水の魔物

たかまちゆう

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第二章 失われた故郷

2-14 回想

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 いつの間にか日は傾き、辺りには急速に暮色が漂い始めていた。
 ジブレ達と分かれて二人だけになると、モニムには、周囲が急に静かになったように感じられた。
(モニム・ミザーニマ・イリキュラス、か)
 モニムは自分の名について考える。
 正確には、「ミザーニマ」は名前ではない。
 称号だ。イリケ族で一番大きな力を受け継ぐ者の。
 「ミザーニマ」は、前の「ミザーニマ」が三十代のとき、十代の者の中から次の一人を選ぶ。大抵は自分の娘を選ぶが、そうでないこともあった。誰か一人を指名し、その後、儀式で「ミザーニマ」だけが持つ大きな力を受け渡すことになっていた。
 イエラは四十歳になる直前、当時十一歳だったモニムと儀式を行った。
 それ以来モニムは周囲から「ミザーニマ」と呼ばれるようになったが、実はずっと疑問に思っていた。
 儀式の後で自分の力が強くなった感じが全くしなかったのだ。
 一方で、本来「ミザーニマ」でなくなったはずの母の力は、儀式の前と変わらないように思えた。
(あの日、儀式でわたしは、『ミザーニマ』の力を貰えなかった。皆はわたしが名実めいじつともに新しい『ミザーニマ』になったと思っていたはずだけれど、本当は、わたしはまだ、名前だけの『ミザーニマ』だった。お母様は、力を手放さなかったんだわ)
 ――それは違う。
 モニムの中で、答える「声」があった。エルフューレの声だ。
 本当は、泉にいたときから、エルフューレはモニムに呼びかけていたのかもしれない。
 モニムは出会いの時以降、ずっとその声を聞こうとしてこなかったのだが、先程イエラの身体に宿ったエルフューレと話をしたことで、心のチャンネルが開いた感覚があった。
 ――その「力」というのは、ワタシのことなんだ。
(……え?)
 ――儀式で代々受け継がれてきたのは、イリケ族が体内に封じた特殊な『水』だったんだ。三十代で次へ引き継ぐのは、その『水』自体が持つ強すぎる魔力に、だんだんと身体が耐えられなくなるからだ。『水』の継承がいつから行われていたのか、ワタシ自身にもはっきりしない。漠然と、色々なひとの体内に宿った記憶が残っているだけだ。ワタシがワタシを、一個の生命を持つ『ワタシ』であると意識し始めたのがいつだったかも、よく覚えていない。はっきりと覚えているのは、イエラの身体から零れ落ちた瞬間からだ。
(こぼれ…おちた?)
 ――イエラは森で一人、隠れて泣いていた。モニムを産む、少し前のことだ。ワタシはその涙とともに外へ出て、初めてはっきり『ワタシ』がイエラとは別の存在だと意識した。
(泣いていた……?)
 ――モニムの父親とケンカしたせいだ。ケンカの理由は忘れたが、ごく些細なことだったと思う。ともかくそのとき、ワタシはイエラに名前をもらい、イエラとはともだちになった。何度か呼びかけられているうちに、周りの水を吸収して大きくなることを覚えた。その頃にはもう、イエラの中に戻ることは考えられなくなっていた……。
(どうして)
 ――ワタシはイエラが好きだ。……好きだった。だからこそ、ともだちでいたかったんだ。イエラと同化するためには、イエラそのものになろうとする必要があった。そうすると、ともだちではいられない。だから。
(…………)
 ――儀式でモニムに力を渡せないことについては、イエラも悩んでいたようだ。ワタシには協力できなかったが、ワタシはワタシとして、イエラと一緒にモニムを守ると約束した。
(約束……)
 モニムは、あの惨劇の日に母の言った、エルを頼りなさい、という言葉を思い出す……。

