水の魔物

たかまちゆう

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第三章 伝説の剣

3-1 約束

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 時は少し遡る。
 ウエインと別れて森の奥へ入ってきたエスリコは、目的地である洞窟の入り口が見えたところで足を止め、目を細めた。
(――今助けに行くぞ、リーン!)

     *

 十年前。
 まだ幼かったエスリコは、遊び場を求め、森の道無き道を分け入っていた。
 当時ウエインのことは、顔と名前は知っているという程度で、特に親しくはなかった。
 エスリコはクラムの塾に通ってはいなかったし、一方のウエインは塾に行っていないときは家の農作業の手伝いをするか、一人で剣を振っていたから、ほとんど会話したこともなかった。
 剣の修行をしているということは、王都へ行って騎士団か討伐隊にでも入るつもりなのだろうと、エスリコは漠然と考えていた。
 母から、ウエインの母親が元はこの村の人間ではなく、王都から来た女性なのだと聞いていたからかもしれない。
(――あれ?)
 森の奥深くまで入り込んだエスリコは、一段高くなっている丘の斜面に、草の陰に隠れるようにしてぽっかりと開いている穴を見つけた。
 覗きこんでみると、入ってすぐ右へ曲がっているのが分かった。
「おーい!」
 声を出してみると、その反響の具合から、意外と奥行きがありそうに思われた。
「すごいな!」
 探検するのにもってこいの場所を見つけたと、エスリコは喜んだ。
 明日は早速、灯りを持ってここへ来よう。と、思ったときだった。
「――何をしているの?」
 後ろから、女性の声がかかった。
「!?」
 驚いて振り返ると、そこにはいつの間にか一人の少女が立っていた。
「珍しいわね。こんなところに人が来るなんて。坊や、どこから来たの?」
「リューカ村から……」
 見たことのない顔だった。長い金髪を、頭の高い位置で一つに束ねている。服も、見慣れない形をしていた。
「お姉さんは都会の人?」
 そう思ったのは、少女から村の女達とどこか違った雰囲気が感じられたからだ。
 白くなめらかな肌や美しく整った顔も、その印象を強くしていた。
「いいえ。私も出身はリューカ村よ」
「え? でも……」
 見たことない、とエスリコが言おうとするのを遮って、少女は強引に話題を変えた。
「知ってる? この洞窟にはね、大昔に封印された竜がいるのよ」
「竜?」
「人の肉を食べる竜よ。封印される前は、この辺りの空を自由に飛び回っていたんですって」
「魔物!?」
 エスリコはまだ幼い顔を限界まで歪めた。
 ウエインの父親が魔物に殺されたのではないかと噂されているのを、エスリコは知っていた。
 エスリコの父親がいないのだって、皆は病気で亡くなったのだと言ってくれるけれど、本当は魔物に食べられてしまったのを隠しているだけかもしれない、とエスリコは根拠もなく信じていた。
 男手が足りないせいで、農閑期である夏の今頃くらいしか、エスリコには遊ぶ暇がない。ウエインの母親は女でありながら男と同等に畑仕事もこなすらしいが、エスリコの母はそこまで力強くはなかった。他の家族は姉が一人いるだけだから、エスリコが頑張って働かなければ、一家が路頭に迷ってしまう。
 それもこれもきっと、魔物が全て悪いのだ。
「……坊や、名前は?」
 大して興味も無さそうな無表情で、少女が訊いてきた。
「エスリコ・エッティーレ」
「ふうん」
「お姉さんは?」
 エスリコの質問に、少女は少し躊躇ってから答えた。
「……リーン」
「へえ。綺麗な名前だね」
「ありがとう」
「で? リーンはここで何をしてたんだ?」
 名前を知ったことで親近感が湧いてきたのか、エスリコの口調が前より馴れ馴れしいものに変わった。
 それが不快だったのか、リーンの眉が寄る。
「竜の餌になる人間を探してたの」
「……冗談だろ?」
 エスリコは、彼女が自分を脅かそうとしてそんなことを言っているのだと解釈した。
「だって竜はとても強いのよ。大昔の人も、竜を封印するのが精一杯で、殺すことはできなかったの。だからこの奥で、竜はまだ生きているのよ。君なんかじゃ簡単に餌にされてしまうわ」
「そりゃ、オレはまだこどもだけど……」
 年上とはいえ女の子に馬鹿にされているように感じ、エスリコは口を尖らせた。「坊や」「君」などと呼ばれるのも、愉快ではない。
「それが解ってるだけでも偉いわ。じゃあ、もう二度とこんな所に近づかないことね」
 そう言い放つと、リーンは洞窟の中に戻っていってしまった。
「あ! 待ってよリーン!」
 エスリコは咄嗟に追いかけたが、洞窟の奥は暗く、先が見えない。入り口を入ってすぐ右へ道が曲がってしまったために、後ろから光が入ってこないのだ。
