群青の軌跡

花影

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第1章 ルークの物語

第18話

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 俺もいつの間にかウトウトしていたのだが、夜中に目が覚めた。そっと寝台を抜け出して身支度を整え、小屋の窓から一度外を確認すると、ぐっすりと眠っているオリガに声をかけた。
「オリガ、起きて」
「ん……、もう朝?」
「まだ夜中だけど、見せたいものがあるんだ」
「ん……」
 寝ぼけているオリガも可愛い。彼女が起きたのを確認すると、夜着姿の彼女を毛布で包んで抱き上げた。そしてそのまま小屋から出る。
「寒いけど、ちょっとごめんね」
「何?」
 不安そうに見上げる彼女の額に口づけると、天幕の入口から外に出た。オリガは冷やりとした空気に一瞬身を縮ませていたが、目に飛び込んできた光景に息を飲んだ。今宵は快晴で雲一つなく、更には新月で月も出ていない。遮るものがない満点の星空は無風の湖面に鏡合わせの様に映し出されている。さながら星の海のただ中に立っている気分だ。
 山の気候は変わりやすく、この星の海が見られる条件が揃うのがなかなか難しい。俺も子供の頃に1度見たきり。なので今回、見ることができるかどうかは賭けだった。それでもオリガに見てもらいたくてここで1泊しようと計画した。
「すごい……」
 オリガは目を輝かせてこの景色を見入っていたが、やはり少し冷えるのか小さなくしゃみをした。風邪を引かせるのは忍びないので、そろそろ戻ろうかと促すが、彼女は小さく首を振る。そこで天幕にしつらえられているソファーに彼女を座らせ、入り口を大きく開け放った。
 完全に落とさないでおいた炉の火を再び起こし、沸かしたお湯でハーブティーを淹れた。オリガが淹れてくれたものよりは遥かに味は劣ってしまうが、2人でそれを飲みながらしばし絶景を堪能する。
「あ!」
 オリガが声を上げると同時に星の海の中を流れ星が横切っていく。俺は彼女と共にこの幸せが長く続くことを強く願った。


 翌日、目を覚ますと随分日が高くなっていた。俺が身じろぎすると腕の中のオリガも目を覚まし、恥ずかし気におはようと挨拶する。俺がおはようと返して口づけをすると、オリガは俺の腕の中から抜け出しと居住まいを正した。俺もつられて体を起こす。
「ルーク、素敵な場所に連れてきてくれてありがとう」
 オリガはそう言って彼女から口づけてくる。ああ、もう、そんなことをしたらまた押し倒したくなるじゃないか。でも、喜んでくれたみたいで嬉しい。俺は彼女を抱きしめてまた口づけた。
 本当はこのまま2人で籠っていたい気もするが、ここは家ではないし、エアリアルの世話もしなきゃいけない。俺はもう一度彼女に口づけると、名残惜しいがエアリアルの世話をしてくると言って渋々寝台から抜け出すのだった。
 結局この日のエアリアルの世話はシュテファンが済ませてくれていた。彼が持ってきてくれた朝と昼を兼ねた食事を済ませ、俺とオリガは昼過ぎまでこの場所でゆっくりと過ごしたのだった。
 ちなみにこの野営地の撤収は訓練と称したシュテファンと自警団の面々が引き受けてくれた。面倒なことを全部押し付けてしまった気がするが、元々簡素にする予定だったのを大掛かりにしてしまったのは彼等のなので、そこは気兼ねなく任せることができたのだった。



