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四章:大人になったラスと真実を知った私
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ユーグはよろめきながら立ち上がり、奥の部屋へと消えていった。
ぼんやり彼の背中を見送り、そのまま待つこと数分。
長袖のシャツに着替えたユーグは、濡らした布を持って私のところへ戻ってきた。
目の前にしゃがみ込むと、私の頬を壊れ物を扱うような優しい手つきで拭っていく。
私は気力を振り絞り、骨ばった大きな手をきつく掴んだ。
「……お願い、魔法を解いて」
ユーグは私の手の甲をぽん、ぽん、と宥めるように叩く。
「その話をする前に、昔の話を聞いて欲しい。今のままじゃ公平さに欠けるから」
さっきから彼の言うことがよく分からない。
だがユーグの過去が私にした事に関係するのなら、聞いておくべきだろう。
「分かった」
「うん。じゃあ、ここに座って。私も椅子を持ってくる」
彼の手を借りて立ち上がり、ロッキングチェアに腰を下ろす。
ユーグは台所から丸椅子を呼び寄せ、私の前に置いた。
そして座るが早いか、彼は私に背を向け、シャツのボタンを外して肩から落とす。
突然始まったストリップに唖然としたのも一瞬、私の視線はとある一点に止まった。
ユーグの肩甲骨の下には、醜い大きな鉤状の傷跡があった。
ちょうど翼の生え出る辺りだ。
……ああ、やっぱりそうだったのか。
住む場所を明確に分ける二つの民族。
タリム人の島であるこの西の島に、一人で住む魔法使い。
孤独を好む彼は、雨の発情期には家に閉じ籠もる。
――これらの事実が指し示すものは、一つしかない。
以前から、私は疑っていた。彼には二つの民族の血が流れているんじゃないかって。
恐る恐る手を伸ばし、ケロイド状の傷の名残に触れてみる。
「あ、待って、悪いけど触らないで」
くすぐったいのか、ユーグさんは身体を捩って嫌がった。
その言葉に、無性に腹が立つ。
……何を言ってるんだ。私の承諾を得ないまま、ふざけた魔法をかけた張本人が。
私なんて、止めてと願う暇もなかった。
これまで感じたことのない加虐心がむくむくと湧き起こる。
私はさっきより強く、その傷跡を指でなぞった。
「ユーグは翼をもがれたんだね。だいぶ昔の話?」
奇妙なほど落ち着いた声が出る。
懸命に耐える彼の横顔を覗き込みながら、肩甲骨に沿って執拗に撫でた。
「……っ!」
我慢できなくなったのか、ユーグはぶるりと一度大きく身を震わせ、私の手を振り払った。
はらりと落ちた前髪から覗く瞳は、獰猛な光を宿している。
「私に触れていいのは、君じゃない!」
ユーグさんは噛みつくように言うと、素早くシャツを羽織りなおし、前のボタンをしっかり留めた。
そういえば彼には決まった人がいると言っていた。
私は遅れて思い出し、ますます意地悪な気持ちになる。
「じゃあ、誰ならいいの? 操を立ててる人がいるのなら、どうして西の島に一人で住んでるの? その人はどうしたの?」
「……ミカ、すごく怒ってる」
ユーグが困り顔で指摘してきたので、私は間髪入れずに肯定した。
「当たり前でしょ? ずっと怒ってるよ。もう殴らないのは、疲れたからだよ」
「ごめん」
「謝っても許さない。……ユーグの話を続けて。あなたがサリムとタリムのダブルだってことしか、まだ分かってない」
「……ダブル、か。君たちの世界では、そう言うんだね。両方の血を誇りに思う良い言葉だ。だけど、この世界では違う。私のような人間は『禁忌の子』と呼ばれる」
ユーグは自嘲じみた笑みを浮かべた。
「タリム人の父は変わり者で、ジャンプの時に出会った一人のサリム人女性と恋に落ちた。母もね、一目惚れだったそうだよ。二人は逢瀬を重ね、やがて母は私を身籠った。母も相当変わってたんだろう。周囲には父親の名を明かさないまま、私を産んだ」
