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第二章 失われた故郷
2-7 フラッシュバック
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※この話には残酷な描写があります。ご注意ください。
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呆然と目の前の光景を眺めるモニムの脳裏に、現在の光景に重なって、炎がちらついた。
あの日、燃え盛っていた炎――。
(わたしは、ここに、来た……)
不意に、モニムはその事実を思い出した。
(ここで、地獄のような光景を、見たんだわ……)
『泉』へ逃げ込んだ次の日。
エルフューレのおかげで回復したモニムは、本当は、急いでデュナーミナへ戻ったのだ。
母や友人達のことが心配だった。
だが、村へ着く前から、ざわざわとした不穏な気配が感じられた。
それに、鼻を突く何かものすごく嫌な臭いがしていた。
そして――、知り合いを捜し回って辿り着いたこの場所で、モニムは次々と火に投げ込まれる死体を見たのだ。……たしかそうだったのだと思う。
中には、投げ込まれる時に手足をバタつかせている者もいた。
――まだ生きている。
(嫌……嫌、イヤ――――!!)
恐怖からパニックに陥り……、モニムの記憶は、そこで途切れている。
おそらく、エルフューレがモニムの身体を『泉』まで連れ帰ってくれたのだろう。
次に目を覚ました時には『泉』にいた。
しかし、村へ戻ったことは、記憶からきれいさっぱり消えていた。恐怖のあまり、本能が、なかったことにしたのだろう。
だから、モニムはその後、何度も村へ帰りたいと考えたのだが、その度、恐怖に身がすくんだのだ。
(エルのせいじゃなかった)
モニムは心の中でエルフューレに謝った。
(帰るのを怖がっていたのはわたし。わたし自身だったんだわ……)
*
「…………」
ウエインが言葉を失くしてモニムの虚ろな瞳を見返していると、彼女はまたゆるゆると穴の方に顔を向け直した。
そしてまた、穴の中へ足を踏み出そうとする。
「危ない! 落ちるよ!」
モニムの腕を掴んでいる手に力を込めて、ウエインは引き戻そうとした。
だが、今度はモニムが激しく抵抗した。
「放して! わたしをみんなのところに行かせて!」
身を捩った弾みで、モニムの髪が一房、衣から零れ落ちた。
ジブレがハッと息を呑む音が聞こえた。
(――気付かれた!)
ウエインは咄嗟にジブレを振り返り、その瞬間、モニムがウエインの手を振り払って穴の縁から下へ飛び込んでいった。
「ちょ、モニム!」
穴の斜面を滑り降りる途中でモニムはバランスを崩して転び、そのまま下へと転げ落ちていく。
「大丈夫!?」
彼女を助けるために後を追って飛び下りるべきか、それともジブレから目を離さないようにしておくべきか。ウエインは一瞬迷ったが、結果的に、そんな逡巡は必要なかった。ジブレがモニムに続いてすぐさま穴に飛び込んだからだ。
「あっ!」
ウエインも慌てて飛び込んだ。
かなりの急斜面だったが、なんとか転ばずに下まで滑り切る。
意外だったのは、ジブレまでもが危なげなく滑り下りていたことだった。しかもモニムのそばに立ち、
「大丈夫かい?」
などと言いながら手を差し伸べている。
(どういうことだ? イリケ族が今でも嫌われているっていうのは間違いなのか? それとも、実はまだ気付かれてないのか?)
