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42.予期せぬ災い
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翌朝、朝食を済ませると、柳井が部屋へ迎えに来た。しばらくリビングで打ち合わせを行うと、透也と共に仕事へ出る準備を始める。
「今日の仕事は軽い打ち合わせだけだから、夕方に終わる。今夜は一緒に食事をしよう。外出はできないが、部屋でゆっくり過ごしてくれ」
「はい。楽しみに待ってます」
今夜は一緒に夕食が取れる。それだけで嬉しくなった。
「行ってらっしゃい」
二人を見送ると、今日は特にすることもないので、窓からの景色を眺めたり荷物の整理をしたり、のんびり過ごしていた。
洗面台で手を洗い、ふと鏡を見ると、胸元にネックレスをしていないことに気が付く。確か昨日入浴する前に外し、リビングのカウンターに置いたはず。
思い当たる場所を探してみるが、見つからない。大切な物だというのに、うっかりカウンターに置いてしまったのがいけなかった。
バックの中や、パウダールーム、リビングの床も、くまなく探してみるが見つからない。理由が分からず、探す場所も尽き果ててしまった。
どこへやってしまったんだろう。
それとも記憶の誤りで、昨日別の場所で外し、どこかへ置いてしまったんだろうか?
失くしたとしたら大変なこと。もしかして、透也が拾ってくれている可能性もある。彼が戻ったらホテルの方にも確認しなくてはならない。
昼はルームサービスを頼み、一人で寂しくランチを済ませた。
時間が過ぎるのが遅く感じる。透也の戻る夕方までが、とても待ち遠しい。広いリビングルームで、時計の針とにらめっこをしながら、時間が過ぎるのを待った。
時計の針が十八時を過ぎて、やっと透也が戻って来る。
「綾芽、寂しくなかったか?」
「待ちすぎて一年くらい過ぎたように感じました」
「そうか……」
透也が一瞬嬉しそうな表情を浮かべ、それを隠すように視線をそらした。それを見逃さなかった綾芽が問い詰める。
「どうして、そんなに嬉しそうな顔してるんですか?」
「俺が綾芽のことを探している時も、ずっと時間が過ぎるのが長く感じていた。綾芽も同じ気持ちを味わったのなら、会えた時の喜びが分かるだろう?」
「ちょっとだけわかりました。透也さんが私を探し出してくれるまで、ずいぶん長かったですものね」
透也が近付き、隣に立つと綾芽の肩を抱く。
「今夜はホテルのレストランに個室を予約しておいた。そこでゆっくり食べよう。その前に、屋上庭園に寄らないか?」
「いいんですか?」
「綾芽が行きたそうだと思って、柳井に頼んで鍵を開けさせてある」
二人で庭園に上がる。今日は空に雲がかかり、辺りは薄暗い。スポットライトの明かりを頼りに庭園を歩く。
「そういえば……透也さん。私のネックレスなんですけど……」
ジリリリリリ……。
突然、館内の火災報知機が鳴り出した。
急いで庭園から階段を下りている途中、煙の臭いが漂ってくる。どこかの場所から火の手が上がっているようだ。庭園に上がる階段を、ホテルの従業員が慌てて駆け上がって来た。
「どうした。何があったんだ?」
透也が従業員の男性に尋ねる。
「それが、廊下にある紙製のオブジェから、火の手が上がって。先ほどすぐに消火しましたので!」
「消防には通報したのか?」
「はい。連携して動くことになってますので、もう通報はされているはずです」
「綾芽、悪いが部屋に戻って。食事はルームサービスでも取って、先に食べていてくれ。俺は支配人の所へ行って、詳しい話を聞いてくる」
「はい……」
まさかこんなに素敵な場所で、しかも私たちが泊まっている最中に起こるなんて……。透也さんの身に、何もこらなければ良いけれど……。
綾芽は不安な気持ちになって、心がざわめいた。
部屋に戻っても動悸が収まらない。心配で、とても食事がとれる状況ではない。
透也が戻って来たのは、それから三時間も過ぎてからだった。
「おかえりなさい」
透也は無表情で、ため息をつきながらソファーに座り込んだ。こんなに表情を失くした透也の顔は、見たことがない。
「そんなに深刻な状況なのですか?」
「いや……。火事自体はボヤ程度だった。消防に詳しいことを調べてもらう予定だが……色々と厄介なことが起きた」
「厄介って……?」
ソファーに座ったまま、頭を抱え、思いつめた表情でこちらを見上げた。
「綾芽。君のネックレスはどこにある?」
