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14.暴露

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 ランゼローナ様の部屋に入ると、そこにはレムとミミがいて、さらにファラもいた。

 レムとミミの顔は蒼白だ。
 とんでもない失敗をして、叱られている子供にしか見えなかった。

 ファラは、かなり怒っているように見えた。
 僕とレムを、交互に睨みつけている。

 そして、ランゼローナ様はいきなり僕に向けて両手を突き出した。
 近くに立っていたら、僕を突き飛ばしていたであろう勢いである。

 魔法で攻撃されると思い、思わず身構えた。
 しかし、僕には何の変化も起こらなかった。

「……意識して魔法を返すことはできないのね。でも、最悪の事態であることに変わりはないわ」

 ランゼローナ様は、平静を装っているものの、動揺を隠しきれない様子だった。

「……一体、どういうことですか?」

 事態が飲み込めず、僕は尋ねた。

「魔力量の上下は、相手の精神に悪い影響を与える魔法で確認できるわ。それは知っているわね?」
「……はい」
「でも、どうしてそんなことが可能なのか、はっきりと分かっているわけではないの。ただ、推測することはできるわ」

 彼女は、これから話す内容を、本当に言っても良いのか迷っている様子だった。

「すなわち、この世界の人間は、ほぼ全員が同じ魔法を使えるということよ」
「それは一体……?」
「魔法による攻撃から身を守るための魔法よ。それも、魔法による精神への攻撃を察知して、自動的に防御する魔法だわ」

 確かに、それならば、全員が他人の魔法から身を守れることになる。

「他のことも推測できるわ。この世界の人間は、自身が有する魔力量に対して、『魔法による攻撃から身を守るための魔力』を、常に一定の割合で保有しようとする、ということよ。これは、本能に基づく生存術ね」
「……その魔力は、自分の身を守るために、たくさん抱え込む人がいそうですけど?」
「そうすると、日常生活や、敵と戦う時に支障が出るでしょう? この世界の人間は、長い歴史の中で、最適な割合を見つけてきたんだわ。貴方の世界にある、進化という概念に当てはまる現象よ」

 僕にも、これから彼女が話す内容について、段々と察しがついてきた。

 でも、それは……。

「今までの推測は、この世界の人間が同じ人種で、民族的な違いも大して存在しないから成り立つ話よね。私達は、異世界を観察していても、そんな単純なことに気付かなかった。保有する魔力の割合が私達と違う人間が存在するなんて、考えたこともなかったのよ」
「だから私は反対したんです。異世界人を招いたら、何が起こるか予測できない。何度もそう言ったのに……」

 ファラは、唇を噛みしめて悔しそうに言った。

「そうね。大差のない人だけに囲まれて暮らしている私達は、『違う』ということに鈍感だわ。異世界の珍しさに気を取られ、知識や言語を仕入れることに夢中になり、本当に考えるべきことは何も考えなかった」

 ランゼローナ様は、僕を見据えた。

「ヒカリは魔法がない世界から来た。つまり、魔法で攻撃された経験なんて一度もない。それは、当然、ヒカリの両親や祖先も同じ。ということは、『魔法による攻撃から身を守るための魔力』を蓄える習慣なんてあるはずがない。ヒカリの世界の魔力濃度は高いから、そこから身を守るための魔力だけは保有していた可能性が高いけど、大した量ではなかったはずよ」

 そこまで言ってから、ランゼローナ様はミミの方を見た。

「でも、この世界で魔法による攻撃を受けて、その必要性を感じた」

 ビクリ、とミミの肩が震える。
 レムが、そんなミミを心配そうに抱き寄せた。

「自分の感情から生まれた魔力だけを蓄積したのだとしたら、さすがに溜まるのが早すぎるわ。今まで抱えていた他の用途の魔力を放出して、周囲から防御のための魔力を取り込んだのでしょうね」
「……だとすると、どういうことになるんですか?」
「ヒカリの『魔力の器』は、レムや私、ひょっとしたらローファ様よりも大きいかもしれないってこと」
「……」

 僕は激しく混乱した。
 それって……つまり、どういうことだ?

