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50.初めて触れる心
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昨夜も透也は遅くに帰宅している。彼は仕事と結婚式の準備に忙しく、いつも帰宅する頃、綾芽は夢の中だった。
あれから透也は会長とグループについて話し合ったことは聞いていたけれど、綾芽にとって詳しいことは分からない。透也の様子では、父親に対して複雑な思いを抱き続けてきたことは知っている。けれど、それ以上のことは本人の口からは何も聞いていない。
「綾芽は心配するな」
そう言うだけで、常に忙しそうにしている。少しでも透也の力になりたいとは思うけれど、綾芽にとっては栄養のあるご飯を作るくらいしかできない。それに忙しいせいか、最近は朝食を一緒に摂るのが精一杯だった。
明け方、隣から呻き声が聞こえて、目を覚ます。体を起こして辺りを見回すと、どうやら透也が夢の中でうなされている様子で、眉間にシワを寄せ、苦しそうな表情を浮かべている。
「大丈夫ですか。透也さん!」
声を掛け、揺すり起こすと、透也は薄っすらと瞼を開けた。
「あ、綾芽……」
「どうしたんですか? だいぶお疲れみた――きゃぁっ!」
腕を引っ張られ、枕元に戻された。いつもの調子で襲われるのかと思っていたら、透也は綾芽を懐に抱いたまま、なぜか強く抱きしめてくる。
「綾芽、俺から離れるな……」
いつもと違う様子に心配になった。
「どうしたんです。また何かあったのですか?」
「ごめん……。夢を見ていた」
「いったい、どんな夢だったんですか? 私は透也さんから追い出されない限り、他に行くところなんてありませんけど」
透也を和ませようと少しおどけたつもりが、彼はクスリともせず綾芽を抱きしめたままだった。
「時々嫌な夢を見るんだ。部屋に戻っても綾芽の姿がなくて、いくら探しても見つからない」
「透也さんは忙しすぎるんです。そうだ、今度本当に隠れてみましょうか?」
「そんなことしたら、社長命令で全社員に捜索させるぞ」
そう言って透也の頬が緩み、笑みがこぼれた。
会社での透也の様子を知りたくなって、昼休みを狙い、久しぶりに父へ電話を掛けてみる。
「綾芽が携帯に連絡をしてくるなんて、珍しいな。どうかしたのか?」
「最近、透也さん忙しいでしょ……倒れちゃわないか心配で……」
「――――はっはっはっ。さっそく奥様らしく体調を心配しているのか。確かに、今はホテルの開業準備と仕事の引継ぎで忙しいが、透也様はそんなことで折れるほどヤワじゃない。今までずっと見てきたのだから、大丈夫だ」
父はすっかり秘書をしている頃に戻っていて、生き生きしている様子が声で伝わる。やはり父も透也と一緒に仕事がしたかったのだろう。
「でも……今朝も寝言にうなされて」
「寝言か……。幼い頃にも、時々うなされていたようだった。綾芽にはあまり話してはいないが、透也様は体調を崩しがちの奥様と一緒に過ごせず、会長からも愛情を注がれず、家庭では寂しい想いをされてきた。そのためにお前との交流を持たせたり、様々な場所へ連れて行ったものだ」
「透也さんのお父様である会長はホテルの仕事が忙しくて、相手ができなかったんでしょ?」
「実は綾芽を久我咲家へ嫁がせたくなかった理由の一つが関係している」
父から初めて聞く言葉に、綾芽はスマホを強く握りしめた。
「え、えぇっ!? それって、どういうこと……?」
父からはずっと呪文のように語られた透也への約束事を思い返していた。その言葉に、他にも意味があったなんて。
「お前は透也様から請われて嫁ぐのだから、もう心配は要らないないが。久我咲会長は透也様が生まれてから、奥様に興味を失くし、常に他の女性の元へと通っていらした。奥様はそれを苦悩なさり、病に伏されていた。もし綾芽が久我咲家へ嫁いだりしたら、何かの争いに巻き込まれないかと……父さんはそれがずっと気掛かりだったんだよ」
「そんなっ……お父さんだって分かっているでしょ? 透也さんに限って、そんなことをするような人じゃないことぐらい……」