「そ、それが……昨日外してから見つからなくて……透也さんが知っているのかと……戻ったら聞こうと思っていました」
「そうか……」
透也は視線を床に戻し、ためらいがちに呟いた。
「現場に君のネックレスが落ちていたそうだ」
言葉の意味がよくわからない。
「透也さん、それってどういう……」
「きっと何かの間違いだろうから、驚かないで聞いて欲しい……。どうやら綾芽に疑いが掛けられているらしい」
あまりの衝撃に、めまいがしそうになった。
「そ、そんな……」
「綾芽は一日中ここで過ごしているし、庭園に行く時は俺も一緒だった。アリバイはここの廊下にもカメラがついているから立証できる。しかし、肝心のボヤのあった場所だけは故障していて、証拠となるものが残っていないんだ。つまり、犯人が特定できない」
綾芽は立っている力を失くし、その場でしゃがみこんだ。透也が背中を支えてゆっくりとソファーに座らせる。
「もちろん綾芽が無関係なことはわかっている。この件は、恐らく誰かの陰謀に違いない」
「私と透也さんが一緒になることに反対している人……ということですか?」
隣に座る透也から肩を抱かれ、綾芽の顔を見つめると、視線を合わせながら強い口調で語りかけた。
「心配するな。必ずこの件は解決させて、決着をつける」
「透也さん……」
透也が肩を抱き寄せ、綾芽の震える体をさすった。
* * *
翌日、綾芽は参考程度に警察から事情を聞かれた。もちろん部屋から出ていないのだから、外出した形跡や監視カメラの映像も写ってはいない。外へ出た時は透也も一緒だったから、疑いようがない。
ただ、ネックレスの件だけは説明がつかなかった。経緯が不明のまま警察に依頼して捜査をしてもらうことになる。
京都での契約が無事に締結し、仕事の方は順調に事が運んだ。ただ、ボヤ騒動の件が解決しないまま、気持ちの悪い状態で帰京することになった。
帰りの新幹線で、綾芽はぼんやりと窓の外を眺めている。気がつくと、目の前にサンドイッチが差し出された。
「何か食べないと。犯人は俺が必ず見つける。だから、綾芽は余計な心配をするな」
「はい……」
サンドイッチの箱を受け取ると、素直に口へ入れた。透也を支えるには綾芽が弱気ではいけない。しっかりと食べてお腹がいっぱいになる頃には、少し元気も出てきた。
「東京へ着いたら、すぐ透也さんのために手料理を作りますね」
綾芽は真剣に言ったつもりなのに、透也は堪えきれず、クスクスと笑い出す。
「やはりな……」
「な、何がです?」
「綾芽は空腹だと調子が悪いんだよ。ちゃんと食べさせないと、いつもの明るい綾芽がパワーダウンする」
「わ、笑わないでくださいっ」
恥ずかしくなって、思わず俯く。なぜか、いつも食べ物のことで笑われてしまう。
その時、車内販売のワゴン車が入って来た。
「アイスクリームでも買ってやろうか?」
「私は子どもじゃありませんっ!」
どこか吹っ切れた綾芽は、前方の客が購入するのを見て、食べたくなってしまった。透也の袖を引っ張り、こっそり耳打ちをする。
「透也さん、やっぱり食べたいです」
小声で伝えると、またクスクスと笑い声をあげた。
「すまないが、こっちにもアイスクリームを頼む」
透也がワゴン車を押す女性に声を掛け、からかわれながらも、久しぶりにアイスクリームを堪能した。
東京へ到着した頃には気持ちが楽になり、事件について、あまり深く考えないようになっていた。
なるようにしかならないのだから、お互いが笑顔であればそれでいい。隣でにこやかに笑う透也の表情を眺めながら、心は穏やかになっていた。
「今日の仕事は軽い打ち合わせだけだから、夕方に終わる。今夜は一緒に食事をしよう。外出はできないが、部屋でゆっくり過ごしてくれ」
「はい。楽しみに待ってます」
今夜は一緒に夕食が取れる。それだけで嬉しくなった。
「行ってらっしゃい」
二人を見送ると、今日は特にすることもないので、窓からの景色を眺めたり荷物の整理をしたり、のんびり過ごしていた。
洗面台で手を洗い、ふと鏡を見ると、胸元にネックレスをしていないことに気が付く。確か昨日入浴する前に外し、リビングのカウンターに置いたはず。
思い当たる場所を探してみるが、見つからない。大切な物だというのに、うっかりカウンターに置いてしまったのがいけなかった。
バックの中や、パウダールーム、リビングの床も、くまなく探してみるが見つからない。理由が分からず、探す場所も尽き果ててしまった。
どこへやってしまったんだろう。
それとも記憶の誤りで、昨日別の場所で外し、どこかへ置いてしまったんだろうか?
