水の魔物

たかまちゆう

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第六章 飛翔

6-1 束の間の平和

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 ウエインは、へばっていた。
(くそ、体が、動か…な……)
 地面に仰向けに寝転がり、荒い息を繰り返す。
 討伐隊の訓練に参加させてもらったものの、準備運動の段階から想像以上にハードで、模造刀を貸してもらっての打ち合いが始まった時点では、腕を上げるだけでも一苦労になっていた。
(母さんも昔はこんな訓練をしてたのか?)
 だとしたら凄すぎる、とウエインは思った。尊敬に値する。
「いやあ、意外と頑張ったね、ウエイン君」
 ニモが、汗を拭いながらニコニコとして言った。
 その周りでは、村長宅から合流した他の隊員達も、うんうんと頷いている。
「正直、最後までついてこられると思わなかったよ」
「全然……、駄目です。こんな、ボロボロになっちゃって、恥ずかしいです」
「悔しいと思えるならもっと強くなれる。大丈夫だ」
 ビラードが、ごつい外見に似合わない優しい声で励ましてくれた。
「……はい」
「夕飯後の夜練は、任務中ゆえ軽めのメニューにする。それと明日の朝練も、参加するだろう? 俺達は、隊長から連絡があるまではこの村で待機することになっているから」
「はい。よろしくお願いします」
 ウエインは姿勢を正し、深く頭を下げた。

     *

 一方。
 ウエインが訓練に参加している間、モニムは居間でダルシアと向かい合って座っていた。
「モニムさん、さっきは本当にごめんなさい……!」
 開口一番、ダルシアが大きく頭を下げて謝った。
 その姿がウエインとそっくりだったので、モニムは小さく噴き出した。
 腕を切り落とされた時の痛みや恐怖は覚えているが、夫を奪われたダルシアの痛みを想像すると、責める気にはならない。
 だがダルシアは、このままでは落ち着かないらしい。
「ゆるしてくれとは言わないわ。どうか気が済むまで私を殴ってちょうだい」
 真剣な顔でそんなことを言う。
「いえ、そんな……」
 モニムは困ったように首を振った後、ふと微笑みを浮かべた。
「……それなら、代わりにイスティムさんの話を聞かせてください」
 ダルシアは軽く目を見開いた後、頷いて微笑み返した。
「いいわよ」

 ――そうしてダルシアが語ったのは、王都での日々だった。
 どのようにイスティムと出会い、どうしてこんな遠い村までついてくることに決めたのか。
 時折照れたように笑いながら話すダルシアの目からは、亡き夫への変わらぬ愛情が感じられた。
 かつてイスティムに対して淡い恋心を抱いたモニムは、胸の奥に微かな痛みを感じつつも、興味深く話を聞いた。
 若い頃の二人の姿が、目の裏に浮かぶ気がした。
 思えば、モニムがあの時本当に憧れたのは、イスティムの瞳から感じられる深い愛情だったのかもしれない。
 それと同じものを、今のダルシアの瞳からも感じる。
「……私ね、『泉』であなたを見て、あの人がどう思ったのか、分かる気がするの」
 ダルシアが、ふと寂しげに言った。
「あの人は、不幸そうな人を目の前にすると、自分が幸せであることを申し訳なく思うような人だったから」
「……優しい人、でした」
 モニムは懐かしむように目を細めた。
「あの人のこと、好きだったの?」
 ダルシアに訊ねられ、モニムははっきりと頷いた。
「はい」
「そっか。……じゃあ、私と一緒ね!」
 ダルシアは、まだどこか寂しそうに、けれど嬉しそうに、笑った。

     *

「ただいまー」
 友達の家へ遊びに行っていたアンノが、明るい声と共に帰ってきた。
「母さん、外で兄さんが知らない人達と何かしてたけど、どうしたの?」
 などと言いながら台所へ入ってきて――、夕飯の支度を手伝っていたモニムを見て、ぴたりと足を止めた。
「あ、こんにち……こんばんは」
 モニムは急いで手を拭き、ぺこりと頭を下げた。
「こんばんは。えっと……、誰?」
「おかえり、アンノ。この子はウエインのお客さんよ。モニムさんっていうの」
「え、まさか、兄さんの恋人!?」
「いえ、違います」
 モニムは困ったような顔で否定した。
「そう? 初めまして。あたしは、ウエインの妹の、アンノっていいます」
「あ、モニムです」
 それから、アンノも手伝いに加わった。
 野菜を切るモニムの手つきの危なっかしさにハラハラしつつ、アンノは持ち前の好奇心を発揮してモニムを質問攻めにした。
 モニムは、自分がイリケ族の生き残りであることや『泉』にいたことなどを、訊かれるままに話した。
「そっか、色々苦労したんだね。大変だったね」
 アンノは涙ぐみながらモニムの話を聞いた。
「あ、サイズが合うか分からないけど、あたしの服、何枚かあげようか? そんなに上等じゃないけど、少なくとも破れてはいないのがあるよ。それとも、その破れてるところ、繕ってあげようか?」
「あ、あの、それじゃ、わたしに裁縫教えてくれる……?」
 裏表なく人懐っこい性格のアンノに気を許したのか、モニムが少し嬉しそうに言った。
「いいわよ、もちろん」
「服なら、私が若い頃に着てたやつをあげるわよ。そっちの方がたぶん似合うから」
 ダルシアが口を挟み、しばらく母娘おやこで、モニムに似合いそうな服についての話で盛り上がった。
 モニムは少し恥ずかしそうにしながらも、楽しげに二人の会話を聞いていた。

     *
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