二人の女神が設けた不干渉の掟は、サリムとタリムの間に大きな壁を設けている。彼らが種族を超えて恋に落ちることも、許されてはいないのだ。
禁断の恋だと分かっていても、ユーグの両親は己の気持ちに抗えなかったということだろう。
「……翼は生まれてすぐに取られたの?」
「いいや。私に翼が生えたのは16歳の時だよ。生まれた時には何も背中についていなかった。7つの時に指先に呪が浮かんだのを見て、両親は胸を撫で下ろしたそうだ。『この子はどこからどう見ても、サリムの民だ。私はジャンプの時しかこの子に会えないけれど、これで良かった』と父は喜んだらしい」
次第にユーグの声が苦しげなものに変わっていく。
窓から差し込む夕陽が、彼の端整な顔に影を作った。
「じゃあ、東の島で羽化した、ってこと?」
普通のサリム人だと思われていたユーグが、ラスのように突然苦しみ始めて巨大鳥に変わったとしたら、それはすごい騒ぎになっただろう。
ユーグは「いいや」と首を振った。
「私は出来損ないらしく、鳥型に変身することは出来ないんだ。羽化の時期に、背中から翼が生えただけ。それでも周囲から恐れられ、忌み嫌われることになった。当たり前だけどね。『こんな翼がついてるから』そう言って激怒した母方の祖父は、私の翼を毟り取った。翼を奪われた私は、死にかけた」
淡々と語っているが、内容は壮絶だ。
私はごくりと喉を鳴らし、ユーグの話に聞き入る。
「瀕死の私を救おうと、母は回復魔法をかけた。母の指はすぐに落ち、あっけなくこの世を去ったよ。東の島で起こった『禁忌の子』を巡る騒動は西の島まで届いた。父は、ミュシカを待てずにエドラザフを越えようとして母と同じく女神の天罰を受けて死んだ。……最愛の娘を失った祖父は、半狂乱になった。彼は私をエドラザフに突き落とし、自分も身を投げたんだ。そこでも死ななかった私は、この近くの崖の下に打ち上げられ、ダンに拾われたってわけ。……どう? なかなかすごいだろ?」
ユーグの瞳から透明な滴が滴り落ちる。
彼の過去は、今でもユーグの中で生々しく血を流している。
どれだけ時が流れても、そう簡単に忘れられるものじゃない。
ユーグのこめかみにある細長い傷は、その時についたものなのかも。
「私と彼が似ている」という言葉は、生い立ちを指すのだろうか。
だとしたら、悲惨さの度合いは彼の方がうんと上な気がする。
私がそう言うと、ユーグは微かに笑った。
「ミカも負けてないよ。多感な時期に両親を亡くして天涯孤独になったし、ひとりぼっちで世知辛い社会を生き抜いてきた。一生懸命頑張ってたのに、ある日突然厳しい掟が存在する異世界に落とされた。すぐに死んでしまう世界にね」
「改めて羅列されると、ほんと悲惨だから止めて」
私も思わず笑ってしまう。
和やかな空気が漂ったが、問題は何も解決していない。
私は、他にも気になっていたことを順番に尋ねていくことにした。
もう遠慮はしない。先にボーダーを超えたのは、ユーグだ。
「私の事情に詳しいのは、一体何の魔法なの?」
「情報共有魔法だよ」
「え? あれ、そういう魔法だったの!?」
ユーグは当然だというように頷く。
「うん、そうだよ。特殊な魔法には代償が必要だって、君ももう知ってるでしょう? 沢山私の本を読んできたんだし。言語を共有する魔法の対価は、君の過去の記憶だった。だから君が雨を嫌いな理由も知ってるし、なかなか人に甘えられない理由も分かってたよ」
「ほんっとに沢山隠し事あるね!」
「うん、あるんだ」
臆せず答えるユーグの頬を、思いきりつねり上げたくなった。
分かっていたなら、どうして私を時の流れから切り離したの?
私が大切な人に置いていかれることに心底怯えていると分かってて、何故?
また同じ問いを繰り返そうとして、ようやく気がつく。
特殊な魔法には、対価が必要
じゃあ、人間一人を、その世界の『時』から切り離す対価は……?