 休暇を満喫しているうちに俺達のアジュガ滞在も残すところあと1日となっていた。最終日はどう過ごすかまだ決めていなかったが、オリガの希望でもう一度あの湖のほとりへ行ってみることになった。もちろん長居はせず、あちらで少し散策してお弁当を食べて帰って来ようと決めた。
 そんな話をしながら2人で午後のお茶を楽しんでいると、来客があった。出てみるとシュテファンと久しぶりにその顔を見るラウルの姿があった。
「おう、どうした?」
「殿下から手紙を預かってまいりました」
 聞くまでもなく火急の用事だろう。俺が一先ず2人を居間に迎え入れると、オリガは手早く追加のお茶を用意して持ってきた。
 俺も居間のソファーに腰掛け、ラウルから受け取った書簡筒を開けて手紙を取り出す。それは珍しいことに殿下直筆のものだった。相変わらずほれぼれするほど流麗な文字だが、いきなり「オリガとの蜜月を邪魔して申し訳ない」なんて冷やかしの言葉を入れるのはやめてほしい。だが、手紙を読み進めているうちにそんな事はどうでもよくなってくる。
「何かありましたの?」
 いつの間にか表情が険しくなっていたらしい。オリガが心配そうに声をかけてきた。俺は顔を上げると、読み終えた手紙をオリガに手渡した。
「皇都で奥方様を貶めるような噂が広がっているらしい」
「なんてことを……」
 俺が殿下を尊敬しているように、オリガは奥方様を敬愛している。看過できない事態に彼女からは悲しみと怒りが伝わってくる。
「殿下は他に何かおおせになっていたか?」
「奥方様の姿を見れば、根も葉もない噂などすぐになくなるが、少しでも嫌な思いはしてほしくないと仰せでした」
 殿下の気持ちは痛いほどよくわかる。俺だってオリガが同じような目に合えば悔しいし、会ってもらえれば絶対に分かってもらえる自信はある。同時に彼女には極力嫌な思いはしてほしくないという思いもある。
「明日、皇都に向かおう」
「ええ」
 俺達に迷いはない。手紙には早めに皇都に向かい、対処しているサントリナ公やブランドル公方の手助けをしてほしいと書かれていた。俺達に出来ることは限られるだろうが、それでもあの方々の為に出来ることは何でもしたい。ラウルもシュテファンも異論はないらしく、その場で打ち合わせを始める。
 まずフォルビアから飛んできたラウルには休んでてもらい、シュテファンには一足早く皇都に向かってもらって俺達が予定より1日早く皇都入りすることを伝えてもらうことになった。俺とオリガは母さん達に明日朝出立することを伝え、荷物をまとめてこの家を片付けておくことにした。
 せっかくオリガが淹れてくれたのでお茶を飲んで一息つき、それから各自行動を開始する。茶器を片付けた俺達は先ずは隣の実家に顔を出す。ちょうど母さんが夕飯の下ごしらえを始めようとしていたところで、皇都への出立が1日早まった旨を伝えると、夕飯を一緒に食べようと誘ってくれた。
 元々、明日の夜はまたみんなで集まって食事をしようと言っていたところだった。あいさつ回りと片付けもあるので、そのお誘いは非常に助かる。俺達は礼を言うとまた後で来ると言って実家を後にした。
 その後は父さんの作業場と兄さんの工房、自警団にも顔を出して都合で出立が早まったと挨拶して回った。帰りに『踊る牡鹿亭』にも寄って店主に挨拶すると、ラウルやシュテファンから先に話を聞いていたらしい。店主は仕事の途中だったにもかかわらずカミラを休みにしておまけに名物のミートパイを持たせてくれた。俺達は礼を言って受け取り、また来た時には寄ると言って店を後にした。
 ビレア家へ戻ってくる頃には辺りが暗くなっていた。玄関の扉を叩いて家に入ると、父さんだけでなく先程挨拶をした兄さんとリーナ義姉さんも来ていた。カミラも一緒に帰って来たので家族全員がそろっての夕食となった。
 この滞在期間中でオリガもこの町にもすっかり慣れ、家族とも滞在中の思い出話に花が咲く。そして終始和やかに夕餉は済んだのだった。


 そして翌朝、来た時同様、旅装に身を包んだ俺達は町の着場に来ていた。装具を整えた飛竜に荷物をくくり付け、もう準備万端である。
「気を付けて行っておいで」
「ああ、ありがとう母さん」
 早朝にもかかわらず、家族はもちろん、ザムエル達自警団を始め多くの人が見送りに来てくれていた。実のところ、クラインさんは町を留守にしているので顔を合わせなくて済んでホッとしている。
「オリガさんも、ここを家だと思っていつでもいらっしゃい」
「ありがとうございます」
 母さんにそう声を掛けられたオリガは、優しく抱擁を交わしていた。名残惜しいがいつまでもそうしていられない。俺はオリガを促してエアリアルの背に乗せ、騎乗帯で固定する。そして集まってくれた町の人達に一礼をしてから相棒の背に跨った。
「では、行ってきます」
 俺達はみんなに手を振り、エアリアルを飛び立たせる。そして朝日に照らされる町の上空をぐるっと一周してから皇都に向かったのだった。

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