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第2章 タランテラの悪夢
158 未来に馳せる想い3
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「そう怒るなアスター」
会議終了後、憮然としているアスターをエドワルドは執務室に誘う。その場には他にリカルドもいたので、自然とアスターの怒りの矛先は彼に向かう。
「どうして辞退なさったのですか? ワールウェイド公には貴公がなるとばかり思っておりました」
「先の当主とその親族の不祥事により、明確な後継者がいない今、誰が当主となっても不満は出るものだ。だが、ワールウェイド領では多少知られている程度の私がなるよりも、救国の英雄の1人としてはるかに知名度が高い貴公がなった方が、その不満は抑えられると思うのだ」
「……」
リカルドの冷静な分析にアスターも返す言葉が無い。
「お前には皇都で私の補佐もしてもらうから、リカルド殿には城代としてワールウェイド領で手腕を発揮してもらう。勿論、マリーリアにも仕事を覚えてもらって、分担できることは分担すると良い」
既に2人の間では話がついていたのだろう。リカルドも嫌がる様子は見せずに静かに頭を下げた。
「しかし……」
「往生際が悪いぞ。それとも嫌なのか?」
未だに渋るアスターにエドワルドは白い目を向ける。
「いえ、マリーリアとはいずれ……と思っておりましたが、あまりに急で納得がいかないと言うか、腑に落ちないと言うか……」
「そのつもりがあったのなら、少し早まっただけで問題ないだろう」
「……審理に不利に働きませんか?」
一番の懸念は自分達の事が元になってエドワルドに累が及ばないかである。何故かエドワルドに対して異様な対抗心を燃やしているらしいベルクは、どんなことでも揚げ足を取ってきそうな雰囲気である。
審理の詳しい通達はまだ届いていないが、彼が仕切るとなると、こちらに非は無くとも何かしらの罰則を与えてきそうだ。
「心配するな。我々は何もやましいことはしていない。お前達の婚礼も大神殿から正式に許可を頂いたものだ。この件でどうこう言われる筋合いはない」
「そうですか……それならよろしいのですが……」
一抹の不安はぬぐいきれない。だがエドワルドが、自分達の為にここまで心を砕いてくれているとなると、ようやく割り切ることが出来そうだった。
「マリーリアの支度は姉上方に任せておけば大丈夫だろう。随分張り切っておられたが、情勢も考慮してくれるはずだ」
エドワルドが頼ったのはソフィアにセシーリア、ブランドル公夫人といったこの国で最も影響力の強い女性達である。彼女達ならば、華美になりすぎず、且つ皇家の権威を落とすことなく最高の結婚式を演出してくれるだろう。
「お手数をおかけします」
「お前も準備しておけよ。花婿は引き立て役だと言うが、あまり貧相だと話にならん。それと、婚礼の翌日から3日は休みを取れ」
「準備は構いませんが、3日も休みは取れません」
「新婚だろうが、新妻をかまってやれ。……マルモアの郊外にジェラルド兄上が良く訪れていた別荘がある。あの子を連れて行ってくれないか?」
絵を描くのを趣味としていたジェラルドのアトリエだったその別荘は、たまに管理人が掃除する程度で長く放置されていた。ゲオルグは大して興味を示さなかったので、そこには彼の遺品がたくさん眠っている筈だった。もしかしたら今際にグスタフが言い残したのはこの別荘の事だったのかもしれない。
「分かりました」
マルモアならば、何かあってもすぐに駆けつけられる距離である。そして何よりマリーリアの為になるのなら、アスターも断る理由は無かった。
「その代わり、前倒して仕事はしてもらう」
「分かっております」
エドワルドが人の悪い笑みを浮かべると、アスターは神妙に頷いた。
「私の妹を娶り身内になる。引き続き頼むぞ」
「私も兄上とお呼びした方が宜しいですか?」
「……やめてくれ」
勝手に結婚の日時を決められた意趣返しか、それとも本気なのか、いつもと変わらぬ表情のアスターの申し出に悪寒が走ったらしいエドワルドはブルリと体を震わせる。
当代の英雄達のそんなやり取りをリカルドはただ、年長者の余裕で微笑ましげに眺めていた。
カーマインとファルクレインは卵に呼びかける様に鳴いていた。中からはそれに応える様にコツコツと突く音が返って来る。その様子をアスターとマリーリアは保温された室の隅で見守っていた。
「もうすぐね」
「そうだな」
