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第2章 タランテラの悪夢
208 群青の空の下で3
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「私は君に感謝しているのだよ」
「感謝、ですか?」
唐突に言われてエドワルドは目を瞬かせる。すると徐にミハイルは昔話を始めた。
「私には歳の離れた弟がいた。頭が良く、神童とも称えられて周囲は次代の王として随分期待していた。だが、体が弱く、更には竜騎士の能力が脆弱だったため、内乱後の国を立て直すには向かないと判断した養母は実の子の彼では無く私を後継者と定めた。
だが、養父の命と引き換えにようやく内乱が治まったと言うのに、その決定に不満を抱く一部の者達が弟を拉致して政変を企てる計画をたてた。それを知った弟は、母にも私にも相談せずに1人で悩み、結局、その計画が実行される前にブレシッドの名を捨てて家を出て行ってしまった。その後は礎の里に赴き、学問の道を選んだ。この時、あの子はまだ10歳だった」
ミハイルの昔話にエドワルドは口を挟まずじっと耳を傾ける。
「幸い、里で師匠となる賢者に出会い、彼の下で薬学を学んだ。彼が成人して独り立ちした後、師匠であるその賢者が他の賢者に疎まれて聖域へ移動させられた。彼の身を案じた弟は師匠の後を追い、自ら進んで聖域に移った。そしてあちらで彼の娘と恋をして2人は結ばれた。
しばらくは穏やかに生活していた様だ。密かにやり取りしていた手紙でも文面から幸せを感じられて安堵していた。だが、ある年、流行病で弟夫婦はあっけなく……」
ミハイルはそこで言葉をきると、杯の中身を口にする。そして一つ息をはくと言葉をつづけた。
「知らせを聞き、どうにか仕事の折り合いをつけて駆けつけた時には既に葬儀は終わっていた。2人の墓に参り、その後、弟の師匠である賢者に子供達と引きあわせてもらって驚いた。女の子は養母に、男の子は弟によく似ていた。だが、その内包する力は養父が備えていた力と酷似している。その子達がフレアとアレスだ」
「……」
話の流れから予期していたが、それでもエドワルドは思わず息を飲んだ。
「私は幼かったのでうろ覚えだったが、私の武術の指南役の竜騎士は養父に心酔していた1人で、よく彼の素晴らしさを語っていた。特にパートナーを決めてはいなかったが、炎、風、水、大地、いずれの資質の飛竜とも意思の疎通を難なくこなし、馬も1人で数百頭を余裕で操っていたと言う。本人は先祖返りなのだと言っていたらしい」
「先祖返り?」
エドワルドが聞き返すと、ミハイルはうなずく。
「太古の昔、大いなる母神ダナシアが始祖の竜騎士に与えた力は、4つの資質を全て兼ね備えていたと聞いた事がある。ダナシアが与えた力故、当時は光の力とも呼ばれていたらしい。代を経るごとにその力は徐々に弱まっていき、更にそれぞれの力が特化して現在の形となり、光の力という呼び方はされなくなったと聞く」
「光の力……」
エドワルドは昔、教師役にしつこく聞いてみた事があった。飛竜レースで使われる力を象徴する5つの印章の内、炎、風、水、大地の力はあるのにどうして光の力はないのかと。教師役は光の力は廃れたのだと言っていたがここに実在しているとは……。
「あの子達の力を目の当たりにしてどう思った?」
ミハイルの問いに、エドワルドが思い浮かべたのは2年前に助けた折に見たフレアの力だった。その強さに衝撃を受け、その美しさに釘付けとなった。小竜との約束もそうだが、あの力を見なければ彼女をそこまで気にかけなかったかもしれない。
「何か惹かれるものを感じます。そして……彼等が竜騎士でないのが惜しいと思いました」
エドワルドの答えにミハイルはフッと笑みをこぼす。
「大抵の者は、その強すぎる力を気味悪がるのだよ。もしくは彼等を手に入れて利用しようとするか、そのどちらかだ。その悪意から守るために幼かった2人を手元に引き取ったのだが、かえって逆効果になってしまった。
アレスはその力を恐れた連中に貶められ、フレアはその力を欲する者達から強引に結婚を迫られた。私達に害が及ぶのを恐れたあの子は自らの幸せを諦め、生涯をダナシアに捧げる決意を固めていたようだ」
ミハイルはここで一旦言葉をきると、空になったエドワルドの杯にワインを注ぎ、ついでに自分の杯も満たした。