「もちろんそうだが……透也様は会社を第一に考えて動かなければならない立場だ。そのためにも綾芽を犠牲にすることがあるかもしれないだろう? でも、透也様は何事も最後まで責任を果たす方だ。今では綾芽を幸せにしてもらって感謝している。普段から本当に綾芽のことを大切に想っていることがよく分かる。なぜか透也様は、休憩中よく綾芽の幼い頃の話を聞きたがるんだ」
その言葉に、思わず恥ずかしくなった。
「え、えぇっ!? ……幼い頃のって、いったいどんなことを話しているの?」
「まぁ、いいだろう。とにかく、透也様の胸中にはご両親とのつらい想いがあるんだ。普通の家庭では育っていないのだからね」
「そう……。教えてくれてありがとう。お父さん、透也さんをよろしくね」
「お前からそんなセリフが出るとはなぁ。綾芽はずっと透也様を慕っていたんだな。本当にずいぶんと大人になった……」
父が感慨深く呟く。照れくさくて、軽く返事をして電話を切った。
いつもはうたた寝してしまう深夜、リビングのソファーで透也の帰りを待つ。
今夜も帰宅は深夜になった。シャワーを浴びて、部屋着に着替えた透也がリビングに現れる。ソファーに座る綾芽を見て、驚いた表情を浮かべた。
「今夜は眠り姫にならないのか?」
「透也さん、今夜は何でも話してください。不安なことも、嫌なことも、どんなに小さなことでもいいですから、一晩中、私が聞きますから」
「クククッ。いったい何があったんだ? いいよ。何から話そうか」
楽しそうな笑顔を浮かべながら、ソファーに座る綾芽の隣に腰を下ろした。
「でも、どうしてそんなことを?」
「だって今朝、とてもつらそうにしてたから……。心のわだかまりを吐き出せば、少しは楽になるかと……」
「やっと綾芽を手に入れたのに、幸せ過ぎて、手からこぼれ落ちてしまわないか心配になったんだ。幸せに慣れていない……ただ、それだけだよ」
「私、透也さんを必ず幸せにしますから」
「それは俺が言うセリフだろ?」
「だって……」
「昔、母親がよく俺に言ったんだ。愛する人を見つけて、その子を最後まで幸せにしろって。今ならそれが叶えられそうだよ」
言い終わると、透也は綾芽に甘く長いキスを送った。
あれから透也は会長とグループについて話し合ったことは聞いていたけれど、綾芽にとって詳しいことは分からない。透也の様子では、父親に対して複雑な思いを抱き続けてきたことは知っている。けれど、それ以上のことは本人の口からは何も聞いていない。
「綾芽は心配するな」
そう言うだけで、常に忙しそうにしている。少しでも透也の力になりたいとは思うけれど、綾芽にとっては栄養のあるご飯を作るくらいしかできない。それに忙しいせいか、最近は朝食を一緒に摂るのが精一杯だった。
明け方、隣から呻き声が聞こえて、目を覚ます。体を起こして辺りを見回すと、どうやら透也が夢の中でうなされている様子で、眉間にシワを寄せ、苦しそうな表情を浮かべている。
「大丈夫ですか。透也さん!」
声を掛け、揺すり起こすと、透也は薄っすらと瞼を開けた。
「あ、綾芽……」
「どうしたんですか? だいぶお疲れみた――きゃぁっ!」
腕を引っ張られ、枕元に戻された。いつもの調子で襲われるのかと思っていたら、透也は綾芽を懐に抱いたまま、なぜか強く抱きしめてくる。
「綾芽、俺から離れるな……」
いつもと違う様子に心配になった。
「どうしたんです。また何かあったのですか?」
「ごめん……。夢を見ていた」
「いったい、どんな夢だったんですか? 私は透也さんから追い出されない限り、他に行くところなんてありませんけど」
透也を和ませようと少しおどけたつもりが、彼はクスリともせず綾芽を抱きしめたままだった。
「時々嫌な夢を見るんだ。部屋に戻っても綾芽の姿がなくて、いくら探しても見つからない」
「透也さんは忙しすぎるんです。そうだ、今度本当に隠れてみましょうか?」
「そんなことしたら、社長命令で全社員に捜索させるぞ」
そう言って透也の頬が緩み、笑みがこぼれた。
会社での透也の様子を知りたくなって、昼休みを狙い、久しぶりに父へ電話を掛けてみる。