 だんだん怖くなってきたところで、行く手にぽっと明かりが灯った。
 見ると、リーンの上向けた掌の上に、握りこぶし大の光る球状のものが浮かんでいる。それはランプの灯りに比べると青白い光を放ち、周囲を照らしていた。
 リーンが掌を軽く持ち上げると、光の球は押し上げられたようにすうっと浮き上がり、天井付近で静止して辺りを白々と明るくした。
 エスリコはその光景に引き込まれるようにそちらへ近づき、しばらくぼうっと見とれていた。
 そばに近づいてみても、光の球に熱さはない。
 普通の火のように何かが燃えているのではない。それは純粋な「光」の塊だった。
 光に照らされて、洞窟の岩の地面に突き刺さった細長いものが浮かび上がっていた。
 よく見れば、それは剣だった。柄が上にあり、剣先は地面に深く食い込んでいる。
「これは特別な剣なの。ここの奥にいる竜は、この剣によって封印されたと言われているのよ」
 エスリコの視線に気付いたのか、リーンがそう説明した。
「伝説の剣ってわけか。すごいな!」
 感嘆の声を上げたエスリコは、しかしふと疑問に思った。
「リーンはどうして、そんなことを知っているんだ?」
「ここに竜を封印したのは、私のご先祖様なの。それを知ってから、ずっとこの辺りにいるわ。食料を調達しないといけないから、外へ出ることもあるけど、遠くへは行かないようにしてるの。私がここを離れると、その間に竜が封印を破って出てきてしまうかもしれない。それだけは嫌なの。だから、私がここを離れるのは、竜が外へ出たときか、死んだとき。そのどちらかしかないわ」
「リーンはいつからここにいるんだ?」
「そうね、二十年くらい前からかしら」
 リーンが当たり前のように軽くそう答えたので、エスリコは聞き間違えたかと思った。次いで、むっと眉を寄せる。
「オレがこどもだからって、ばかにしてるのか?」
 リーンの見た目は若い。二十年前なら、たとえ生まれていたとしても赤ん坊だったとしか思えない。
「違うわ。私はもう、年をとらないの。今の役目についたときからね」
「え……?」
 エスリコは驚いてリーンを見つめた。信じがたい話ではあったが、目の前の少女には、どこかそれを納得させてしまう謎めいた雰囲気がある。
 ふと先程の光の球を見上げ……、その不思議な力と、エスリコのある記憶が繋がった。
(そうか! 『リーン』って、もしかしてリーン・キエコーン――リューカ村最後の魔導士なのか? というか、リーン・キエコーンって女の子だったのか……)
 リーン・キエコーンは姿を消したと聞いていたが、それは竜を監視する役目を果たすためだったのか、とエスリコは勝手に考え、納得した。
 リューカの村人が誰もそれを知らなかったということは、リーンはずっと一人で、黙ってこの場所にいたのだろうか……?
「リューカへ帰りたいとは思わないのか?」
「別に。元々、そんなに親しい人もいなかったし」
「でも、ずっとこんな場所に一人でいたいわけじゃないだろ? 本当は、外へ出たいんじゃないのか?」
 リーンはそこで少し視線を揺らし、目を伏せた。
「そうね。……いつかは」
 エスリコは考えた。リーンはここで、自分を運命から解放してくれるものを待っていたのではないかと。
「『いつか』じゃない。十年後、大人になったら、オレはここへ戻ってくる!」
 エスリコは宣言した。
 自分が悪しき竜を倒し、リーンを自由にするのだと。
 リーンを救い出すのだと、思って。

 あの日、エスリコは強くなろうと決めたのだ。
 すぐに思い浮かんだのは、いつも一人で剣を振っているウエインの顔だった。
 強くなりたい、一緒に修行したいと言うと、ウエインは首を傾げた。
「エスリコはどうして強くなりたいんだ?」
「オレ、解ったんだ。強さとか力っていうのは、自分より力の弱いものを救ってやるためにあるんだって。お前もそう思うだろ?」
「え……」
 だがウエインは、エスリコの期待に反して首を横に振った。
「いや、俺はただ、父さんの形見の剣をうまく扱えるようになりたくて……。それ以上のことはあんまり考えてないんだ」
「そうなのか?」
 エスリコは少しがっかりした。
 そして、リーンのことはウエインにも言わないでおこうと思った。
 十年後、あの少女を救い出したら。
 そうしたら、いきなりウエインに彼女を会わせて驚かせてやろう、と考えた。
(オレは強くなって、そして正義のために力を使いたい)
 ……それから何年もかけて頑張って小遣いを貯め、エスリコは行商人から剣を買った。
 初めは重く感じた剣も、今ではすっかり手に馴染んでいる。
 少ない時間を使ってずっと訓練してきたのだ。
 全ては今日のために。

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