卵が孵りそうだとそれぞれのパートナーから知らせがあったのは、2人の婚礼が決定した会議の翌日の事だった。2人は、抱えていた仕事を投げ出して様子を見に来ていた。他にも見学希望者が殺到したのだが、竜舎の主の係官が一喝し、孵った子竜を驚かさない為にも中で見守るのは彼等だけになったのだ。
中から突く音が激しくなり、やがて3つの内で最も大きな卵にピキッと音がしてひびが入る。そして殻が完全に割れると、赤褐色の雛竜が殻から転がり出てきた。
キュー、キュー、キュー。
雛竜はカーマインに甘えた声を上げ、カーマインはクルクルと優しい声を出しながら雛竜の世話をする。その様子を2人は安堵して見守る。
「よかった……」
色々とあった末に孵った雛だけに、感慨も一入だった。マリーリアは知らないうちに涙が溢れていた。そんな彼女をアスターは無言でそっと抱き寄せた。
ほどなくして2つ目、3つ目の卵からも雛が孵り、キュー、キューと甘える声が室に響く。そこへ絶妙なタイミングで竜舎の主が雛用の餌を用意してくる。
「ほれ、喰いな」
細かく刻んだ鶏肉と野菜をミルクで煮込んですりつぶしてあった。匂いに連れられて雛たちは餌の器に群がる。
「無事に孵って良かったのぉ」
「はい」
「爺さんのおかげだ」
「ワシは仕事をしておるだけじゃ」
老人は憎まれ口を叩くが、雛竜達に送る視線はあくまでも優しい。餌は瞬く間に雛達の胃袋に収まり、器は空になった。満腹になった雛達はカーマインとファルクレインの元に戻ると、そのまま丸まって昼寝を始めた。
「3匹とも問題なしじゃの」
「良かった」
竜舎の主から雛達の健康状態にお墨付きをもらい、マリーリアはホッと安堵の息を漏らす。そんな彼女の肩をアスターは抱きよせる。
「そろそろ邪魔者は退散いたすかの」
そんな2人を入り目に、竜舎の主は悪戯っぽく笑うと室から出て行った。
「ねえ、アスター」
「何だ?」
「私にワールウェイド公が勤まると思う?」
恋人の顔を覗き込むと、彼女の瞳は不安で揺らいでいた。
「できるだろう。ちょうど1年前、殿下がフロリエ様に仰った言葉だが、出来る事からやればいい。後の事はリカルド殿や私に任せて、一つ一つ覚えていくんだ」
「アスター……」
マリーリアは抱きしめてくれる恋人の胸に顔を埋める。そんな彼女の頭をアスターは優しく撫でた。
「君1人に重荷を背負わせない。いくらでも頼ってくれ」
「アスター……」
マリーリアはアスターに縋ったまま小さくうなずいた。やっぱり不安だったのだろう。泣いているのか、その背中が震えている。彼は彼女が落ち着くまでその背中を抱き続けた。
会議終了後、憮然としているアスターをエドワルドは執務室に誘う。その場には他にリカルドもいたので、自然とアスターの怒りの矛先は彼に向かう。
「どうして辞退なさったのですか? ワールウェイド公には貴公がなるとばかり思っておりました」
「先の当主とその親族の不祥事により、明確な後継者がいない今、誰が当主となっても不満は出るものだ。だが、ワールウェイド領では多少知られている程度の私がなるよりも、救国の英雄の1人としてはるかに知名度が高い貴公がなった方が、その不満は抑えられると思うのだ」
「……」
リカルドの冷静な分析にアスターも返す言葉が無い。
「お前には皇都で私の補佐もしてもらうから、リカルド殿には城代としてワールウェイド領で手腕を発揮してもらう。勿論、マリーリアにも仕事を覚えてもらって、分担できることは分担すると良い」
既に2人の間では話がついていたのだろう。リカルドも嫌がる様子は見せずに静かに頭を下げた。
「しかし……」
「往生際が悪いぞ。それとも嫌なのか?」
未だに渋るアスターにエドワルドは白い目を向ける。
「いえ、マリーリアとはいずれ……と思っておりましたが、あまりに急で納得がいかないと言うか、腑に落ちないと言うか……」
「そのつもりがあったのなら、少し早まっただけで問題ないだろう」
「……審理に不利に働きませんか?」
一番の懸念は自分達の事が元になってエドワルドに累が及ばないかである。何故かエドワルドに対して異様な対抗心を燃やしているらしいベルクは、どんなことでも揚げ足を取ってきそうな雰囲気である。
審理の詳しい通達はまだ届いていないが、彼が仕切るとなると、こちらに非は無くとも何かしらの罰則を与えてきそうだ。
「心配するな。我々は何もやましいことはしていない。お前達の婚礼も大神殿から正式に許可を頂いたものだ。この件でどうこう言われる筋合いはない」
「そうですか……それならよろしいのですが……」
一抹の不安はぬぐいきれない。だがエドワルドが、自分達の為にここまで心を砕いてくれているとなると、ようやく割り切ることが出来そうだった。
「マリーリアの支度は姉上方に任せておけば大丈夫だろう。随分張り切っておられたが、情勢も考慮してくれるはずだ」
