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5.注がれる視線(2)
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「――そうか、わかった」
透也は意外とすんなり引き下がる。綾芽には、自分の伝えた言葉がまるで信じてもらっていないように感じた。
「なっ、何がわかったんですか!?」
「その相手に交際を諦めてもらい、綾芽と恋愛をしてから、結婚をすればいいのだろう?」
こ、この人……こっちが何を話しても、どっしりと構えていて、びくともしない。
褒めている場合ではないが、その揺るぎない自信のある堂々とした態度は認めざるを得なかった。さすがに若くして大きな企業を統括しているだけあって、冷静そのものだ。
これじゃまるで私一人がジタバタ騒いでるだけみたい。……なんて、感心している場合じゃないのに……。
とにかく、二人が付き合うという選択肢がないことだけは、はっきりしている。綾芽は真剣に向き合ったまま、口をギュッと結んだ。透也はグラスを傾けながら、愉快そうに笑みを浮かべている。
「しかし……つくなら、もう少しマシな嘘をついたらどうだ?」
「うっ、嘘じゃないです! 来週も東京で会う約束をしていますので」
「そうか。それなら会わせてもらおうか。綾芽の大切な人とやらを」
完全に上から目線で、しかもこちらの話を信じてない様子だ。まるで恋愛経験の未熟さをバカにされているようで、少し腹立たしくなってくる。
私にだって、その気になれば彼氏くらい……。
「もう帰ります」
「いいだろう。その前に、連絡先を教えてくれ」
きっと付き合っている相手に対面させれば、納得して諦めてくれるだろう。スマホを取り出し、お互いの連絡先を交換した。
「明日の午前中には東京へ戻る。連絡をしてくれ。また向こうで会おう」
「はい。それでは」
透也に向かって一礼すると、綾芽は店を飛び出した。人通りが少なくなった四条通りを、パンプスを響かせながら歩みを早める。
どうにかお見合いを成立させなくては……。
おかしな展開になってしまったけれど、透也とこのまま付き合うわけにはいかないのだ。心がざわつきながらも、必死でこれからのことをシミュレーションしていた。
透也と別れて、店を出てからすぐに自宅アパートへと戻った。
初めて就職し京都へ来た時から、アリシアンホテルの近くにある1DKの小さなマンションで一人暮らしをしている。
入浴して、さっぱりしたところで父に連絡を入れた。
「そうか! お前から連絡をよこすとは、父さんはいい予感がするぞ。今回の相手はレストラン経営者だが、三つ年上で年齢も近いし、住まいは東京だ。結婚相手には申し分ないだろう」
案の定、父の喜びが電話を通して伝わってくる。
「綾芽が乗り気なら、今度こそうまくいくかもしれんな」
「そ、そんなに期待しないで。私は、ただ会ってみようと思っただけで……」
前回のお見合い相手は不動産会社の経営者で十二歳年上だった。父の知人の紹介で仕方なく会ったものの、綾芽の体を見つめ、子どもをたくさん産んで欲しいと、そればかりでうんざりしてしまった。
父が選ぶ相手は、なぜか所得のある人やそれなりの地位がある人ばかり。そんな相手を熱心に勧める理由もよくわからない。
「一度尋ねたいと思ってたの。どうして、そんなに経営者とばかりお見合いをさせたいの?」
「そ、それはだな……ある程度所得のある人と結婚すれば、将来の心配が要らないだろう? つまりは綾芽に幸せになって欲しいんだ」
「私はお金持ちと結婚したいだなんて、一度も思ったことない。お互いのことが好きで、分かり合えればそれでいいと思ってる。どこでも働けるように、資格だってちゃんと持ってるし」
「とにかく早く結婚してくれれば、父さんは安心できる」
「早くって……」
まだ二十代前半で仕事だって半人前だというのに、どうして結婚を急がせるのか、まるで答えになっていない。
「ところで……最近の透也様って、どんなお仕事をしてるの?」
「さ、さぁ? 秘書の仕事は完全に柳井君に任せているから、詳しいことはわからない。どうしてそんなことを尋ねるんだ?」
「ううん。ただこの前、雑誌に透也様が載っていたのを見かけたから。最近、どうしてるのかなぁって……」
「父さんも秘書をやめてから、しばらく時間が過ぎた。最近は連絡も取っていないから、今はすっかり縁が遠くなってしまったよ……。だからお前も透也様のことは気にせず、早くお嫁に行くことを考えなさい」
話の終わりには、結局いつもこうなってしまう。
「それじゃ、来週はお見合いが終わったらそっちへ寄るから」
父との電話を切り、ため息が漏れた。
ふと、ベッドの脇に置かれたアクセサリーボックスの引き出しを探る。出てきたのは、透也が昔プロポーズしてくれた時の、アヤメがデザインされたネックレスだった。
年月が過ぎても、ガラス製のネックレスは、今でも素敵な輝きを放つ。綾芽にとっては、ずっと大切な宝物で、時々こうして取り出しては、眺めている。
今では大人用のチェーンに付け替えてあるから、オシャレなアクセサリーとして使っても違和感はない。
これを眺めていると、先ほどまで感じていた透也の真剣な眼差しが蘇ってきた。
「迎えに来た……そう言われても……」
時間が過ぎても変わらないのは、情熱的な瞳で見つめる凛々しい表情と、綾芽を導く穏やかで優しい声だった。
一瞬、心が揺さぶられそうになり、慌てて気持ちを引き締めた。今は、透也に対して特別な感情を抱くわけにはいかないのだから。
自分を諫めるように、心の奥に湧き上がる感情にはなるべく触れないよう、そっと目を瞑った。
