水の魔物

たかまちゆう

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第六章 飛翔

6-8 飛翔

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 リーンは空高く飛翔するアーサーの後を追って、ふらふらと歩いていた。
 森へ入ってしまうと空はよく見えず、何度も見失いそうになったが、アーサーは大きく円を描きながら少しずつ移動しているらしく、なんとか追いかけることができた。
 やがて、森の中にぽっかりとひらけた空間へ出た。
 なぜかそこだけ木が生えておらず、地面が露出している。
 リーンは知らなかったが、そこはかつて、『奇跡の泉』と呼ばれる泉があった場所だった。
 都合良く空が見えるな、とリーンが考えていると、そこへアーサーが降下してきた。
 翼を何度か羽ばたきながら、ゆっくりと着地する。
「アーサー様……」
 呟いたリーンに、アーサーは優しい目を向けた。
『今までご苦労だったな、リーン。こうして我が自由になれたのも、お前のおかげだ』
「いえ、そんな」
『何か望みがあれば、聞いてやろう』
「それなら……、私を食べてください」
『何?』
「私は、最初からずっとそのつもりだったんです」
『死にたいということか?』
「いえ、そういうわけでは。ただ、アーサー様の血肉となって、アーサー様と一緒に空を飛びたかっただけで……」
『ふん』
 アーサーは鼻を鳴らした。
『つまりお前も、ジルと同じことを望んでいるということか』
「同じこと?」
 リーンが聞き返すと、アーサーは四肢を曲げ、いわゆる「伏せ」の体勢になった。
『我の背に乗れ、リーン』
「え……?」
 リーンは最初、何を言われたか分からず、目を瞬いた。
『空を、飛びたかったのだろう?』
 アーサーにそう問われ、リーンは唐突に気付いた。
(ああ、そうか……)
 自分がなぜこれほど、アーサーに恋い焦がれたか。
(私は、見下ろしたかったんだ……)
 リューカ村の村人達が大嫌いだった。
 家の屋根などよりずっとずっと高いところから、大嫌いな人々を見下ろし、お前達はこんなにちっぽけなのだとわらってやりたかった。
 たとえ実際に目にすることはできなくても、アーサーの血肉となって村を見下ろせると考えるだけで、せいせいした。
 最初はたったそれだけの、小さなわがまま。
 そのために、モイケやエスリコを振り回し、多くの人間を犠牲にした。
「いえ、アーサー様……。やはり私を食べてください。私には最初から、生きて空へ上がるつもりなんて……」
『だめだ。我はもう閉じ込められてはいない。魔力は充分、足りている。おまえはもう、必要ない』
 ずきり、と胸が痛んだ。
 自由になったなら、アーサーにはもうこれ以上、リーンと一緒にいる理由などないのだと思った。
「……必要、ないなら、殺してください」
 声が震えた。気付けば涙が溢れていた。
『リーン?』
 アーサーは困惑したようだった。
『違う。リーン。そういう意味ではない』
 そう言われても、涙はなかなか止まらなかった。
『……我は、ジルを友だと思っていた。ジルは変わった人間で、我のことを恐れずに近づいてきた。自由に空を飛べる我が羨ましいと、ジルは言った。もしもジルが勝負で我に勝てたら、背に乗せて飛んでやることになっていた……』
 アーサーは思い出を懐かしむように目を細めた。
『おまえもそうなのかと思ったのだが……、違ったか?』
(ああ……)
 リーンは、アーサーのその表情が、たまらなく愛おしいと感じた。
 最初は空への憧れだったかもしれない。
 それでも、自分がこの竜を愛しているのは間違いなかった。
 そして、そのアーサーは今リーンに、一緒に飛ぼうと誘ってくれている。
「いえ……、違いません」
 リーンは涙を拭い、微笑んだ。
 いつか地獄へ落ちるとしても、その瞬間まではアーサーの傍らにいたいと思った。
『レシュリーン、そなたも飛ぶことを望むか?』
「はい」
『ならば我が背に乗れ』
「はい!」
 リーンのために姿勢を低くしてくれたアーサーの背に、リーンは跳び乗った。アーサーの血を飲んで以来、魔力も身体能力もかなり上がっている。
『しっかり掴まっていろ』
 アーサーは動きを確かめるように二、三度翼を上下させたかと思うと、地面を蹴って宙へ飛び上がった。
 森の木々がどんどん眼下へ遠ざかっていく。
 思っていたとおり、リューカ村もどんどん小さくなっていったが、リーンはほとんどそちらを見ていなかった。
 地平線が、遙か遠くに見える。
 北を見れば彼方には雪を戴く山々が連なる山脈。西には、整然と建物が並んだ王都のさらに向こうに海があった。
 東へは、眼下の森がさらに広がりながら続き、南はおおむね平地が広がっている。
(なんて、広い……)
 想像を超える景色に、リーンはしばらく絶句していた。
 気付けばまた、頬が濡れていた。
 だが、今度は何かが悲しくて泣いているのではなかった。ただ純粋に感動していたのだ。
「……世界は、大きいですね、アーサー様」
『ああ。そうだな』
 アーサーの声は優しかった。
『リーンはどこへ行きたい? どこへでも、連れていってやろう』
「私は、アーサー様の行かれるところなら、どこまででもついていきます」
『そうか。ならば、北の山へでも行ってみるかな。あそこは一応、我の故郷だ。まだ我の同族がいるだろう。リーンは寒いところは平気か?』
 アーサーがちらりとこちらへ向けたまなざしを見て、リーンは、彼が自分を手放すつもりはないということを理解した。
 アーサーは自分を置いていなくなったりはしない。どこまでも連れていってくれる……。
「はい!」
 愛されているという実感が、リーンを幸福で満たした。

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