こんなに遠くまできてしまいました

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四章:大人になったラスと真実を知った私

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「やっと言った。……嬉し過ぎて、夢みたいだ」

 ラスは私の頬を両手で挟み、ゆっくりと顔を近づけてきた。
 固い親指が涙に濡れた肌をなぞっていく。
 切れ長の瞳に宿る熱を直視出来ず、私は思わず目を伏せた。
 
「俺にキスされんの、嫌?」

 吐息混じりの切ない低音に、腰が砕けそうになる。

「違うよ、恥ずかしいだけ――」

 最後まで言えなかった。これ以上言葉はいらないというように、ラスがそっと唇を重ねる。
 ひんやりとした感触に、全身がじんと痺れた。
 初めは優しく触れるだけだったキスが、息継ぎをする度にどんどん深まっていく。
 私はラスのシャツを掴み、彼がくれる甘い口づけに懸命に応えた。
 ラスが私の下唇をはむ、と軽く噛む。
 請われるままに唇を開けば、舌がすかさず口内に侵入してきた。
 
 ラスのシャツを掴んでいた手に、大きな手が重なる。
 私達は指を絡め、強く繋ぎ合った。
 どちらのものか分からないくらい混じり合った吐息が、更に欲情を煽っていく。
 キスが止んだ時、私はすっかり蕩けていた。

「はぁ……たまんないな、その顔。なんで今は晴れなんだろ」

 ラスが悔しそうに言って、濡れた唇を指で拭う。
 その仕草がまたカッコよくて、胸がきゅうと絞られる。
 私はたまらずベッドにぱたりと伏せた。
 ラスも私の隣に寝そべり、嬉しそうにこちらを見つめる。
 一人用のベッドがぎゅうぎゅうになった。その窮屈さがどうしようもなく愛おしい。すぐ傍に感じる大好きな人の体温に、私は泣きたいほどの幸せを覚えた。

「気持ちよかった? ミカ」

 ラスが悪戯っぽく瞳を煌めかせて尋ねてくる。

「ただびとはサリム人と同じで、決まった発情期はないんだろ? 好きな男に触れられたらしたくなるんだって聞いてたけど、ほんとだったみたいだな」
「ちょ、そ、そういう話はやめよ!」

 改めて言葉にされると、ものすごく恥ずかしい。
 
「なんで? 俺はちゃんと知りたいよ。キスしか出来なかったけど、ミカは大丈夫? 途中で止められて辛くな――」
「ストップ! ラスの気持ちは分らないでもないけど、今は無理。恥ずかし過ぎる!」

 彼の口を手で塞ぎ、制止する。
 ラスは目元を和ませ、「分かった」とくぐもった声で答えた。

「それにしても、慣れてたね。なんかちょっと悔しいかも」

 正直な気持ちを打ち明ける。
 ラスは肘をついて上半身を起こし、私の額に軽いキスを落とした。

「そう言って貰えて嬉しいけど、俺は初めてだよ。誰に誘われても、そんな気になれなかった。ミカだけだ。オレはきっとミカだけに反応するんだと思う。……ミカは? 向こうで誰かとキスした?」

 ラスが不安そうな表情を浮かべて、縋るように見つめてくる。
 くらくらするほどの美青年になったのに、素直に感情をあらわすところは昔と全然変わってない。
 私は寝返りを打って横向きになると、ラスの首に両手を回した。
 
「私も初めてだよ。二人とも初めてなの、嬉しい」

 そのままぎゅ、と首にしがみつく。ラスは我慢できないといわんばかりに私の鎖骨に強く吸い付いた。
 熱い舌が肌を辿る感触に、再び身体の芯が熱くなる。

「早く雨の15日がきて欲しい。そしたら、ミカと番えるのに……。キュリアを渡して、俺の全部をミカにあげたい。ミカの全部も、俺のものにしたい」

 懇願を帯びたラスの口調に、ハッと我に返った。
 タリム人の結婚は、互いのキュリアを交換して身体を繋げることで完成する。
 結婚式を挙げたり、どこかに届けを出したりはしない。
 ラスの今の台詞は、紛れもないプロポーズだった。

 今日は晴れの32日目。
 雨の15日が来るまで、あと33日ある。
 それまでに私は、どれくらい弱るんだろう。もしかしたら、起き上がることすら出来なくなっているかも。
 