 この世界では、原則的に『魔力の器』が大きい人が偉いとされている。
 つまり、僕はこの世界で一番偉くなってしまうかもしれない、ということか……?

 そんなことを考えてから、僕は頭を振った。

 いきなり、異世界の王になるだって?
 たまたま『魔力の器』が大きかったというだけの理由で?

「まだ悩む必要はないわ。ひょっとしたら、ヒカリが有する魔力が防御に偏っているかもしれないもの。でも、ヒカリが序列一位になったら、困ったことになるわね……」
「……というと?」
「見ず知らずの異世界人が、突然一位になるんだもの。この世界の人にとっては、乗っ取られるような感覚でしょうね。貴方への反発も、貴方を招いた私達への風当たりも、想像したくないわ」
「僕の『魔力の器』の大きさを、正確に調べる方法はないんですか?」
「残念だけど思いつかないわ。貴方がどの魔力を、どの程度の割合で保有するのか、調べようがないもの」
「この男を、今すぐにこの世界から追い出しましょう!」

 ファラがヒステリックに叫んだ。

 確かに、それが一番手っ取り早い。
 僕も、ファラの言葉に心の中で同意してしまった。

「落ち着きなさい。まだ何も分からない状況で、早まるべきではないわ」

 ランゼローナ様がファラを宥める。

「あのっ! ヒカリ様の序列は、どのような扱いになるのでしょうか?」
「ヒカリは序列不明なのだから、当然、全員と同順位……という扱いになるでしょうね」
「……それって、具体的にはどうなるんですか?」
「とりあえず、ヒカリは誰の名前を呼ぶときでも呼び捨てでいいわ。もちろん、私もね」

 ……この人をランゼローナと呼ぶのは、何だか抵抗があるな。

「あの……ランゼローナ……って、何歳か教えてくれないかな?」
「貴方の世界の基準では21歳よ。それがどうかしたの?」
「年下!?」
「……そんなに驚かれると、少し傷付くんだけど」
「あ、ご、ごめん……」

 これで、ランゼローナを呼び捨てにすることへの抵抗感は薄れたけど……何だか複雑な気分だ。

「それと、レムによる婚約の強制は無効だから、貴方達は赤の他人よ」
「そんな!」

 レムが悲鳴のような叫び声を上げた。

「当然でしょう? 既に婚約関係を解消できないような事情があるのならともかく、ヒカリはまだレムに何もしていないはずよ?」
「ですが、今更そんなことを言われても困りますわ!」
「ヒカリがレム様の求婚を受け入れればいい。絶対にそうするべき」

 ミミが僕を睨んでくる。
 断ったら殺してやる、と目が言っていた。

「そんなこと言われても……」
「この……!!」
「ミミ、やめなさい!」

 今にも飛びかかってきそうなミミを、レムが抱きしめるようにして止める。

「そうよミミ。貴方は残念かもしれないけど、誘拐犯には被害者に対して『結婚しろ』なんて言う権利はないわ」
「えっ……?」

 僕は酷く混乱した。
 誘拐って何のことだ?

 レムを見ると、顔から完全に血の気が引いていた。
 ミミは、レムを支えるようにしながら、心配そうな顔をしている。

「ランゼローナ様、それは何の話ですか?」

 ファラも、唐突に飛び出した誘拐という言葉に困惑していた。

「レムは、ヒカリの意識を奪って、無断でこの世界に連れてきたのよ。これは、立派な誘拐だわ。このことは、ずっと黙っておこうとも思ったのだけれど。事情が変わってしまったし、ミミがこんな様子だと、本当のことを言うしかないわね」
「レム様は、ヒカリの承諾を得ています! そのことは、本人だって認めていたはずです!」

 ミミが、慌てたように反論した。

「そうね。でも、それは事後承諾でしょう? 貴方も、そのことは知っているはずよ」

 ランゼローナの言葉を聞きながら、僕はこの世界に来た時のことを思い出していた。

 そうだ、あの白い部屋……あの夢から覚めた時、僕は既に服を着替えさせられた状態で、レムの横で寝ていたのだ。

 今まで僕は、異世界に行くことを承諾してからこの世界に来たのだと思い込んでいた。
 でも、白い部屋の夢を見ていた時点で、僕はこの世界に来て眠っていたのだ!