エドワルドが頼ったのはソフィアにセシーリア、ブランドル公夫人といったこの国で最も影響力の強い女性達である。彼女達ならば、華美になりすぎず、且つ皇家の権威を落とすことなく最高の結婚式を演出してくれるだろう。
「お手数をおかけします」
「お前も準備しておけよ。花婿は引き立て役だと言うが、あまり貧相だと話にならん。それと、婚礼の翌日から3日は休みを取れ」
「準備は構いませんが、3日も休みは取れません」
「新婚だろうが、新妻をかまってやれ。……マルモアの郊外にジェラルド兄上が良く訪れていた別荘がある。あの子を連れて行ってくれないか?」
絵を描くのを趣味としていたジェラルドのアトリエだったその別荘は、たまに管理人が掃除する程度で長く放置されていた。ゲオルグは大して興味を示さなかったので、そこには彼の遺品がたくさん眠っている筈だった。もしかしたら今際にグスタフが言い残したのはこの別荘の事だったのかもしれない。
「分かりました」
マルモアならば、何かあってもすぐに駆けつけられる距離である。そして何よりマリーリアの為になるのなら、アスターも断る理由は無かった。
「その代わり、前倒して仕事はしてもらう」
「分かっております」
エドワルドが人の悪い笑みを浮かべると、アスターは神妙に頷いた。
「私の妹を娶り身内になる。引き続き頼むぞ」
「私も兄上とお呼びした方が宜しいですか?」
「……やめてくれ」
勝手に結婚の日時を決められた意趣返しか、それとも本気なのか、いつもと変わらぬ表情のアスターの申し出に悪寒が走ったらしいエドワルドはブルリと体を震わせる。
当代の英雄達のそんなやり取りをリカルドはただ、年長者の余裕で微笑ましげに眺めていた。
カーマインとファルクレインは卵に呼びかける様に鳴いていた。中からはそれに応える様にコツコツと突く音が返って来る。その様子をアスターとマリーリアは保温された室の隅で見守っていた。
「もうすぐね」
「そうだな」
卵が孵りそうだとそれぞれのパートナーから知らせがあったのは、2人の婚礼が決定した会議の翌日の事だった。2人は、抱えていた仕事を投げ出して様子を見に来ていた。他にも見学希望者が殺到したのだが、竜舎の主の係官が一喝し、孵った子竜を驚かさない為にも中で見守るのは彼等だけになったのだ。
中から突く音が激しくなり、やがて3つの内で最も大きな卵にピキッと音がしてひびが入る。そして殻が完全に割れると、赤褐色の雛竜が殻から転がり出てきた。
キュー、キュー、キュー。
雛竜はカーマインに甘えた声を上げ、カーマインはクルクルと優しい声を出しながら雛竜の世話をする。その様子を2人は安堵して見守る。
「よかった……」
色々とあった末に孵った雛だけに、感慨も一入だった。マリーリアは知らないうちに涙が溢れていた。そんな彼女をアスターは無言でそっと抱き寄せた。
ほどなくして2つ目、3つ目の卵からも雛が孵り、キュー、キューと甘える声が室に響く。そこへ絶妙なタイミングで竜舎の主が雛用の餌を用意してくる。
「ほれ、喰いな」
細かく刻んだ鶏肉と野菜をミルクで煮込んですりつぶしてあった。匂いに連れられて雛たちは餌の器に群がる。
「無事に孵って良かったのぉ」
「はい」
「爺さんのおかげだ」
「ワシは仕事をしておるだけじゃ」
老人は憎まれ口を叩くが、雛竜達に送る視線はあくまでも優しい。餌は瞬く間に雛達の胃袋に収まり、器は空になった。満腹になった雛達はカーマインとファルクレインの元に戻ると、そのまま丸まって昼寝を始めた。
「3匹とも問題なしじゃの」
「良かった」
竜舎の主から雛達の健康状態にお墨付きをもらい、マリーリアはホッと安堵の息を漏らす。そんな彼女の肩をアスターは抱きよせる。
「そろそろ邪魔者は退散いたすかの」
そんな2人を入り目に、竜舎の主は悪戯っぽく笑うと室から出て行った。
「ねえ、アスター」
「何だ?」
「私にワールウェイド公が勤まると思う?」
恋人の顔を覗き込むと、彼女の瞳は不安で揺らいでいた。
「できるだろう。ちょうど1年前、殿下がフロリエ様に仰った言葉だが、出来る事からやればいい。後の事はリカルド殿や私に任せて、一つ一つ覚えていくんだ」
「アスター……」
マリーリアは抱きしめてくれる恋人の胸に顔を埋める。そんな彼女の頭をアスターは優しく撫でた。
「君1人に重荷を背負わせない。いくらでも頼ってくれ」
「アスター……」
マリーリアはアスターに縋ったまま小さくうなずいた。やっぱり不安だったのだろう。泣いているのか、その背中が震えている。彼は彼女が落ち着くまでその背中を抱き続けた。
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