失くしたとしたら大変なこと。もしかして、透也が拾ってくれている可能性もある。彼が戻ったらホテルの方にも確認しなくてはならない。
昼はルームサービスを頼み、一人で寂しくランチを済ませた。
時間が過ぎるのが遅く感じる。透也の戻る夕方までが、とても待ち遠しい。広いリビングルームで、時計の針とにらめっこをしながら、時間が過ぎるのを待った。
時計の針が十八時を過ぎて、やっと透也が戻って来る。
「綾芽、寂しくなかったか?」
「待ちすぎて一年くらい過ぎたように感じました」
「そうか……」
透也が一瞬嬉しそうな表情を浮かべ、それを隠すように視線をそらした。それを見逃さなかった綾芽が問い詰める。
「どうして、そんなに嬉しそうな顔してるんですか?」
「俺が綾芽のことを探している時も、ずっと時間が過ぎるのが長く感じていた。綾芽も同じ気持ちを味わったのなら、会えた時の喜びが分かるだろう?」
「ちょっとだけわかりました。透也さんが私を探し出してくれるまで、ずいぶん長かったですものね」
透也が近付き、隣に立つと綾芽の肩を抱く。
「今夜はホテルのレストランに個室を予約しておいた。そこでゆっくり食べよう。その前に、屋上庭園に寄らないか?」
「いいんですか?」
「綾芽が行きたそうだと思って、柳井に頼んで鍵を開けさせてある」
二人で庭園に上がる。今日は空に雲がかかり、辺りは薄暗い。スポットライトの明かりを頼りに庭園を歩く。
「そういえば……透也さん。私のネックレスなんですけど……」
ジリリリリリ……。
突然、館内の火災報知機が鳴り出した。
急いで庭園から階段を下りている途中、煙の臭いが漂ってくる。どこかの場所から火の手が上がっているようだ。庭園に上がる階段を、ホテルの従業員が慌てて駆け上がって来た。
「どうした。何があったんだ?」
透也が従業員の男性に尋ねる。
「それが、廊下にある紙製のオブジェから、火の手が上がって。先ほどすぐに消火しましたので!」
「消防には通報したのか?」
「はい。連携して動くことになってますので、もう通報はされているはずです」
「綾芽、悪いが部屋に戻って。食事はルームサービスでも取って、先に食べていてくれ。俺は支配人の所へ行って、詳しい話を聞いてくる」
「はい……」
まさかこんなに素敵な場所で、しかも私たちが泊まっている最中に起こるなんて……。透也さんの身に、何もこらなければ良いけれど……。
綾芽は不安な気持ちになって、心がざわめいた。
部屋に戻っても動悸が収まらない。心配で、とても食事がとれる状況ではない。
透也が戻って来たのは、それから三時間も過ぎてからだった。
「おかえりなさい」
透也は無表情で、ため息をつきながらソファーに座り込んだ。こんなに表情を失くした透也の顔は、見たことがない。
「そんなに深刻な状況なのですか?」
「いや……。火事自体はボヤ程度だった。消防に詳しいことを調べてもらう予定だが……色々と厄介なことが起きた」
「厄介って……?」
ソファーに座ったまま、頭を抱え、思いつめた表情でこちらを見上げた。
「綾芽。君のネックレスはどこにある?」
「そ、それが……昨日外してから見つからなくて……透也さんが知っているのかと……戻ったら聞こうと思っていました」
「そうか……」
透也は視線を床に戻し、ためらいがちに呟いた。
「現場に君のネックレスが落ちていたそうだ」
言葉の意味がよくわからない。
