水の魔物

たかまちゆう

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第一章 水の魔物

1-1 父との思い出

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「よく聞け、ウエイン」
 幼いウエインを膝に乗せ、父は言った。
「お前はな、もしかしたら生まれる前に死んでいたかもしれないんだ」
「え……?」
 当時のウエインには、父の言葉の意味が全く分からなかった。生まれる前は生きてさえいないはずなのに、なぜ死ぬことができるのか、疑問だった。
 あの時、父がどうしてそんなことを言い出したのか、前後の記憶はない。
 しかし、父の次の言葉が今もはっきりと耳に残っている。
「お前が無事に生まれて、こうして元気に生きていられるのは、『奇跡の泉』にいる、水の精霊のおかげなんだよ」
「水の…せーれい……?」
 ウエインは首をかしげた。
 幼い頃から何度か見ている夢が、脳裏をよぎった。
 青銀色の髪をした美しい女性。
 泉にいる誰かといえば、最初に思い浮かぶのは彼女のことだった。
「……どんな人?」
 ウエインが訊ねると、父は笑った。
「そうだな……。とても美しかったよ、彼女は……人間ひとではないのかもしれないが……」
「え、何?」
 後半は声が小さくてよく聞こえなかった。
 ウエインが父の顔を仰ぎ見て聞き返すと、父はやや自嘲的に笑い、こう続けた。
「彼女が『水』を分けてくれたから、母さんは元気でウエインを産むことができたんだ」
「ふうん。でも、泉には『まもの』がいるんでしょう?」
 ウエインは無邪気に訊いた。
 彼らの住むリューカ村は森に面していて、森のどこかには『奇跡の泉』と呼ばれる泉がある。
 その泉の水を飲むと、あらゆる病が治るのだという。
 だが、泉には『水の魔物』と呼ばれる恐ろしい生き物がいて、近づく者をことごとく追い払うのだと伝えられていた。
 しかし父はなぜか少し微笑み、呟いた。
「『水の魔物』が恐れられているのは、あれが強い力を持っているからだ。だがあれはきっと、ただ彼女を守ろうとしているだけなんだ……」
 その目には、他の村人が魔物について話すときのような憎しみや嫌悪感といったものがなくて、ウエインは不思議に思った。
「――そういえば、お前は父さんの剣を欲しがっていたな」
 唐突に、父がそんなことを言った。
「え? うん」
 父がどうして突然そんなことを言い出したのか、現在いまのウエインなら不思議に思う。
 だが当時のウエインは、それまで話していたこともすぐに忘れて父の言葉に頷いた。
「そうか。じゃあ、あげよう」
「ホント!?」
 ウエインは驚きのあまり父の膝から立ち上がり、振り返って訊いた。
「ああ、本当だ」
 父は紅潮する息子ウエインの顔を見て微笑むと立ち上がり、居間の棚の奥から布に包んだ剣を持ってきた。
 はらり、と布が取り払われ、黒い鞘に納まった剣が現れると、ウエインの目が輝いた。
「いいか、ウエイン。この剣を握れば、お前は簡単に誰かを傷つけることができる。だがお前はこれを、自分より弱いものを傷つけるために使ってはならない。……約束、できるな?」
「うん。やくそく、する」
 ウエインが頷くと、父は満足したようにその剣をウエインに手渡した。
「……母さんを大切にするんだぞ」
「うん」
 受け取った剣は予想していたよりもずっと重く、ウエインは取り落とさないよう必死になりながらなんとか答えた。
 父は全身で踏ん張るウエインの様子を見て軽く笑うと、自室へ戻っていった。
 ウエインはしばらく、持ち方を変えてなんとか剣を支えようと悪戦苦闘していたが、そのうちに腕が疲れてきて、とりあえず一旦剣を床へ下ろすことにした。しゃがんで鞘側を先に下ろし、次いで柄側を下ろす。
 うまくいった、と喜んでいたとき、大きな叫び声が耳に届いた。言葉になっていない、意味を成さない声。
「……?」
 それが母の悲鳴だと気付くまでに、少し時間がかかった。
 悲鳴は、さっき父が入っていった両親の寝室から聞こえた。
 ウエインは首を傾げ、そちらに向かおうとして、部屋から飛び出してきた母と思い切りぶつかった。体重の差で、ウエインが後ろに転がる。
 母はそんなことにも気付かない様子でふらふらとさらに何歩か歩き、やがて力が抜けたようにその場に膝をついた。
「どうしたの?」
 ウエインは起き上がって母の元に駆け寄った。
 だがその声も聞こえているのかいないのか、母は蒼い顔で小刻みに震えるだけで何も答えない。
 埒が明かないので、ウエインは自ら様子を見るために部屋へ向かおうとした。
 だが。
「――!! 駄目!!」
 母に強い力で腕を掴まれて、足を止めざるをえなかった。
 腕に指が食い込む痛みに、ウエインは顔をしかめた。
 すると母はハッとしたように手の力を緩め……、しかし、決して離そうとはしなかった。
「ダメ……。見ては駄目よ」
 そう言う母の声は、まだ震えていた。
「どうして?」
「どうしても、よ!」
 母の目が怖い。
 訳が分からなかったが、ウエインは妙に迫力ある母の言葉に逆らえず、渋々頷いた。

 ――翌朝。
 ウエインはいつもより早い時間に目覚めた。
 だが母はその日も、ウエインが寝室へ入ることを許してはくれなかった。
 父がいつまでも部屋から出てこないので、寝ているのだろうか、と、ウエインは考えた。
 しかし実際にはそうではないということも本能的に察していたのか、部屋を覗きにいこうなどとは不思議に考えなかった。
 そして、さらに数日後。
 ようやく少し冷静になった母の口から、ウエインは父が死んだと聞かされた。
 「死んだ」――実感は全く湧かなかったが、尋常でない母の様子を見れば、それが嘘でも冗談でもないことは明らかだった。
 父の遺体は母の手によって棺に入れられ、ウエインにも、他の誰にもその中身を見せることなく、村の墓地に埋葬されたのだという。
 「それは見てはならないものだったのだ」という思いが――「それ」が何を表すのか自分でも分からないまま――ウエインの中に残った。
 母の蒼い顔を思い出すと、父に関する話題は口にしてはならないような気がして、ウエインは母にも、父の死後生まれた妹にも、このときの話はしていない。
 だが、父と最後に話したこの日のことは、忘れることのできない記憶として、ウエインの心に深く刻まれた。

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