「綾芽が携帯に連絡をしてくるなんて、珍しいな。どうかしたのか?」
「最近、透也さん忙しいでしょ……倒れちゃわないか心配で……」
「――――はっはっはっ。さっそく奥様らしく体調を心配しているのか。確かに、今はホテルの開業準備と仕事の引継ぎで忙しいが、透也様はそんなことで折れるほどヤワじゃない。今までずっと見てきたのだから、大丈夫だ」
父はすっかり秘書をしている頃に戻っていて、生き生きしている様子が声で伝わる。やはり父も透也と一緒に仕事がしたかったのだろう。
「でも……今朝も寝言にうなされて」
「寝言か……。幼い頃にも、時々うなされていたようだった。綾芽にはあまり話してはいないが、透也様は体調を崩しがちの奥様と一緒に過ごせず、会長からも愛情を注がれず、家庭では寂しい想いをされてきた。そのためにお前との交流を持たせたり、様々な場所へ連れて行ったものだ」
「透也さんのお父様である会長はホテルの仕事が忙しくて、相手ができなかったんでしょ?」
「実は綾芽を久我咲家へ嫁がせたくなかった理由の一つが関係している」
父から初めて聞く言葉に、綾芽はスマホを強く握りしめた。
「え、えぇっ!? それって、どういうこと……?」
父からはずっと呪文のように語られた透也への約束事を思い返していた。その言葉に、他にも意味があったなんて。
「お前は透也様から請われて嫁ぐのだから、もう心配は要らないないが。久我咲会長は透也様が生まれてから、奥様に興味を失くし、常に他の女性の元へと通っていらした。奥様はそれを苦悩なさり、病に伏されていた。もし綾芽が久我咲家へ嫁いだりしたら、何かの争いに巻き込まれないかと……父さんはそれがずっと気掛かりだったんだよ」
「そんなっ……お父さんだって分かっているでしょ? 透也さんに限って、そんなことをするような人じゃないことぐらい……」
「もちろんそうだが……透也様は会社を第一に考えて動かなければならない立場だ。そのためにも綾芽を犠牲にすることがあるかもしれないだろう? でも、透也様は何事も最後まで責任を果たす方だ。今では綾芽を幸せにしてもらって感謝している。普段から本当に綾芽のことを大切に想っていることがよく分かる。なぜか透也様は、休憩中よく綾芽の幼い頃の話を聞きたがるんだ」
その言葉に、思わず恥ずかしくなった。
「え、えぇっ!? ……幼い頃のって、いったいどんなことを話しているの?」
「まぁ、いいだろう。とにかく、透也様の胸中にはご両親とのつらい想いがあるんだ。普通の家庭では育っていないのだからね」
「そう……。教えてくれてありがとう。お父さん、透也さんをよろしくね」
「お前からそんなセリフが出るとはなぁ。綾芽はずっと透也様を慕っていたんだな。本当にずいぶんと大人になった……」
父が感慨深く呟く。照れくさくて、軽く返事をして電話を切った。
いつもはうたた寝してしまう深夜、リビングのソファーで透也の帰りを待つ。
今夜も帰宅は深夜になった。シャワーを浴びて、部屋着に着替えた透也がリビングに現れる。ソファーに座る綾芽を見て、驚いた表情を浮かべた。
「今夜は眠り姫にならないのか?」
「透也さん、今夜は何でも話してください。不安なことも、嫌なことも、どんなに小さなことでもいいですから、一晩中、私が聞きますから」
「クククッ。いったい何があったんだ? いいよ。何から話そうか」
楽しそうな笑顔を浮かべながら、ソファーに座る綾芽の隣に腰を下ろした。
「でも、どうしてそんなことを?」
「だって今朝、とてもつらそうにしてたから……。心のわだかまりを吐き出せば、少しは楽になるかと……」
「やっと綾芽を手に入れたのに、幸せ過ぎて、手からこぼれ落ちてしまわないか心配になったんだ。幸せに慣れていない……ただ、それだけだよ」
「私、透也さんを必ず幸せにしますから」
「それは俺が言うセリフだろ?」
「だって……」
「昔、母親がよく俺に言ったんだ。愛する人を見つけて、その子を最後まで幸せにしろって。今ならそれが叶えられそうだよ」
言い終わると、透也は綾芽に甘く長いキスを送った。
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