群青の軌跡

花影

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第2章 オリガの物語

第5話

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 試合から2日後の朝、マルモア視察に同行する姫様に付き添い、殿下と奥方様の下へ朝の挨拶に伺った。元々マルモアを視察されるワールウェイド公夫妻に同行するのは、特別な計らいで相棒を選びに行くティムとそれに付き添うルーク達だけの予定だったのだけど、姫様が強く望まれて同行が決まっていた。本来ならば姫様付きのイリスが同道するべきなのだけど、生憎あいにくと女神官として大神殿でお勤めする日と重なってしまい、代わりに私が同道してほしいと殿下と奥方様にお願いされていた。
「父様、母様、おはよう」
「おはよう、コリン」
 お2人は私室でくつろいでおられた。いつもの様に挨拶を交わされておいでだが、奥方様は少し気だるげなご様子。部屋着の襟元から赤い痕が見え隠れしている所から、昨夜は殿下と……。ただ、無垢な姫様はまた母親が虫に刺されていると心配されていた。真相をお知りになるのはまだまだ先の事でしょう。
「オリガ、急に無理を言ってゴメンね」
「済まないがよろしく頼むよ」
 お2人は急に無理を言ったと頭を下げられるが、仕事とはいえルークと一緒にいられる時間が増えるのだから私にはご褒美のようなもの。しかも弟ティムが飛竜に選ばれるかもしれない瞬間に立ち会えるのだからこれ以上の事は無い。
 昨夜は自室で休んだが、あの試合の日以降も、殿下と奥方様のお計らいで夜は南棟の客間でルークと過ごさせていただいている。そのことも含めると、随分甘やかされている気がして返って申し訳ない気もする。
「お任せください」
 ただ、姫様の恋心の事もあるので、内心では複雑な気持ちを抱えていた。それでも私はお2人に頭を下げ、快く引き受けた。


 殿下と奥方様の部屋を辞し、姫様と共に北棟を出ると、ルークが迎えに来てくれていた。西棟まで少し距離があるので馬車を使って移動し、貴人専用の入口から着場に向かう。既に飛竜達の準備は整っており、後はワールウェイド公ご夫妻のお出ましを待つばかりだった。
「……ちょっと寂しかった」
 姫様は早速待機していたティムの所へ行き、私も続こうとしたところをルークに遮られる。供寝してしまうと朝が起きられなくなるし、姫様をお迎えする予定だったので昨夜は自室に戻って休んだ。一人寝が寂しかったらしく、ちょっと拗ねている彼が可愛い。
「ゴメンね」
 そう言って頬に口づけると、とたんに上機嫌になる彼もやっぱり可愛い。そんな会話を2人でしている間に、アスター卿とマリーリア卿がそれぞれの飛竜を連れて着場にお出ましになられた。
「アスター、マリーリア、おはよう」
 元気な姫様はマリーリア卿に抱き着いたが、ちょっとフラついて後ろにいたアスター卿に支えられている。彼女にも姫様が言うところの虫刺されの痕があるらしく、姫様に指摘されて気付いたらしい彼女は夫のアスター卿に恨めしそうな視線を向けられていた。
「ああ、またか……」
 傍らのルークが呟く。お2人の喧嘩はもはや夫婦のスキンシップ。仲がいい証拠なのですが、ほどほどにしていただくと助かります。
 姫様はアスター卿のファルクレイン、私はルークとエアリアルに乗り、ティムはシュテファンのメルクマールに乗せてもらって準備は整った。先頭はルーク達雷光の騎士隊。続けてワールウェイド公夫妻が続き、そして殿しんがりに護衛の小隊と続く。総勢8頭の飛竜が順に飛び立ち、綺麗な隊列を組んでマルモアへ向かった。
 飛竜での移動は2か月半ぶり。最初はちょっと怖かったけど、ルークがしっかり体を支えてくれるので安心して体を預けられた。
「姫様が随分はしゃいでいる。夕方までもつかな」
 時折、飛竜を通じて背後の様子をルークが教えてくれる。彼の言う通り姫様は今朝からご機嫌で、ティムに会えるのをものすごく楽しみにしておられた。少し複雑な気分になりながらも、彼女の話に応じていた。
「夕べもあまりお休みになれなかったみたいだから、お昼寝が必要かもしれません」
 前日からイリスが大神殿へ行っているので、昨夜は代わりの侍女がお世話をしていた。その侍女から引き継ぎの折に昨夜のご様子を聞いていたので、正神殿で少し昼寝の時間を作った方が良いかもしれない。
「そうか、それならその心づもりをしておいた方が良いかな」
 ルークはそう呟くと、エアリアル経由で伝言を頼んでいた。しばらく意識を集中させた後、「伝えておいたよ」と彼は私のつむじに唇を落とした。えっと、皆さん見てますから、その、今は、その……。自分でも顔が赤くなるのが分かる。続けて「オリガ、可愛い」なんてささやくから一人であたふたしてしまった。