 ラスは待ち望んでいるけれど、私達の恋に未来はない。
 一年もたたないうちに死ぬ私じゃ、ラスの生涯の伴侶にはなれない。

 どれほど彼を悲しませることになっても、真実を打ち明けた方がいい。
 黙ったまま最後まで彼の傍にいるのは、どう考えても手酷い裏切りだ。
 ラスには二つの選択肢があると、伝えなければ。
 私のことは忘れて、他の誰かと幸せになるか。それとも私にキュリアを渡して、残りの長い人生を独りきりで生きるか。
 もちろん、前者の道を勧めるべきだ。
 それが彼の為だと心から思うのと同時に、出来れば私が死んでからにして欲しいとも思った。
 
「ラス、本当にごめんなさい。告白する前に、言っておかないといけない事があったの」

 ラスは顔を上げ、私をまっすぐに見据えた。

「今更なかった事にするなんて言うんじゃないよな」

 視線の強さにたじろぎながら、すぐさま首を振る。

「それはない。ラスを好きな気持ちは、どうあっても消せない。そうじゃなくて、私のこれからの話だよ」

 私は身体を起こし、ベッドの上に正座した。
 真剣さが伝わったのか、ラスも起き上がり、あぐらをかく。

「それって、ミカが昨日ユーグの家に泊まったことと関係ある?」

 ずばりと切り込まれ、私はごくりと喉を鳴らした。
 ラスがどこまで察しているか分からないが、こうなったら包み隠さず話すしかない。

「うん、ある。きっとラスは怒ると思う」

 ユーグの時魔法を解除したこと自体は、全く後悔していない。
 だがその前にラスやダンさん、ベネッサさんに事情を伝えるべきだった。言葉を尽くして、私の選択を認めてもらえばよかった。彼らの知らないところで勝手に決断した事実は、きっと彼らを深く傷つける。
 
 ラスは穏やかな表情を浮かべ、「そんなに怯えなくても大丈夫だよ、ミカ」と言った。

「昨晩ユーグの家で一緒にご飯食べた時、ミカが重たいものを抱えてることは分かった。俺はちゃんと聞くから、怒ったりしないから、全部話して」

 落ち着いた物腰に、気持ちが救われる。
 どんな話でも受け止める覚悟はある、と言わんばかりのラスの真剣な眼差しに改めて惚れ直した。

「あのね――……」

 勇気を振り絞って切り出そうとしたその瞬間。
 トントン、ガチャ。ガツ。ガツッ。
 扉が聞き慣れた音を立てる。

「ミカ? 帰ってるの? あら、なんで開かないのかしら?」

 私たちは顔を見合わせ、どちらからともなく溜息をついた。

「ミカならここにいる。母さん、前も言ったけど、返事聞いてからドア開けて」

 ラスも何度もトントン、ガチャをやられているらしい。
 呆れ声で文句を言いながら、ベッドから降りて椅子を外しにいく。
 ベネッサさんはラスと私を見比べ、満面の笑みを浮かべた。

「よかった、もう帰ってたのね。ユーグの家にこのままずっと居るって言われたら、喜ばしいことだけど、やっぱり凄く寂しいなぁって思ってたの」
「それはない」

 私より早くラスが答えてしまう。
 ベネッサさんは嬉しそうに両手を合わせた。

「そうみたいね。ミカが正式にうちの子になるように、しっかり頑張るのよ!」

 そういえば、タリム人は皆鼻がいいんだった。
 ベネッサさんは、私についたラスの匂いにすぐ気づいたのだろう。
 恥ずかしさと照れくささが極まって、どうしていいか分からなくなる。

「うん、頑張るから、今はそっとしといて」
「はいはい。あ、朝食出来てるわよ。ダンもいるんだし、せっかくだから皆で食べましょ」
「そっとしとく気ないのかよ!」

 親子の気兼ねない掛け合いに思わず噴き出してしまう。
 くすくす笑う私を見て、二人も一緒に笑った。

 ダンさんは朝食を食べ終えてすぐ、チームでの狩りに出かけて行った。
 昨夜戻らなかったことを彼なりに案じていたのか、「行ってくるな、ミカ」と5回ほど言われた。
 もちろんその度に「いってらっしゃい。気を付けてね!」と心を込めて答える。
 5回目にはとうとうラスに「分かったから、早く行けよ」と突っ込まれていた。
 ベネッサさんは私達を眺めて、幸せそうに目を細める。

 ――……ああ、みんなのことが大好きだ。
 胸が痛くてたまらない。
 彼らを残して死にたくない。

 今頃になって生への未練が湧いてくる。
 自分の良心とユーグの人生を犠牲にしたとしても、得られるのは20年という短い時間だ。どちらにしろ、私は彼らを置いていく。それなら、綺麗に幕を引きたいと思った。
 その気持ちは変わらないのに、ただ寂しくて悲しくて、どうしようもなかった。

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