファン卿に冷やかされている。
 イリスは狼狽うろたえてなかなか返事が返せない様子だったけれど、それでも姫様は出迎えてくれたことが嬉しかったらしく、「イリス大好き」と言って彼女に抱き着いていた。ただ、いつまでも着場に留まってもいられないので、長旅を終えた飛竜達と仔竜を係官に預け、私達は奥方様へ帰還の報告の為に北棟へ移動した。


 北棟に到着した私達を殿下と奥方様はわざわざ玄関で出迎えて下さった。
「ただいま、父様、母様」
「おかえり、コリン」
 1泊だけとはいえ、やはり両親と離れていたのは寂しかったのか、姫様はすぐに両親の腕の中へ飛び込んでいく。殿下と奥方様も気が気ではなかったご様子で、そんな姫様を安堵の表情を浮かべて抱きしめていた。
 ひとしきり抱擁を終えると、殿下は私達を少し遅いお茶の席へ誘ってくださった。姫様を送り届け、帰還の挨拶を済ませるだけだと思っていたけど、急遽視察に同行することになったルーク達雷光隊と私をねぎらいたいとのお言葉だった。そのお気持ちを無下に出来るはずもなく、私達はそのお誘いを受けることにした。
 私達が案内されたのは普段から御一家がくつろいでおられる居間だった。そういえば招かれる側としてこの部屋に入るのは初めてかもしれない。特にティムは北棟に入ること自体も初めてだから、緊張で顔が強張っている。
 部屋の一角にあるゆり籠があり、奥方様の勧めでそっと覗いて見るとエルヴィン殿下が指をしゃぶりながら眠っておられた。その姿に誰もが顔をほころばせ、3か月ぶりにその姿を見たティムはずいぶん大きくなっていると言って驚いていた。
「エルヴィンに買ってきたお土産、ここに置いておいていい?」
 寝ている弟を起こさない様、姫様は奥方様に小声でお伺いを立てている。奥方様が笑顔で頷かれると、姫様は音が鳴らない様、慎重に贖ってこられた玩具を枕元に置かれた。
「皆様、どうぞお席に」
 オルティスさんに声を掛けられ、私達は勧められるまま席に着いた。埋もれてしまいそうなほど柔らかなソファーに恐る恐る腰掛けると、オルティスさんが熟練の技で人数分のお茶を淹れていく。その美味しいお茶を頂きながら、今回の視察の報告が行われた。
「良き相棒に恵まれて良かったな、ティム」
「はい。殿下を始めとして尽力して下さった方々に感謝します」
 四角四面な返答に殿下もアスター卿も苦笑される。ルークは「いつもの威勢はどうした?」と言って隣に座るティムを小突いていた。
「ここにいるのは皆、身内みたいなものだ。そう固くなるな」
 殿下にそう言われてもティムは「無理です」と言って首を振っていた。その後はアスター卿がマルモアの神殿と町中の様子を簡単に報告し、ルークが気付きを付け加えていく。概《おおむ》ねグスタフやカルネイロ商会の影響は駆逐されたと見ていいとアスター卿が総括し、詳しくはまた後日、文書で提出すると締めくくった。
「マルモアと言えば、『鉄腕のアイスラー』が帰還して、今日辞令を渡した。もうマルモアへ向かったらしい」
 『鉄腕のアイスラー』はラウル卿のお父さんのあだ名らしい。品行方正なラウル卿からは想像もできないくらい破天荒なお方だと聞いた。
「本当にお騒がせしてすみません」
 ラウル卿が神妙に頭を下げて言うには、所属していた第7騎士団の砦から、副官である奥さんとどちらが早く皇都に着くか競争したらしい。そして勝負に熱くなりすぎ、皇都の閉門時間を過ぎていたにも関わらず無理やり押し通った挙句、自宅の玄関扉を破壊して帰宅すると言う騒動を起こしたのだとか……。
「何と言うか……相変わらずだな」
 私達が唖然とする中、殿下もアスター卿も苦笑している。お2人がまだ見習いだった頃、ラウル卿のお父さんに随分とお世話になったらしい。けれども、ラウル卿は殿下と面識があったことは知らなかったらしい。
「それは……初耳です」
「だろうな。あの頃は特別扱いが嫌で素性を隠して訓練を受けていた。彼にはバレていたみたいだが、それでも他の見習いと同じように扱ってくれた」
 殿下は懐かしそうに振り返る。殿下のお立場では仕方がないのかもしれないけれど、それでも身分の上下に関係なく接してくれる人がいるのは嬉しい事なのかもしれない。
 通常、皇家出身の竜騎士は団長経験者から特別に指導を受けるのが慣例となっている。兄であるハルベルト殿下から竜騎士になるからには飛竜の世話も雑用も一通り経験した方が良いと教えられ、一般の見習いに混ざって訓練を受けられる決意をなさったのだとか。
 苦労しなくても竜騎士となれたはずなのに、きちんと道理を通すところは殿下らしい。だからこそこうして殿下を慕って人が集まってくるのだろう。もうじき、私達はこのお方を国主と仰ぐことになる。それは何だか誇らしく思えた。

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