「生まれ故郷に帰ると言うあの子を止める事が私達にはできなかった。それでも、あちらで生きがいを見つけた様子だったので、しばらくはそっとしておくつもりだった。
だが、ベルクがあの子の噂を聞きつけ、その姿を垣間見て固執しだした。終いには自分達は思いあっているのに周囲にいる賢者ペドロや私達が反対して邪魔をしていると言い出す始末。しかもそれをまるで事実の様に広められてしまった」
道理で自分への風当たりが強かったわけだ。エドワルドは妙に納得して注がれた杯の中身を飲み干した。
「そんな時にあの事件は起きた」
フレアが行方不明となったあの事件である。
「私は君に感謝している」
ミハイルは一度立ち上がると跪いて竜騎士の最敬礼をエドワルドに送る
「え? や、止めてください……」
エドワルドにとってミハイルは憧れの人物であり、雲の上の存在だった。そんな彼に敬礼されてひどく狼狽《ろうばい》する。
「娘を助けてくれてありがとう。そして手厚く遇してくれたことに感謝する。私、ミハイル・シオンはエドワルド・クラウス殿下の崇高なる竜騎士の精神に敬意を表する」
「本当に……やめて下さい。当然の事をしたまでで……」
狼狽するエドワルドをよそにミハイルはもう一度深々と頭を下げる。そして再び顔を上げると、ようやく彼が知りたかった答えを告げる。
「その、当然の事が嬉しいのだよ。普通ならば目も見えず、記憶も無い得体のしれない人物は適当に厄介払いされるのがオチだ。それを貴公は客として扱い、そのおかげで私達は娘に再び会うことが出来た。
そして他人と違う事で人並みの幸せを諦めていたあの子が本当の恋をしたおかげでようやく自らの幸せを求めるようになった。だからこそアレスやルイスも手を貸す気になったようだ。それにな、君はもう我々の家族だ。困っている家族に手を貸すのは当然だろう?」
「家族……ですか?」
「そうだろう? 君は私の娘を娶った。父親というにはあまりにも頼り無いとは思うが、そう思ってもらえると嬉しい」
思ってもいなかった答えにエドワルドは答えに詰まる。だが、ミハイルに家族の一員と認めてもらえるのは素直に嬉しいと思えた。
「ありがとう……ございます」
「国の立て直しはこれからだが、1つ忠告をしておこう。全てを自分の責任と思い、背負い込みすぎない事だ。養母はプルメリアの内乱の全てが自分の所為だと口癖のように言っていた。終結した後は誹謗中傷も一身に受けて1人で奔走していたよ。結果、その無理が祟って早世してしまった。
時には部下を頼るといい。君を信じて付いて来てくれる有能な部下が付いている。これは得難い財産だと思う」
ミハイルの言葉はいつだか兄に言われた言葉を思い起こさせた。
「……兄にも同じような事を言われた事があります」
「そうかね? ならば忠告するまでも無かったな」
ミハイルは人懐っこい笑みを浮かべるとようやく立ち上がる。
「さて、明日に差し支えるとまずいからこの辺でお開きとしようか」
「はい……」
明日は大事な儀式がある。彼女の晴れ舞台なのに、父親と夫が揃って二日酔いでは台無しになってしまう。
「あ、そうそう。言い忘れていたが、最初に飲んだワインの製造元の現在の所有者はフレアになっている。今年の新酒からそちらに送る故、楽しみにしていてくれ」
「はい?」
「細かい管理は今まで通り雇っていた責任者が全て行う。フレアにさせてもいいが、報告書にだけ目を通せばいい」
どうやらフレアの持参金の一部らしい。何から何まで至れり尽くせりでしかもこちらに手間がかからない様にもなっている。
「それから、その残りは置いていく。好きにしてくれて構わない」
テーブルにはまだ未開封のワインが数本残っている。どれも年代物で普通ではなかなか手に入らない物ばかりだ。どうやら輸送に神経を使うので、持って帰るのが面倒らしい。
「は、はい、ありがとうございます」
辛うじて礼を言えたが、ミハイルはさっさと部屋を出て行ってしまったので聞こえたかどうかも怪しい。
「……ありがたいことだ」
ワインの事ばかりでは無い。大陸を代表するような人物が自分を信用してくれている。そうで無ければ公にしていない事実までは話してくれなかっただろう。1人になったエドワルドは、ミハイルが出て行った戸口に向けて改めて騎士の礼をとった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