ウエインは混乱しながらも、ジブレがモニムに危害を加えそうな様子がないのでホッとしていた。
一方モニムは、声をかけられたことにも気付かないように、座り込んだまま呆然と目の前の惨状を見つめている。
「……ひどい……」
ぽつんと、その唇から言葉が洩れた。
ジブレの目がすぅっと細くなる。
まずい、と思ったが、予想に反して彼は、ふっと軽く息を吐くように力なく笑った。
「そうだね……。僕も、そう思うよ」
ウエインは驚いてジブレの顔を見た。
モニムも今の言葉は聞こえたのか、不思議そうな顔で彼を見上げた。
ジブレは微笑み、もう一度手を差し出した。モニムの手を取って立ち上がらせる。
ウエインも駆け寄り、転がり落ちた時にモスに付いた土汚れを払ってあげた。
目立つ汚れが落ちたところで、ジブレは一転して厳しい表情になった。
「でも、町の中では絶対にそんなことを言ったらいけないよ。それからその髪の毛は、決して人目に触れさせてはいけない。どんな目に遭わされるか分からないからね」
「……やっぱり気付いていたのね」
モニムは小さな声で言い、頭を覆っている布を一旦外した。
美しい青銀色の髪が露わになる。
ジブレが「ほぅ」と感嘆の溜息をついた。
モニムは布からはみ出た髪を戻し、またきっちりと布を巻き直した。
「君は、イリケ族の子孫だね。……えっと、アンノさん、だっけ?」
「いえ。ごめんなさい。本当は、モニムといいます。子孫というか、生き残りです」
「生き残り? ……モニム? まさか、モニム・ミザーニマ・イリキュラス?」
ジブレの口から出た名前に驚いてモニムは目を見開いた。
「どうして、その名前を……」
「僕の先祖が書き残した記録に名前が書かれていた。イエラ・ミザーニマ・イリキュラスと、その娘モニムは、近所に住んでいたらしい。ローアスという姓に覚えはある?」
「いいえ……。あ、でも、聞いたことはある…かもしれません」
「覚えてないなら無理しなくていいよ」
ジブレは苦笑した。
「取り立てて親しかったというわけでもないみたいだし、君が覚えていなくても当然だよ。しかし……、驚いたな。まさか『彼女』の娘とはね」
(……?)
ウエインは、まるでモニムの母を知っているかのようなジブレの口ぶりを不審に思った。モニムの年齢について一言も触れないのも、少し不自然だ。
「あの、ジブレさんは、イリケ族の……その、味方、なんですか?」
どう訊いたらいいのか迷い、言葉を選びながらウエインは訊いた。
「それはどうかな」
ジブレは苦笑する。
「僕は科学者だ。僕の望みは世界を冷静に、公平に観察することで、だから本当は、中立だと答えたいところだよ。でも、そうだな、この町の人達は、小さな頃から教えられる昔話のせいで、イリケ族の復讐を恐れ、反動で強く憎んでいる。イリケ族に対して敵対的すぎるんだ。だから勢い僕は、イリケ族に同情的にならざるをえないという側面はある気がするね」
「……はあ……」
ウエインは曖昧に相槌を打ちながらも、内心でホッとしていた。ジブレの言葉は若干言い訳めいているというか、妙に回りくどいように感じたが、内容的にはありがたかった。
「……あ、ジブレさんって、科学者、なんですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、きっと何かすごい発明をしたんですね? あの門番達も『博士』と呼んで尊敬していたみたいだし」
ウエインの言葉に、ジブレは痛みを堪えるような表情になった。
「うん。自分でも凄い発明をしたと思うよ。……後悔するくらいにね」
「え?」
ジブレはそれ以上、その話題を続ける気はないようだった。
「そろそろ戻ろうか」
と言って、返事も待たずに踵を返してしまう。
「あの!」
それを呼び止めたのは、モニムだった。
「……あの花は、あなたが供えてくれたんですか?」
そう言ってモニムが示したのは、穴の中央付近に置かれた赤紫色の花でできた花束で、その言葉を聞いて初めて、ウエインはそこにそんなものがあったことに気付いた。
「まあね」
ジブレは、悪戯を見つかった子供のような表情をちらりと見せて、肯定した。
彼がこの穴を下り慣れている様子だったことを、ウエインは思い出した。
「ありがとう」
モニムがぺこりと頭を下げる。
「どういたしまして」
微笑んで答えるジブレは、自分で言っている以上にイリケ族に対して好意的な人物であるようだった。彼はおそらく、死者に手向ける花を供えるために、この穴へ通っていたのだろうから。
彼に会えたことを、ウエインは心から感謝した。
少し傾斜が緩いところを選び、斜面を慣れた様子で戻り始めるジブレに、今度こそ二人は続いた。
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呆然と目の前の光景を眺めるモニムの脳裏に、現在の光景に重なって、炎がちらついた。
あの日、燃え盛っていた炎――。
(わたしは、ここに、来た……)
不意に、モニムはその事実を思い出した。
(ここで、地獄のような光景を、見たんだわ……)
『泉』へ逃げ込んだ次の日。
エルフューレのおかげで回復したモニムは、本当は、急いでデュナーミナへ戻ったのだ。
母や友人達のことが心配だった。
だが、村へ着く前から、ざわざわとした不穏な気配が感じられた。
それに、鼻を突く何かものすごく嫌な臭いがしていた。
そして――、知り合いを捜し回って辿り着いたこの場所で、モニムは次々と火に投げ込まれる死体を見たのだ。……たしかそうだったのだと思う。
中には、投げ込まれる時に手足をバタつかせている者もいた。
――まだ生きている。
(嫌……嫌、イヤ――――!!)