生半可なものであるわけがないと、確かに今の私は知っている。
「……ユーグは馬鹿だね」
そうとしか言えない。
彼は涙に濡れた頬をぐい、と拭い「そうかな」と首を傾げる。
「今すぐ、時の魔法を解いて」
私はきっぱり命じた。
不可能なわけではないと思う。
この世界に解呪できない魔法は存在しない。
ユーグは駄々っ子のように首を振った。
「嫌だ」
「解いたら、私とユーグは、あとどれくらい生きられるの?」
冷静に問うと、ユーグはぎゅ、と眉根を寄せた。
「……気づいたんだ?」
「うん。ねえ、ユーグ。もう、五年だよ? ユーグの家にある魔法書は全部読んでるし、落ち着いたら色々思い出した。『時魔法の対価は、術者の時のみ』だっけ? 私の魔法は、ユーグの寿命を代償に発動してる。だから、私が歳を取らないのは一時的なもので、ユーグの寿命が尽きた時に私も死ぬ。私は、皆に置いて行かれるわけじゃない。私とユーグが、皆を置いていくの。違う?」
ユーグはとうとう両手で顔を覆った。
苦しげな呻き声が喉から漏れる。
「どうして、それには怒らないんだよ……っ! 私は結局、君を死なせる! どうしてそれを、詰らないんだ!」
「ユーグなら分かるでしょう? 私が一番怖いのは『死』じゃないからだよ」
ユーグは掠れた声で噎び泣いた。
彼なりに私を大切に思っているのだと、よく分かる泣き方だった。
ユーグが落ち着くまでじっと待つ。
心は不思議なほど穏やかだった。
もう怒りや悲しみはない。ぽつんと残ったのは、寂しさだけ。
ダンさんやベネッサさん、そしてラスと別れるのは、たまらなく寂しいことだった。
ようやく泣き止んだユーグは、鼻をぐずぐず言わせながら顔を上げた。
真っ赤に腫れた瞼と鼻の先が痛々しい。
自分も似たような顔をしているだろうな、と思うと少しおかしくなった。
「魔法を解けば、君はたぶん年を越せない。次の雨を越えられるかも分からない」
「このまま魔法をかけ続けた場合は?」
「20年は保たせられるはずだ」
私は20年間この姿のままで生き、ユーグの支払う対価が尽き果てた時に一緒に塵に還るのか。
どんな心中パターンなの、それ。
悪いけど、ユーグの自己満足に付き合ってあげられるほどの情はない。
せっかく生き延びたんだから、この世界で与えられた寿命を全うして欲しい。
私も向こうの世界でそうやって生きてきたからこそ、こっちの世界で新しい家族と出会えた。
そのうちきっと良いことあるよ。
ツイてない仲間の私が言うんだから、間違いない。
「解いてくれないなら、崖から飛び降りる。ユーグほどの強運が私にもあるかどうか、試してやろうじゃない」
わざとふざけて言ってみたが、本気だと彼には伝わったのだろう。
ユーグの顔に絶望が広がる。
「君を死なせたくない」
同じ台詞を、彼は繰り返した。
まるで言い続けているうちに、私の気が変わるんじゃないかと思っているみたいな言い方だった。
「ごめんね、ユーグ。誰かの寿命を奪って生きる人生には、耐えられそうにない。あなたもタリムの男なら、私の『自由』を守って」
「……そんな風に言われたら、抗えない」
ユーグは再び泣き出した。
「どうしてミカばかり……こんなのってあるかよ」と泣きじゃくる。
そうだよね。私もよく思ってた。
なんで私ばっかり、って。
でも違うんだよ。私も皆も、等しく不幸で幸せなんだ。生きるってそういうことなんだ。
辺りが暗くなった頃、ようやくユーグは「分かった、魔法を解く」と約束してくれた。
私に残された時間は、そう多くない。
思い残すことがないように、いっぱいダンさんに甘えよう。ベネッサさんに親孝行しよう。
それから、ラスに……――。
ラスは泣くかな。
ちらりと考えただけで、胸が引き絞られる。
ああ、それだけが心残りだ。
ラスには泣いて欲しくない。