 もう一度レムの方を見る。
 レムは、両手で顔を覆っていた。
 ミミは、必死にレムの背中を擦っている。

「最初に貴方達の話を聞いた時に、嫌な予感はしたのよ。レムに惚れたわけでもないのに、異世界に行くことを承諾した、という話だったから。この世界のことを詳しく聞いた様子でもなかったし、ヒカリは思いつきで行動する人間にも見えなかったわ。だから、ヒカリの記憶を読み取って、今話した真相に辿り着いた、というわけよ」
「……何てことだ!」
「それだけじゃないわ。レムは、ヒカリに見せた夢の中で、精神に干渉する魔法を使ってこの世界に来ることを承諾させたのよ」
「精神に……干渉……?」

 僕は、自分の左手を見た。
 やはり、レムに手を握られたあの時、僕は魔法をかけられていたのか?

「レムはヒカリを一時的に操って、『慎重な思考』を完全に停止させたの。レムの魔法のせいでリスクを考えられなくなったヒカリは、狙い通りに異世界に行く決断をしてしまった。そうしてこの世界にヒカリを連れて来たことにすれば、レムにはヒカリに結婚を強制する権利が発生して文句がいえなくなるでしょう? そうして、レムはヒカリが自分と結婚せざるをえない状況を作り出したのよ。『魔力の器』が大きくて、色々な魔力を抱えていられるレムだからこそできた芸当だわ」
「……どうして、そんな回りくどいことを?」

 怒りが沸くより先に、そんな疑問が口から出た。

「この世界では、嘘がバレるからよ。レムは感情を隠すことが苦手だから、なおさら、その必要があったの。この世界に来れば、ヒカリは魔法の訓練をすることが決まっていたから、感情を読み取る能力を身につけることは分かりきっているわ。今言った方法だと、ヒカリに追及されたとしても、嘘にならない答えを用意しやすいから動揺を察知されにくいの。ヒカリの中に、異世界に行きたいという願望があったのは事実だから、ヒカリが自分で異世界に行きたいと思ったというのは本当のことなのよ」

 ……そうか!

 僕は、以前のレムとの会話を思い出した。
 レムは、自分が魔法を使ったこと自体は否定しなかったのだ。

 改めてレムを見る。
 嗚咽を漏らしている彼女のイメージは、今まで僕が抱いていたものとは完全に変わっていた。

 純真な少女のようでいて、そんなずる賢いことを考えていたなんて……!

「レムの最大の誤算は、ヒカリがレムに対して恋愛感情を抱かなかったことだわ。レムは人気者だもの。自分が求婚して、断る男がいるなんてことは考えもしなかったのよ。そのために、全ての予定が狂ってしまった。人生のほとんどの時間を、城の中で過ごしてきた弊害ね」
「誘拐なんて大袈裟です。この異世界人には、そもそも人権なんて認められません。連れ去ろうが殺そうがレムの自由でしょう?」

 突然、ファラがとんでもないことを言い出した。

「君は何を言ってるの? 僕は、この世界に来て、この世界の法に従うように言われたんだよ?」
「それは当然よ。この世界に来る異世界人は、この世界の法を守る義務がある。それは当たり前のことじゃない。でも、私達に異世界人を守る義務なんてないわ」

 ファラは、僕の頭が悪いことを馬鹿にするような口振りで言った。

「そんなの無茶苦茶じゃないか!」

 さすがに腹が立った。
 ファラの言い分は、あまりにも一方的で非常識すぎる。

「何を言ってるの? この世界に来る異世界人が、とんでもない奴だったらどうするのよ? 危険人物は、いつでも排除できるようにするのは、この世界にとって必要なことじゃない。だから、もし仮に誰かが貴方を殺したとしても、その人は罪に問われないわ。まあ、レム様の所有物を壊そうとする人間なんて、この世界にはいないけど」

 ファラは、自分の常識を完全に正しいと思っている様子である。

 僕は戦慄した。
 そもそも、僕はこの世界で人間だと認められていなかったのだ!