 あの日、母が用事で出かけていた時間に、見知らぬ男達が急に家へ踏み込んできたのだった。
 男達は手に手に大型小型の凶器を持って、モニムに襲いかかってきた。
 家にいた父は、モニムを庇って棒で殴り倒されてしまった。
 ショックのあまり叫び声さえ上げられずに見つめるモニムの前で、父を殴った男は目を血走らせ、震えながら言った。
「お、おまえが悪いんだ。こんなやつを庇ったりするから!」
 別の男は、刃物を持ってモニムに向かってきた。
 モニムは咄嗟によけようとした。
 だが思うように体が動かず、腹部に刃物の突き刺さる鋭い痛みを感じた。
「……っ!」
 男は一度刃物を抜き、さらに三度、刺した。
 刃物を止めようと突き出した腕や手の平にも傷ができたが、非力なモニムには男の動きを止めることはできなかった。
 たまらず床に倒れ込んだモニムは、自分の体の下に血溜まりができていくのをぼんやりと見ていた。
「……よし」
 冷静な男の声が降ってきたが、やけに遠く感じた。
「こいつの母親がそのうち帰ってくるはずだ。適当なところに隠れろ。いいか、イリケ族一番の実力者だ、くれぐれも、一人では手を出すなよ。娘か夫が倒れているのを見て注意が逸れた瞬間、全員でやる」
(お母様……! 帰ってきちゃダメ!)
 母のことを思ったら、遠のきかけた意識が少し戻ってきた。
 体内の血液の循環に意識を集中して、これ以上血が流れ出ないようコントロールする。
 体の外へ流れ出た血液を戻すことまではできないが、このままおとなしくしていれば、なんとか生き延びることはできそうだ、と考えた。
 だが、それでは母に、狙われていると警告に行くことができない。
 しかし、彼らの目の前で起き上がったりすれば、今度こそ確実に殺されてしまうに違いなかった。
 モニムは迷い、どうすべきか決める前に、玄関の扉が開く音がした。
 イエラが帰ってきてしまったのだ。
(ダメ、お母様……!)
 モニムが立ち上がろうとした瞬間、
「来るな、イエラ! 殺されるぞ!」
 頭を押さえながら起き上がった父が、鋭い声で警告を発した。
「くそっ! 余計な事を!」
 物陰に身を隠していた男達が一斉に飛び出し、イエラに襲いかかった。
 イエラは弾かれたように、家を飛び出していった。
「逃げられた!」
 男達が舌打ちした。
「てめえ!」
 父の頭を誰かが蹴った。
「おい、殺すなよ」
 リーダーらしき男が言う。
「そいつがいる限り、あの女は必ず帰ってくる」
 その言葉と同時だった。台所にある裏口の扉が、勢いよく開いた。
 そこから、大量の水が流れ込んできた。
「はあっ!?」
「しまった、あっちには井戸が――」
 男達の声が途切れた。
 家の中の全てを押し流す勢いで、水がぶつかってきた。

「モニム、モニム!」
 母に肩を揺さぶられ、モニムは目を開けた。
「良かった、生きていたのね……」
 イエラは目に涙を浮かべていた。
 涙を拭い……、その、涙の滴をモニムの手に乗せた。
「いい? モニム。あなたにおかあさんの水をあげる。これが指し示す方向に、森の泉があるわ。泉のエルを頼りなさい。あの子が必ずあなたを助けてくれる」
「泉の……、エル?」
「おかあさんの友達よ」
「でも、お母様は一緒じゃないの?」
「私はあの人を助けに行かなきゃ」
 言われて見回すと、びしょ濡れになった室内に、父の姿はなかった。
 男達が何人か倒れてはいるが、リーダー格の男もいない。
「あいつら、おとうさんを連れて外へ逃げたみたい」
「そう……」
 わたしも一緒に戦う、とモニムは言いたかった。
 だが、傷だらけの自分は歩くのすらやっとで、とても戦うことなどできない。
 母の言葉に従って泉へ行くしかなかった。
「絶対見つかっちゃだめよ。ゆっくりでもいいから、物陰に隠れながら森へ入るのよ」
「はい」
 そして……、
(わたしは、お母様とお父様を見捨てて、逃げたんだ……)
 モニムは自分の考えにショックを受け、思わず足を止めた。
 ディパジットから逃げてきた今の状況が、かつてたった一人で森へ逃げ込んだ記憶と重なって混乱する。
 あの日、泉へ着いた瞬間に思ったのは「助かった」ということだけで、両親や友人を助けるためにあの恐ろしい場所へ戻る気になれたのは、丸一日も時間が経った後だった。
 自分は重傷だからと心の中で言い訳して、怪我が完全に治るまで動こうとしなかった。
 皆を助けに行きたいという思いよりも、恐怖が勝ってしまっていたのだ。
(エルはお母様との約束を守って、わたしを助けてくれた。わたしには、エルを責める資格なんて、ない……)
「モニム、どうしたの?」
 モニムが立ち止まったのに気付き、ウエインが戻ってきた。
 モニムは、今がもう、あれから三百年近くも経った日だということに、改めて思いを馳せた。
(今更……だわ)
 考える。
 もしも、イエラが生きていたなら、泉へ娘を迎えに来ただろう。だがもし、何か来られない事情があったのだとしたら、モニムがすぐ助けに行かなくてはいけなかったのだ。
 三百年も経った今、行ってみたところで、母も父も、友人達も、寿命はとうに尽きているのだから……。
 あの時、父を人質に取られた母は、抵抗できずに殺されてしまったのだろうか?
 結果的には、モニムがどんなに急いで戻ったところで、間に合わなかったのかもしれない。
 だが、それは今だから言えることだ。
 あの時、自分は確かに、皆を見捨てたのだ、と思った。
「大丈夫? モニム、顔色が悪いよ」
 ウエインがモニムの顔を覗き込んで言った。
「ウエイン、わたし……」
「疲れた? うちで少し休んでいく?」
 ウエインの顔を直視できず、モニムは目を伏せた。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。色々、大変なことがあったんだから」
「ええ……」
 ウエインの優しさが心苦しかった。
 それと同時に、ふと、今回デュナーミナへ帰ろうと思ったときは怖くなかったな、と気付いた。
 あの恐怖心がモニム自身のものだったのだとしたら、なぜ今回だけは怖くなかったのだろう……?
(独りじゃなかったから、かしら)
 ちらりとウエインの顔を窺いながら、モニムはそう思った。
 いたわるようにそっと背を撫でるウエインの手は、温かかった。
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