恐怖からパニックに陥り……、モニムの記憶は、そこで途切れている。
おそらく、エルフューレがモニムの身体を『泉』まで連れ帰ってくれたのだろう。
次に目を覚ました時には『泉』にいた。
しかし、村へ戻ったことは、記憶からきれいさっぱり消えていた。恐怖のあまり、本能が、なかったことにしたのだろう。
だから、モニムはその後、何度も村へ帰りたいと考えたのだが、その度、恐怖に身がすくんだのだ。
(エルのせいじゃなかった)
モニムは心の中でエルフューレに謝った。
(帰るのを怖がっていたのはわたし。わたし自身だったんだわ……)
*
「…………」
ウエインが言葉を失くしてモニムの虚ろな瞳を見返していると、彼女はまたゆるゆると穴の方に顔を向け直した。
そしてまた、穴の中へ足を踏み出そうとする。
「危ない! 落ちるよ!」
モニムの腕を掴んでいる手に力を込めて、ウエインは引き戻そうとした。
だが、今度はモニムが激しく抵抗した。
「放して! わたしをみんなのところに行かせて!」
身を捩った弾みで、モニムの髪が一房、衣から零れ落ちた。
ジブレがハッと息を呑む音が聞こえた。
(――気付かれた!)
ウエインは咄嗟にジブレを振り返り、その瞬間、モニムがウエインの手を振り払って穴の縁から下へ飛び込んでいった。
「ちょ、モニム!」
穴の斜面を滑り降りる途中でモニムはバランスを崩して転び、そのまま下へと転げ落ちていく。
「大丈夫!?」
彼女を助けるために後を追って飛び下りるべきか、それともジブレから目を離さないようにしておくべきか。ウエインは一瞬迷ったが、結果的に、そんな逡巡は必要なかった。ジブレがモニムに続いてすぐさま穴に飛び込んだからだ。
「あっ!」
ウエインも慌てて飛び込んだ。
かなりの急斜面だったが、なんとか転ばずに下まで滑り切る。
意外だったのは、ジブレまでもが危なげなく滑り下りていたことだった。しかもモニムのそばに立ち、
「大丈夫かい?」
などと言いながら手を差し伸べている。
(どういうことだ? イリケ族が今でも嫌われているっていうのは間違いなのか? それとも、実はまだ気付かれてないのか?)