「君達は、最初から異世界人の人権を無視するつもりで、異世界人を招いたっていうの? だったら、最低じゃないか!」
「何ですって!」
「まったくだわ。ヒカリの言う通りよ」
「ランゼローナ様! こんな異世界人の言い分を受け入れるのですか!?」
「少なくとも、ローファ様はヒカリと同じ意見でしょうね」
「……ローファが?」

 突然妹の名前を持ち出されて、ファラは訝しげな様子である。

「ローファ様が体調を崩して寝込んでいることは、貴方だってよく知ってるでしょ?」
「……それと今の話と、何の関係があるんですか?」
「ローファ様は、自分の決断のせいでヒカリに大変な迷惑をかけてしまったと、激しく後悔しているわ。貴方の反対を押し切ったのに、その結果がこの有様じゃ、寝込んだって当然よね。もし、貴方達がヒカリを人間扱いしていなかったと教えたら、ショックでどうなるか分からないわよ?」
「貴方、ローファに何か言ったの!?」

 ファラは、激高した様子でランゼローナに詰め寄った。

「そうじゃないわ。ローファ様に相談されたのよ。真相に気付いてしまって、これから自分はどうすればいいのか、ってね。あの子は、この世界のことを真剣に考えて、この世界をより良くするために移民の受け入れを決断したの。それを踏みにじったのは、レムと貴方達だわ」
「……」

 ファラは黙ってしまった。
 自分が妹の意向を無視したことを指摘されて、何も言い返せない様子だった。

「ローファ様は、異世界人を無理矢理連れて来るようなことはしたくなかった。だからレムに命じたの。『心の底から異世界に行きたがっている人間を探すように』とね。レムは、自分が気に入ったヒカリを連れて来るために、その命令を無視したのよ。ローファ様に報告する時には、ヒカリの心を読んで知った、元の世界での悪い思い出や、最悪を想定した未来への絶望を伝えたのよ」

 ランゼローナは僕に向かって頭を下げた。

「ヒカリ、ごめんなさい。レムだけに全てを任せた私の責任よ。色々なことに気付いていたのに、全部黙っていたことも謝るわ」
「……どうして、今になってこんなことを? ずっと黙っていた方が、お互いに幸せだったかもしれないのに」

 知らない方が良いこともある……。
 僕は、そのことを実感していた。

「もう隠し続けられなかったのよ。ローファ様が真相に気付いてしまったから。あの子は、貴方から聞いた話だけで大体のことを察してしまったそうよ。こっそりと寝室を抜け出して、貴方に会いに行ったそうね?」
「えっ?」

 僕は、ローファという人物に会った記憶がない。
 一体、いつの話だ……?

「……あっ!」

 あのピンク色の髪の少女だ……!
 あの子こそが、この世界で一番偉い人物だったのだ!

 僕が、この世界に強引に連れて来られたと伝えたから、レムが何をしたのか察してしまったのだろう。

「あの子、少し体調が良くなると、すぐに出歩くんだから……」

 ファラが頭を抱えた。

「ヒカリ、貴方は、元の世界に帰るべきだわ。少なくとも私はそう思うし、ローファ様も同じ意見のはずよ」
「……でも、僕の世界は魔力濃度が高すぎて、帰ることができないんだよね?」
「貴方、そんなことを言われたの? 何人かで協力すれば、不可能じゃないわよ。ローファ様だって、招いた異世界人が帰りたがる可能性くらい考えてるわ」

 そうだったのか……。

 そういえば、レムは『自分には不可能』と言ったのだ。方法がない、とは言っていない。

 この世界では、感情が読み取られてしまうために、嘘はバレてしまう可能性が高い。
 しかし、全てを本音で話して、人間関係が成り立つわけがない。

 だから、嘘にならないように、話をうまく進める技術が発達したのだろう。
 僕も、ローファと話した時にはそうしたのである。

「突然色々なことを言われて混乱しているでしょう? 一晩、一人でゆっくりと考えてみて」

 ランゼローナの言葉に、僕は頷いた。
 正直に言えば、今すぐにでも一人になりたかった。

 レムはまだ泣いていて。
 ミミは、そんなレムに寄り添いながら、僕を睨んでいた。
 ファラは憮然とした表情だった。

 僕は、何も言わずに、そっと部屋を後にした。
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