 途中で一度休憩を入れた私達は、昼過ぎに最初の目的地となるマルモア正神殿に到着した。新たに着任した神官長に出迎えられた私達は、先ずは祭壇で祈りを捧げた。姫様が覚えたばかりだというダナシア賛歌を披露すると、その伸びやかな声に誰もが聞きほれる。
 少し気になってティムの様子を盗み見ると、呆けた表情で姫様を見ている。なんだか恥ずかしい。幸いにして皆姫様に注目しているおかげで誰にも見られていない。
「姫様の歌声にダナシア様も喜んでいられることでございましょう」
 神官長に褒め称えられた姫様は嬉しそうに顔を綻ばせていた。そんな彼女を弟は眩しそうに眺めていた。
「カーマインとファルクレインの赤ちゃんどれかな?」
 仔竜の養育棟に案内されると、姫様は興味津々といった様子で仔竜を眺める。神官長の話では、ここには生まれて1年未満の仔竜が集められているとのお話だった。普通の竜騎士はこんな小さな仔から選ぶ事は無いのだけど、殿下やユリウス卿の様に皇家や5大公家出身の竜騎士は特別に小さな仔竜から選ぶのが習わしだとか。
 今回ティムは、内乱中に奥方様や姫様を守り切った褒賞として優先的に選ぶことが許されていた。フォルビア神殿では相性のいい仔竜が見つからず、ここマルモア正神殿で探してみることになっていた。
 そんなことを思い出している間に、ティムは何かに惹かれるように1頭の仔竜の元に歩み寄る。仔竜もよたよたとした足取りで近づいていくけれど、バランスを崩して倒れてしまう。ティムは仔竜を抱きとめたが、勢いで尻餅をついてしまった。
「決まったみたいだな」
 ティムが抱きとめた仔竜と戯《たわむ》れ始めると、隣にいたルークが呟いた。そしてその様子を見守っていたマリーリア卿から、その仔竜がファルクレインとカーマインの仔であることを伝えられた。
 飛竜に選ばれるということは、竜騎士を目指すティムにとって大きな第1歩。その大事な瞬間に立ち会えたのは私にとっても嬉しい出来事になったのでした。


 ティムの相棒が決まった後は休憩となってお茶を頂いたのだけど、やはりお疲れが出たのか姫様はウトウトされていた。無理はせずにそのまま姫様にはお昼寝をしていただき、その間、アスター卿は本来の目的である神殿内の視察を済まされた。大きく人員の入れ替えが行われ、大分風通しがよくなったと仰られていた。
 一方ティムはその間も仔竜の世話をして過ごし、ラウル卿はティムの相棒が決まった旨を伝えに、一足先に皇都へ戻っていた。
 神殿側とは明日、帰還する前にまた立ち寄って仔竜を受け取る約束を交わし、私達がマルモアの総督府に着いたのは夕方だった。ここでもアスター卿は夕餉まで仕事をされ、私達は一足先に客間へ通された。
 今日ばかりは特別と、姫様の強いご要望で夕餉にはワールウェイド公夫妻だけでなく侍女である私や護衛として来ているルーク、そして弟のティムまで同席させて頂いた。内輪の席だったこともあり、マナーを気にしなくて済んだのは幸いだった。
 姫様は終始ご機嫌で、ティムにもしきりに仔竜の事を尋ねられていた。相棒が決まったティムも嬉しいらしく、いつになく饒舌じょうぜつとなっている。そんな2人を見ていると、やはり複雑な気持ちになってくる。誰も見ていないところで小さくため息をつき、先の事を今から心配していても始まらないと自分に言い聞かせた。
 お昼寝は十分ではなかったらしく、姫様は夕餉が終わる頃には眠そうにしておられた。寝支度を整えると、早々に寝台へ潜り込まれた。
「今日ね……楽しかったの。カーマインの赤ちゃんに会えたし……ティムの相棒決まったし……コリンね、幸せ……」
 姫様は本当に幸せそうな表情を浮かべたままそう呟くとそのまま健やかな寝息を立て始めた。私は幸せそうな姫様の寝顔をしばらく眺めてから、上掛けを直して寝室を退出した。
 最近の姫様は1人でお休みになっておられるのですが、今夜はいつもと異なる寝台でお休みになられる。夜中にいつ目覚められてもいい様に、私は隣の居間で夜通し控えているつもりだった。

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