ウエインは混乱しながらも、ジブレがモニムに危害を加えそうな様子がないのでホッとしていた。
一方モニムは、声をかけられたことにも気付かないように、座り込んだまま呆然と目の前の惨状を見つめている。
「……ひどい……」
ぽつんと、その唇から言葉が洩れた。
ジブレの目がすぅっと細くなる。
まずい、と思ったが、予想に反して彼は、ふっと軽く息を吐くように力なく笑った。
「そうだね……。僕も、そう思うよ」
ウエインは驚いてジブレの顔を見た。
モニムも今の言葉は聞こえたのか、不思議そうな顔で彼を見上げた。
ジブレは微笑み、もう一度手を差し出した。モニムの手を取って立ち上がらせる。
ウエインも駆け寄り、転がり落ちた時にモスに付いた土汚れを払ってあげた。
目立つ汚れが落ちたところで、ジブレは一転して厳しい表情になった。
「でも、町の中では絶対にそんなことを言ったらいけないよ。それからその髪の毛は、決して人目に触れさせてはいけない。どんな目に遭わされるか分からないからね」
「……やっぱり気付いていたのね」
モニムは小さな声で言い、頭を覆っている布を一旦外した。
美しい青銀色の髪が露わになる。
ジブレが「ほぅ」と感嘆の溜息をついた。
モニムは布からはみ出た髪を戻し、またきっちりと布を巻き直した。
「君は、イリケ族の子孫だね。……えっと、アンノさん、だっけ?」
「いえ。ごめんなさい。本当は、モニムといいます。子孫というか、生き残りです」
「生き残り? ……モニム? まさか、モニム・ミザーニマ・イリキュラス?」
ジブレの口から出た名前に驚いてモニムは目を見開いた。
「どうして、その名前を……」
「僕の先祖が書き残した記録に名前が書かれていた。イエラ・ミザーニマ・イリキュラスと、その娘モニムは、近所に住んでいたらしい。ローアスという姓に覚えはある?」
「いいえ……。あ、でも、聞いたことはある…かもしれません」
「覚えてないなら無理しなくていいよ」
ジブレは苦笑した。
「取り立てて親しかったというわけでもないみたいだし、君が覚えていなくても当然だよ。しかし……、驚いたな。まさか『彼女』の娘とはね」
(……?)
ウエインは、まるでモニムの母を知っているかのようなジブレの口ぶりを不審に思った。モニムの年齢について一言も触れないのも、少し不自然だ。
「あの、ジブレさんは、イリケ族の……その、味方、なんですか?」
どう訊いたらいいのか迷い、言葉を選びながらウエインは訊いた。
「それはどうかな」
ジブレは苦笑する。
「僕は科学者だ。僕の望みは世界を冷静に、公平に観察することで、だから本当は、中立だと答えたいところだよ。でも、そうだな、この町の人達は、小さな頃から教えられる昔話のせいで、イリケ族の復讐を恐れ、反動で強く憎んでいる。イリケ族に対して敵対的すぎるんだ。だから勢い僕は、イリケ族に同情的にならざるをえないという側面はある気がするね」
「……はあ……」
ウエインは曖昧に相槌を打ちながらも、内心でホッとしていた。ジブレの言葉は若干言い訳めいているというか、妙に回りくどいように感じたが、内容的にはありがたかった。
「……あ、ジブレさんって、科学者、なんですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、きっと何かすごい発明をしたんですね? あの門番達も『博士』と呼んで尊敬していたみたいだし」
ウエインの言葉に、ジブレは痛みを堪えるような表情になった。
「うん。自分でも凄い発明をしたと思うよ。……後悔するくらいにね」
「え?」
ジブレはそれ以上、その話題を続ける気はないようだった。
「そろそろ戻ろうか」
と言って、返事も待たずに踵を返してしまう。
「あの!」
それを呼び止めたのは、モニムだった。
「……あの花は、あなたが供えてくれたんですか?」
そう言ってモニムが示したのは、穴の中央付近に置かれた赤紫色の花でできた花束で、その言葉を聞いて初めて、ウエインはそこにそんなものがあったことに気付いた。
「まあね」
ジブレは、悪戯を見つかった子供のような表情をちらりと見せて、肯定した。
彼がこの穴を下り慣れている様子だったことを、ウエインは思い出した。
「ありがとう」
モニムがぺこりと頭を下げる。
「どういたしまして」
微笑んで答えるジブレは、自分で言っている以上にイリケ族に対して好意的な人物であるようだった。彼はおそらく、死者に手向ける花を供えるために、この穴へ通っていたのだろうから。
彼に会えたことを、ウエインは心から感謝した。
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