水の魔物

たかまちゆう

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第六章 飛翔

6-5 取引

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『妙な感触だ……』
 アーサーはひとりごちた。
 人一人を離れた壁に叩きつけるほどの力をかけたのだ。本来なら人間など、たやすく内臓が破裂して即死するはずだったが、ウエインがまだ生きているらしいことを不思議がっていた。
「ウエイン……!」
 モニムが、焦ったように、倒れたウエインに駆け寄る。
『だがちょうど良い。二人。お前らを喰えば、我はついにこの洞窟を破れる』
「待ってください!」
 モニムは叫んだ。ウエインを庇うように、両手を広げて立つ。
「あなたの望みがここを出ることだというなら、わたしがその方法を教えます。だからどうか、この人を見逃してください」
『ほぉう? お前のような娘がか? だが、我は確実な方を取る』
 アーサーは構わず、モニムから先に喰おうとしてきた。
「わたしは、ジル・キエコーン――ジーラステラーの記憶を知っています!」
『ジル? あの裏切り者の?』
「彼はあなたを裏切ってなんかいません!」
 モニムの叫びに興味を引かれたように、竜は動きを止めた。
 モニムは胸に手を当て、目を閉じた。自分の中に在るエルフューレの声に、耳を澄ますように。
 ジルはエルフューレを体内に取り込んで制御していた。だが、エルフューレの意識そのものがすぐに消えたわけではない。ジルがアーサーと戦った時の記憶が、エルフューレにはあるのだ。
 ジルは、長い時間をかけて仕掛けを作り、アーサーをこの場所へ誘い込んで封印した――。
「彼はあなたを友達だと思っていました。……アーサー・ガウル」
『我の名を……?』
「ジルはあなたと名を交わして約束したはずです。あなたと勝負して勝ったら、彼の望みを聞いてくれるようにと。彼は約束通り、あなたに勝った。本来なら彼はその後すぐにあなたを解放し、約束を果たしてもらうつもりでした」
『だが奴は来なかった。我は以来、ずっとここに閉じ込められている』
 アーサーの目には怒りがあった。
 だがその奥には、裏切られたという悲しみが垣間見えた。
 ――裏切られた……信じていたのに。
『約束などというのは嘘だったのだ。奴は最初から、我を封印するつもりだったに違いない』
「いいえ。彼がここへ来なかったのは、彼があなたを解放する前に死んでしまったからです」
『死んだ……!? 身体のせいでか? 病気は治ったと言っていたのに……』
「いいえ。彼は殺されたんです。それも、家族に。後ろから……、刺されて」
 モニムはぎゅっと目を瞑った。ジルの痛みを感じているかのように。
「家族、って」
 呟いたのは、ずっとそばで話を聞いていたリーンだった。
 ジルの家族だというなら、それはやはり、リーンにとっての先祖だ。
「人を食べる竜と仲良くしていたジルを、快く思わなかったみたいです」
 モニムの言葉を聞いて、リーンは唇を噛んだ。
 どちらにしても、自分はアーサーに仇なした者の子孫であることは変わらないらしい。
『……それで? お前の話が本当だとして、どうやってこの洞窟を開く?』
「この洞窟は、既に一ヶ所開いていますね? それをしたのは……、あなた?」
 モニムの視線が、リーンを捉えた。
「え、ええ。そうよ」
「それと同じことを、あと三回すればいいの。封印の鍵になっているものは、あの剣だけではないのよ」
「そうだったの……?」
 そんな簡単なことだったのか。
 それなら、いくつかの道具を用意しさえすれば、いつでもできる。
「それじゃ、私は、何のために……」
 リーンは呟いた。今までアーサーの餌にしてきた人間達の顔が思い浮かんだ。
『リーン、もう、お前がそんなことをする必要はない。ここに餌になる人間が二人いる』
 アーサーは、あくまでもモニムを喰うつもりのようだった。
 モニムの身体に、ぐいと顔を近づける。
「あ……、アーサー様、待って……」
 引き留めるリーンの弱々しい声が届いたのかどうか。アーサーはぴたりと動きを止めた。
『お前……、屍肉の臭いがするな』
 くんくんとモニムの臭いを嗅いだと思うと、アーサーはそれきり、興味なさそうに背を向けてしまった。
 少し離れたところで、身体を休めるように横になる。
『……そっちの男一人ではどうにもならん。好きにするが良い』
「え……」
 どうやら見逃してもらえるらしい。
 モニムは、屍肉と言われたことには密かに傷つきながらも、ホッと息をついた。
「ちゃんと案内してくれるんでしょうね?」
 リーンは疑わしそうな口調でモニムに問いながらも、その表情には安堵が現れていた。
 本当はリーンも、人間を竜に食わせることには躊躇いを感じているのだ。
「約束は守るわ」
 モニムは、倒れているウエインが心配だったので背負って連れていこうとしたが、意識のない人間、しかも自分より身長の大きな男であるウエインをどうしても持ち上げることができなかった。
(こんなときこそ力を貸してよ、エル)
 とは思ったが、そもそも怪我人をあまり動かすのも良くない気はした。
 悩んでいると、竜が少し顔を上げ、
『お前のいない間にその男に手を出したりはせぬ。安心して置いていけ』
 と言った。
 竜の感情表現はモニムには分からない。
 だから、それが不機嫌な口調なのか優しい口調なのか、判断できなかった。
 さらに迷っていると、竜が言い足した。
『ずっと、ジルは我を裏切ったのだと思っていた。だが、そうではなかったのだな……。ありがとう、娘よ』
 竜が微笑んだような気がしたのは、モニムの気のせいだっただろうか。
(きっと……)
 モニムは思う。
(このひとも、ジルを友達だと思っていた)
「ねえ、早く、行くわよ」
 リーンにかされ、モニムは今度は迷わずについていった。
「入り口のところは剣が刺さっていたけれど、あとの三ヶ所は木の枝なの」
「へえ。石の印を消したときに洞窟の外は一周したけど、気付かなかったわよ?」
「その石は、地形を変化させる範囲を規定するための目印ね。正確に言うとね、封印自体は、剣と石だけで完成しているの。ただ、これだけの大規模な変化を起こすためには、それだけ大きな魔力が必要になるから、ジルは事前に木の枝を通して少しずつこの辺りの地面に魔力を流し込んでいたの。必ずしも今の洞窟の外周に沿っているわけではないのかもしれないわ」
 洞窟の外へ出て、モニムは眉を寄せた。
「……ごめんなさい。地形が封印前と変わってしまっているから、探すのに少し時間がかかるかも……」
「はあ?」
 リーンは一瞬、怒りの表情を浮かべたが、恐縮しているモニムの顔を見て諦めたように一つ溜息をついた。
「どうせ蝋燭とかが必要だから、私はそれを取ってくるわ。その間に見つけておいてよ。いい? 言っておくけど、あの男はまだ洞窟の中にいるんだからね?」
「ええ。わかっているわ」

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