彼がユーグのように泣いて縋ってきたら、私はきっと頷いてしまう。
ラスは私の最悪な人生を最高な人生に変えてくれた、誰より大切な人だから。
ぼんやり彼の背中を見送り、そのまま待つこと数分。
長袖のシャツに着替えたユーグは、濡らした布を持って私のところへ戻ってきた。
目の前にしゃがみ込むと、私の頬を壊れ物を扱うような優しい手つきで拭っていく。
私は気力を振り絞り、骨ばった大きな手をきつく掴んだ。
「……お願い、魔法を解いて」
ユーグは私の手の甲をぽん、ぽん、と宥めるように叩く。
「その話をする前に、昔の話を聞いて欲しい。今のままじゃ公平さに欠けるから」
さっきから彼の言うことがよく分からない。
だがユーグの過去が私にした事に関係するのなら、聞いておくべきだろう。
「分かった」
「うん。じゃあ、ここに座って。私も椅子を持ってくる」
彼の手を借りて立ち上がり、ロッキングチェアに腰を下ろす。
ユーグは台所から丸椅子を呼び寄せ、私の前に置いた。
そして座るが早いか、彼は私に背を向け、シャツのボタンを外して肩から落とす。
突然始まったストリップに唖然としたのも一瞬、私の視線はとある一点に止まった。
ユーグの肩甲骨の下には、醜い大きな鉤状の傷跡があった。
ちょうど翼の生え出る辺りだ。
……ああ、やっぱりそうだったのか。
住む場所を明確に分ける二つの民族。
タリム人の島であるこの西の島に、一人で住む魔法使い。
孤独を好む彼は、雨の発情期には家に閉じ籠もる。
――これらの事実が指し示すものは、一つしかない。
以前から、私は疑っていた。彼には二つの民族の血が流れているんじゃないかって。
恐る恐る手を伸ばし、ケロイド状の傷の名残に触れてみる。
「あ、待って、悪いけど触らないで」
くすぐったいのか、ユーグさんは身体を捩って嫌がった。
その言葉に、無性に腹が立つ。
……何を言ってるんだ。私の承諾を得ないまま、ふざけた魔法をかけた張本人が。
私なんて、止めてと願う暇もなかった。
これまで感じたことのない加虐心がむくむくと湧き起こる。
私はさっきより強く、その傷跡を指でなぞった。
「ユーグは翼をもがれたんだね。だいぶ昔の話?」
奇妙なほど落ち着いた声が出る。
懸命に耐える彼の横顔を覗き込みながら、肩甲骨に沿って執拗に撫でた。
「……っ!」
我慢できなくなったのか、ユーグはぶるりと一度大きく身を震わせ、私の手を振り払った。
はらりと落ちた前髪から覗く瞳は、獰猛な光を宿している。
「私に触れていいのは、君じゃない!」
ユーグさんは噛みつくように言うと、素早くシャツを羽織りなおし、前のボタンをしっかり留めた。
そういえば彼には決まった人がいると言っていた。
私は遅れて思い出し、ますます意地悪な気持ちになる。
「じゃあ、誰ならいいの? 操を立ててる人がいるのなら、どうして西の島に一人で住んでるの? その人はどうしたの?」
「……ミカ、すごく怒ってる」
ユーグが困り顔で指摘してきたので、私は間髪入れずに肯定した。
「当たり前でしょ? ずっと怒ってるよ。もう殴らないのは、疲れたからだよ」
「ごめん」
「謝っても許さない。……ユーグの話を続けて。あなたがサリムとタリムのダブルだってことしか、まだ分かってない」
「……ダブル、か。君たちの世界では、そう言うんだね。両方の血を誇りに思う良い言葉だ。だけど、この世界では違う。私のような人間は『禁忌の子』と呼ばれる」
ユーグは自嘲じみた笑みを浮かべた。
「タリム人の父は変わり者で、ジャンプの時に出会った一人のサリム人女性と恋に落ちた。母もね、一目惚れだったそうだよ。二人は逢瀬を重ね、やがて母は私を身籠った。母も相当変わってたんだろう。周囲には父親の名を明かさないまま、私を産んだ」
二人の女神が設けた不干渉の掟は、サリムとタリムの間に大きな壁を設けている。彼らが種族を超えて恋に落ちることも、許されてはいないのだ。