私にはきっと、ふさわしい男性がどこかに存在する……はずだから。
透也は意外とすんなり引き下がる。綾芽には、自分の伝えた言葉がまるで信じてもらっていないように感じた。
「なっ、何がわかったんですか!?」
「その相手に交際を諦めてもらい、綾芽と恋愛をしてから、結婚をすればいいのだろう?」
こ、この人……こっちが何を話しても、どっしりと構えていて、びくともしない。
褒めている場合ではないが、その揺るぎない自信のある堂々とした態度は認めざるを得なかった。さすがに若くして大きな企業を統括しているだけあって、冷静そのものだ。
これじゃまるで私一人がジタバタ騒いでるだけみたい。……なんて、感心している場合じゃないのに……。
とにかく、二人が付き合うという選択肢がないことだけは、はっきりしている。綾芽は真剣に向き合ったまま、口をギュッと結んだ。透也はグラスを傾けながら、愉快そうに笑みを浮かべている。
「しかし……つくなら、もう少しマシな嘘をついたらどうだ?」
「うっ、嘘じゃないです! 来週も東京で会う約束をしていますので」
「そうか。それなら会わせてもらおうか。綾芽の大切な人とやらを」
完全に上から目線で、しかもこちらの話を信じてない様子だ。まるで恋愛経験の未熟さをバカにされているようで、少し腹立たしくなってくる。
私にだって、その気になれば彼氏くらい……。
「もう帰ります」
「いいだろう。その前に、連絡先を教えてくれ」
きっと付き合っている相手に対面させれば、納得して諦めてくれるだろう。スマホを取り出し、お互いの連絡先を交換した。
「明日の午前中には東京へ戻る。連絡をしてくれ。また向こうで会おう」
「はい。それでは」
透也に向かって一礼すると、綾芽は店を飛び出した。人通りが少なくなった四条通りを、パンプスを響かせながら歩みを早める。
どうにかお見合いを成立させなくては……。
おかしな展開になってしまったけれど、透也とこのまま付き合うわけにはいかないのだ。心がざわつきながらも、必死でこれからのことをシミュレーションしていた。
透也と別れて、店を出てからすぐに自宅アパートへと戻った。
初めて就職し京都へ来た時から、アリシアンホテルの近くにある1DKの小さなマンションで一人暮らしをしている。
入浴して、さっぱりしたところで父に連絡を入れた。
「そうか! お前から連絡をよこすとは、父さんはいい予感がするぞ。今回の相手はレストラン経営者だが、三つ年上で年齢も近いし、住まいは東京だ。結婚相手には申し分ないだろう」
案の定、父の喜びが電話を通して伝わってくる。
「綾芽が乗り気なら、今度こそうまくいくかもしれんな」
「そ、そんなに期待しないで。私は、ただ会ってみようと思っただけで……」
前回のお見合い相手は不動産会社の経営者で十二歳年上だった。父の知人の紹介で仕方なく会ったものの、綾芽の体を見つめ、子どもをたくさん産んで欲しいと、そればかりでうんざりしてしまった。
父が選ぶ相手は、なぜか所得のある人やそれなりの地位がある人ばかり。そんな相手を熱心に勧める理由もよくわからない。
「一度尋ねたいと思ってたの。どうして、そんなに経営者とばかりお見合いをさせたいの?」
「そ、それはだな……ある程度所得のある人と結婚すれば、将来の心配が要らないだろう? つまりは綾芽に幸せになって欲しいんだ」
「私はお金持ちと結婚したいだなんて、一度も思ったことない。お互いのことが好きで、分かり合えればそれでいいと思ってる。どこでも働けるように、資格だってちゃんと持ってるし」
「とにかく早く結婚してくれれば、父さんは安心できる」
「早くって……」
まだ二十代前半で仕事だって半人前だというのに、どうして結婚を急がせるのか、まるで答えになっていない。
「ところで……最近の透也様って、どんなお仕事をしてるの?」
「さ、さぁ? 秘書の仕事は完全に柳井君に任せているから、詳しいことはわからない。どうしてそんなことを尋ねるんだ?」
「ううん。ただこの前、雑誌に透也様が載っていたのを見かけたから。最近、どうしてるのかなぁって……」
「父さんも秘書をやめてから、しばらく時間が過ぎた。最近は連絡も取っていないから、今はすっかり縁が遠くなってしまったよ……。だからお前も透也様のことは気にせず、早くお嫁に行くことを考えなさい」
話の終わりには、結局いつもこうなってしまう。
「それじゃ、来週はお見合いが終わったらそっちへ寄るから」
父との電話を切り、ため息が漏れた。
ふと、ベッドの脇に置かれたアクセサリーボックスの引き出しを探る。出てきたのは、透也が昔プロポーズしてくれた時の、アヤメがデザインされたネックレスだった。
年月が過ぎても、ガラス製のネックレスは、今でも素敵な輝きを放つ。綾芽にとっては、ずっと大切な宝物で、時々こうして取り出しては、眺めている。
今では大人用のチェーンに付け替えてあるから、オシャレなアクセサリーとして使っても違和感はない。
これを眺めていると、先ほどまで感じていた透也の真剣な眼差しが蘇ってきた。
「迎えに来た……そう言われても……」
時間が過ぎても変わらないのは、情熱的な瞳で見つめる凛々しい表情と、綾芽を導く穏やかで優しい声だった。
一瞬、心が揺さぶられそうになり、慌てて気持ちを引き締めた。今は、透也に対して特別な感情を抱くわけにはいかないのだから。
自分を諫めるように、心の奥に湧き上がる感情にはなるべく触れないよう、そっと目を瞑った。
私にはきっと、ふさわしい男性がどこかに存在する……はずだから。
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