水の魔物

たかまちゆう

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第六章 飛翔

6-6 帰郷

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 リーンは、ほぼ三十年ぶりにリューカ村へ向かっていた。
(私の家、まだあるかしら?)
 リーンの母親は、二人目の子供を妊娠した後、発狂して夫を殺し、自分の実の両親を殺し、自宅に火を放って焼身自殺をした。
 そのため、リーンの実家は既に無い。
 リーンが今帰ろうとしているのは、家族の死後に引き取られた、父方の祖父の家だ。
 しかしそこも、リーンが村を出る前に祖父が亡くなっているため、住む人間がいなくなって長いはずだ。
 もしかしたら既に別の人間が住んでいたり、取り壊されている可能性もある。
 もしそうなっていたとしたら、誰かに蝋燭を借りられるだろうか?
 正直言って、リーンは他の村人と関わりたくなかった。
 あの村に、良い思い出などない。
 リーンだけを置いて死んでいった母親も、本当はリーンのことが嫌いなくせに、一族を絶やさないためだけに自分を引き取って生かした祖父も、憐れみの目で偽善的な言葉をかけてくるその他の村人も、リーンは大嫌いだった。

 だが、辿り着いた先に家はまだあった。
 三十年近く放置していたから相当荒れているだろうと予想していたのだが、それほどでもない。
 中に入ってみると、意外にもほとんど埃が積もっていなかった。
 かといって、誰かが代わりに住んでいるという様子でもない。
 不思議に思いながらも、リーンは奥へ入っていき、戸棚の引き出しから必要なものを取り出した。
 記憶にある物が、きちんと記憶にあるとおりに引き出しに収まっている。
 やはり、誰かがこの家を使っているというわけではなさそうだった。
 首をひねりながらも、欲しいものが全て揃ったことに安堵して、洞窟へ戻るために外へ出ると、庭に誰かがいることに気付いた。
(あの人が、家の手入れをしてくれてたのかな?)
 リーンは、その男が誰かに似ているような気がした。
(村長……?)
「リーン!?」
 男がこちらに気付いて声を上げた。
「帰ってきたのか……!?」
 その言葉の親しげな響きが、リーンを戸惑わせた。
「えっと……、誰……?」
 恐る恐る訊くと、男は失望したような顔になった。
「覚えてないか? モイケだよ」
「……あ、もしかして、村長の息子?」
「今は俺が村長だけどな」
 モイケは苦笑した。
「まさかあなたが、この家の掃除とか、してくれてたの?」
「そうだよ」
 リーンは何と言ったら良いか分からなくなった。
 自分は洞窟へ行ってから一度もこの男のことを思い出しはしなかったし、正直言って名前も忘れていた。
 だがモイケはずっとリーンのことを気にかけてくれていたのだ。
 それは、長年にわたって手入れされてきたこの家が、何よりも雄弁に証明していた。
(どうして……。私なんかのために)
「リーン……」
 モイケが何かを言おうとして言い淀み、
「……今、幸せか?」
 そんな風に訊いた。
 リーンは、この男は昔もそうだったな、と思い出していた。
 屋根に上って下りてこないリーンに、危ないから下りてこいよ、と言った後、さらに何か言いたそうにもじもじしていた。
 リーンはモイケのそういうハッキリしないところが嫌いだった。
 それでも、彼がうわべだけでなく、本気でリーンのことを心配してくれていることだけは、分かっていた。
 そして、改めて考える。――私は、今、幸せか?
「うん」
 リーンは頷いた。少なくともまだ今は、自分はアーサーに必要とされている。
 ここで否定することは、犠牲にしてきた人達に対する裏切りのように思えた。
「なら、良かった」
「ありがとう。……お兄ちゃん」
 その言葉は、無意識のうちにするりと口からすべり出ていた。
 家族を全て失ったリーンに、前村長は自分の家を新しい「家」だと思えと言った。
 そう言われても、リーンは自分の家から出る気はなかったから断ったのだが、当時の村長も、モイケや家庭教師のクラムも、何かと世話を焼きに来てくれていた。
 きっとモイケは父親から、リーンを妹だと思って面倒を見るようにと命じられていたのだろうと思う。
 世話になったのはほんの数年。
 当時は一度も「兄」などと思ったことはなかったのに、今になって急に呼んでみたくなったのだ。
 ――こんなに長い間、私のことを憶えていて、気にかけていてくれて、ありがとう。
 言葉にしなかったその思いが、モイケに伝わればいいと思った。
 初めて「お兄ちゃん」と呼ばれたモイケは、驚いたように目を瞠った後、複雑そうな顔で微笑んだ。

     *

 リーンが洞窟へ戻ると、外で待っていたモニムがホッとした顔をした。
「全部見つけたわ。一つ目はここ」
 そう言って、モニムは地面が盛り上がった部分の土を示した。そこに、木の細い枝が刺さっている。
 葉の陰に隠れていたし、そもそも今まで注目して見てみたこともなかったから気付かなかったが、よく見れば確かに魔力の痕跡があった。
「こんなところに……」
 リーンは呟き、家から持ってきた蝋燭に魔法で火をつけた。それを枝の周囲に置き、呪文を唱えながら枝を抜く。
「……!」
 ぐらり、と地面が揺れた。
 モニムがよろめいて地面に手をつく。
 リーンはどうにか転ばずに数歩下がり、揺れが収まるのを待って言った。
「さあ、次へ行くわよ」
 だが、モニムは首を傾げて言った。
「たぶん、その必要もなさそうね」
「え?」
 聞き返した瞬間、リーンは見た。
 地面を突き破って、下からアーサーが飛び出してきたのを。
「あ……」
「……本当にこれで良かったのかしら……」
 モニムの呟きが聞こえ、リーンは自分が喜んでいないこと――「良かった」と言えなくなっていることに気付いた。
 ずっとこのときを待っていたはずなのに、リーンが感じていたのは失望だった。
(アーサー様は結局、私を食べてはくれなかった……)

     *
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