首座様はフィルカンサスに括り付けて年代物のワインを10本ほど持ち込んでいます。エドワルドと飲むのを密かに楽しみにしていた模様。
「感謝、ですか?」
唐突に言われてエドワルドは目を瞬かせる。すると徐にミハイルは昔話を始めた。
「私には歳の離れた弟がいた。頭が良く、神童とも称えられて周囲は次代の王として随分期待していた。だが、体が弱く、更には竜騎士の能力が脆弱だったため、内乱後の国を立て直すには向かないと判断した養母は実の子の彼では無く私を後継者と定めた。
だが、養父の命と引き換えにようやく内乱が治まったと言うのに、その決定に不満を抱く一部の者達が弟を拉致して政変を企てる計画をたてた。それを知った弟は、母にも私にも相談せずに1人で悩み、結局、その計画が実行される前にブレシッドの名を捨てて家を出て行ってしまった。その後は礎の里に赴き、学問の道を選んだ。この時、あの子はまだ10歳だった」
ミハイルの昔話にエドワルドは口を挟まずじっと耳を傾ける。
「幸い、里で師匠となる賢者に出会い、彼の下で薬学を学んだ。彼が成人して独り立ちした後、師匠であるその賢者が他の賢者に疎まれて聖域へ移動させられた。彼の身を案じた弟は師匠の後を追い、自ら進んで聖域に移った。そしてあちらで彼の娘と恋をして2人は結ばれた。
しばらくは穏やかに生活していた様だ。密かにやり取りしていた手紙でも文面から幸せを感じられて安堵していた。だが、ある年、流行病で弟夫婦はあっけなく……」
ミハイルはそこで言葉をきると、杯の中身を口にする。そして一つ息をはくと言葉をつづけた。
「知らせを聞き、どうにか仕事の折り合いをつけて駆けつけた時には既に葬儀は終わっていた。2人の墓に参り、その後、弟の師匠である賢者に子供達と引きあわせてもらって驚いた。女の子は養母に、男の子は弟によく似ていた。だが、その内包する力は養父が備えていた力と酷似している。その子達がフレアとアレスだ」
「……」
話の流れから予期していたが、それでもエドワルドは思わず息を飲んだ。
「私は幼かったのでうろ覚えだったが、私の武術の指南役の竜騎士は養父に心酔していた1人で、よく彼の素晴らしさを語っていた。特にパートナーを決めてはいなかったが、炎、風、水、大地、いずれの資質の飛竜とも意思の疎通を難なくこなし、馬も1人で数百頭を余裕で操っていたと言う。本人は先祖返りなのだと言っていたらしい」
「先祖返り?」
エドワルドが聞き返すと、ミハイルはうなずく。
「太古の昔、大いなる母神ダナシアが始祖の竜騎士に与えた力は、4つの資質を全て兼ね備えていたと聞いた事がある。ダナシアが与えた力故、当時は光の力とも呼ばれていたらしい。代を経るごとにその力は徐々に弱まっていき、更にそれぞれの力が特化して現在の形となり、光の力という呼び方はされなくなったと聞く」
「光の力……」
エドワルドは昔、教師役にしつこく聞いてみた事があった。飛竜レースで使われる力を象徴する5つの印章の内、炎、風、水、大地の力はあるのにどうして光の力はないのかと。教師役は光の力は廃れたのだと言っていたがここに実在しているとは……。
「あの子達の力を目の当たりにしてどう思った?」
ミハイルの問いに、エドワルドが思い浮かべたのは2年前に助けた折に見たフレアの力だった。その強さに衝撃を受け、その美しさに釘付けとなった。小竜との約束もそうだが、あの力を見なければ彼女をそこまで気にかけなかったかもしれない。
「何か惹かれるものを感じます。そして……彼等が竜騎士でないのが惜しいと思いました」
エドワルドの答えにミハイルはフッと笑みをこぼす。
「大抵の者は、その強すぎる力を気味悪がるのだよ。もしくは彼等を手に入れて利用しようとするか、そのどちらかだ。その悪意から守るために幼かった2人を手元に引き取ったのだが、かえって逆効果になってしまった。
アレスはその力を恐れた連中に貶められ、フレアはその力を欲する者達から強引に結婚を迫られた。私達に害が及ぶのを恐れたあの子は自らの幸せを諦め、生涯をダナシアに捧げる決意を固めていたようだ」
ミハイルはここで一旦言葉をきると、空になったエドワルドの杯にワインを注ぎ、ついでに自分の杯も満たした。