「透也さん、それってどういう……」
「きっと何かの間違いだろうから、驚かないで聞いて欲しい……。どうやら綾芽に疑いが掛けられているらしい」
あまりの衝撃に、めまいがしそうになった。
「そ、そんな……」
「綾芽は一日中ここで過ごしているし、庭園に行く時は俺も一緒だった。アリバイはここの廊下にもカメラがついているから立証できる。しかし、肝心のボヤのあった場所だけは故障していて、証拠となるものが残っていないんだ。つまり、犯人が特定できない」
綾芽は立っている力を失くし、その場でしゃがみこんだ。透也が背中を支えてゆっくりとソファーに座らせる。
「もちろん綾芽が無関係なことはわかっている。この件は、恐らく誰かの陰謀に違いない」
「私と透也さんが一緒になることに反対している人……ということですか?」
隣に座る透也から肩を抱かれ、綾芽の顔を見つめると、視線を合わせながら強い口調で語りかけた。
「心配するな。必ずこの件は解決させて、決着をつける」
「透也さん……」
透也が肩を抱き寄せ、綾芽の震える体をさすった。
* * *
翌日、綾芽は参考程度に警察から事情を聞かれた。もちろん部屋から出ていないのだから、外出した形跡や監視カメラの映像も写ってはいない。外へ出た時は透也も一緒だったから、疑いようがない。
ただ、ネックレスの件だけは説明がつかなかった。経緯が不明のまま警察に依頼して捜査をしてもらうことになる。
京都での契約が無事に締結し、仕事の方は順調に事が運んだ。ただ、ボヤ騒動の件が解決しないまま、気持ちの悪い状態で帰京することになった。
帰りの新幹線で、綾芽はぼんやりと窓の外を眺めている。気がつくと、目の前にサンドイッチが差し出された。
「何か食べないと。犯人は俺が必ず見つける。だから、綾芽は余計な心配をするな」
「はい……」
サンドイッチの箱を受け取ると、素直に口へ入れた。透也を支えるには綾芽が弱気ではいけない。しっかりと食べてお腹がいっぱいになる頃には、少し元気も出てきた。
「東京へ着いたら、すぐ透也さんのために手料理を作りますね」
綾芽は真剣に言ったつもりなのに、透也は堪えきれず、クスクスと笑い出す。
「やはりな……」
「な、何がです?」
「綾芽は空腹だと調子が悪いんだよ。ちゃんと食べさせないと、いつもの明るい綾芽がパワーダウンする」
「わ、笑わないでくださいっ」
恥ずかしくなって、思わず俯く。なぜか、いつも食べ物のことで笑われてしまう。
その時、車内販売のワゴン車が入って来た。
「アイスクリームでも買ってやろうか?」
「私は子どもじゃありませんっ!」
どこか吹っ切れた綾芽は、前方の客が購入するのを見て、食べたくなってしまった。透也の袖を引っ張り、こっそり耳打ちをする。
「透也さん、やっぱり食べたいです」
小声で伝えると、またクスクスと笑い声をあげた。
「すまないが、こっちにもアイスクリームを頼む」
透也がワゴン車を押す女性に声を掛け、からかわれながらも、久しぶりにアイスクリームを堪能した。
東京へ到着した頃には気持ちが楽になり、事件について、あまり深く考えないようになっていた。
なるようにしかならないのだから、お互いが笑顔であればそれでいい。隣でにこやかに笑う透也の表情を眺めながら、心は穏やかになっていた。
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