「生まれ故郷に帰ると言うあの子を止める事が私達にはできなかった。それでも、あちらで生きがいを見つけた様子だったので、しばらくはそっとしておくつもりだった。
だが、ベルクがあの子の噂を聞きつけ、その姿を垣間見て固執しだした。終いには自分達は思いあっているのに周囲にいる賢者ペドロや私達が反対して邪魔をしていると言い出す始末。しかもそれをまるで事実の様に広められてしまった」
道理で自分への風当たりが強かったわけだ。エドワルドは妙に納得して注がれた杯の中身を飲み干した。
「そんな時にあの事件は起きた」
フレアが行方不明となったあの事件である。
「私は君に感謝している」
ミハイルは一度立ち上がると跪いて竜騎士の最敬礼をエドワルドに送る
「え? や、止めてください……」
エドワルドにとってミハイルは憧れの人物であり、雲の上の存在だった。そんな彼に敬礼されてひどく狼狽《ろうばい》する。
「娘を助けてくれてありがとう。そして手厚く遇してくれたことに感謝する。私、ミハイル・シオンはエドワルド・クラウス殿下の崇高なる竜騎士の精神に敬意を表する」
「本当に……やめて下さい。当然の事をしたまでで……」
狼狽するエドワルドをよそにミハイルはもう一度深々と頭を下げる。そして再び顔を上げると、ようやく彼が知りたかった答えを告げる。
「その、当然の事が嬉しいのだよ。普通ならば目も見えず、記憶も無い得体のしれない人物は適当に厄介払いされるのがオチだ。それを貴公は客として扱い、そのおかげで私達は娘に再び会うことが出来た。
そして他人と違う事で人並みの幸せを諦めていたあの子が本当の恋をしたおかげでようやく自らの幸せを求めるようになった。だからこそアレスやルイスも手を貸す気になったようだ。それにな、君はもう我々の家族だ。困っている家族に手を貸すのは当然だろう?」
「家族……ですか?」
「そうだろう? 君は私の娘を娶った。父親というにはあまりにも頼り無いとは思うが、そう思ってもらえると嬉しい」
思ってもいなかった答えにエドワルドは答えに詰まる。だが、ミハイルに家族の一員と認めてもらえるのは素直に嬉しいと思えた。
「ありがとう……ございます」
「国の立て直しはこれからだが、1つ忠告をしておこう。全てを自分の責任と思い、背負い込みすぎない事だ。養母はプルメリアの内乱の全てが自分の所為だと口癖のように言っていた。終結した後は誹謗中傷も一身に受けて1人で奔走していたよ。結果、その無理が祟って早世してしまった。
時には部下を頼るといい。君を信じて付いて来てくれる有能な部下が付いている。これは得難い財産だと思う」
ミハイルの言葉はいつだか兄に言われた言葉を思い起こさせた。
「……兄にも同じような事を言われた事があります」
「そうかね? ならば忠告するまでも無かったな」
ミハイルは人懐っこい笑みを浮かべるとようやく立ち上がる。
「さて、明日に差し支えるとまずいからこの辺でお開きとしようか」
「はい……」
明日は大事な儀式がある。彼女の晴れ舞台なのに、父親と夫が揃って二日酔いでは台無しになってしまう。
「あ、そうそう。言い忘れていたが、最初に飲んだワインの製造元の現在の所有者はフレアになっている。今年の新酒からそちらに送る故、楽しみにしていてくれ」
「はい?」
「細かい管理は今まで通り雇っていた責任者が全て行う。フレアにさせてもいいが、報告書にだけ目を通せばいい」
どうやらフレアの持参金の一部らしい。何から何まで至れり尽くせりでしかもこちらに手間がかからない様にもなっている。
「それから、その残りは置いていく。好きにしてくれて構わない」
テーブルにはまだ未開封のワインが数本残っている。どれも年代物で普通ではなかなか手に入らない物ばかりだ。どうやら輸送に神経を使うので、持って帰るのが面倒らしい。
「は、はい、ありがとうございます」
辛うじて礼を言えたが、ミハイルはさっさと部屋を出て行ってしまったので聞こえたかどうかも怪しい。
「……ありがたいことだ」
ワインの事ばかりでは無い。大陸を代表するような人物が自分を信用してくれている。そうで無ければ公にしていない事実までは話してくれなかっただろう。1人になったエドワルドは、ミハイルが出て行った戸口に向けて改めて騎士の礼をとった。
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