禁断の恋だと分かっていても、ユーグの両親は己の気持ちに抗えなかったということだろう。
「……翼は生まれてすぐに取られたの?」
「いいや。私に翼が生えたのは16歳の時だよ。生まれた時には何も背中についていなかった。7つの時に指先に呪が浮かんだのを見て、両親は胸を撫で下ろしたそうだ。『この子はどこからどう見ても、サリムの民だ。私はジャンプの時しかこの子に会えないけれど、これで良かった』と父は喜んだらしい」
次第にユーグの声が苦しげなものに変わっていく。
窓から差し込む夕陽が、彼の端整な顔に影を作った。
「じゃあ、東の島で羽化した、ってこと?」
普通のサリム人だと思われていたユーグが、ラスのように突然苦しみ始めて巨大鳥に変わったとしたら、それはすごい騒ぎになっただろう。
ユーグは「いいや」と首を振った。
「私は出来損ないらしく、鳥型に変身することは出来ないんだ。羽化の時期に、背中から翼が生えただけ。それでも周囲から恐れられ、忌み嫌われることになった。当たり前だけどね。『こんな翼がついてるから』そう言って激怒した母方の祖父は、私の翼を毟り取った。翼を奪われた私は、死にかけた」
淡々と語っているが、内容は壮絶だ。
私はごくりと喉を鳴らし、ユーグの話に聞き入る。
「瀕死の私を救おうと、母は回復魔法をかけた。母の指はすぐに落ち、あっけなくこの世を去ったよ。東の島で起こった『禁忌の子』を巡る騒動は西の島まで届いた。父は、ミュシカを待てずにエドラザフを越えようとして母と同じく女神の天罰を受けて死んだ。……最愛の娘を失った祖父は、半狂乱になった。彼は私をエドラザフに突き落とし、自分も身を投げたんだ。そこでも死ななかった私は、この近くの崖の下に打ち上げられ、ダンに拾われたってわけ。……どう? なかなかすごいだろ?」
ユーグの瞳から透明な滴が滴り落ちる。
彼の過去は、今でもユーグの中で生々しく血を流している。
どれだけ時が流れても、そう簡単に忘れられるものじゃない。
ユーグのこめかみにある細長い傷は、その時についたものなのかも。
「私と彼が似ている」という言葉は、生い立ちを指すのだろうか。
だとしたら、悲惨さの度合いは彼の方がうんと上な気がする。
私がそう言うと、ユーグは微かに笑った。
「ミカも負けてないよ。多感な時期に両親を亡くして天涯孤独になったし、ひとりぼっちで世知辛い社会を生き抜いてきた。一生懸命頑張ってたのに、ある日突然厳しい掟が存在する異世界に落とされた。すぐに死んでしまう世界にね」
「改めて羅列されると、ほんと悲惨だから止めて」
私も思わず笑ってしまう。
和やかな空気が漂ったが、問題は何も解決していない。
私は、他にも気になっていたことを順番に尋ねていくことにした。
もう遠慮はしない。先にボーダーを超えたのは、ユーグだ。
「私の事情に詳しいのは、一体何の魔法なの?」
「情報共有魔法だよ」
「え? あれ、そういう魔法だったの!?」
ユーグは当然だというように頷く。
「うん、そうだよ。特殊な魔法には代償が必要だって、君ももう知ってるでしょう? 沢山私の本を読んできたんだし。言語を共有する魔法の対価は、君の過去の記憶だった。だから君が雨を嫌いな理由も知ってるし、なかなか人に甘えられない理由も分かってたよ」
「ほんっとに沢山隠し事あるね!」
「うん、あるんだ」
臆せず答えるユーグの頬を、思いきりつねり上げたくなった。
分かっていたなら、どうして私を時の流れから切り離したの?
私が大切な人に置いていかれることに心底怯えていると分かってて、何故?
また同じ問いを繰り返そうとして、ようやく気がつく。
特殊な魔法には、対価が必要
じゃあ、人間一人を、その世界の『時』から切り離す対価は……?
生半可なものであるわけがないと、確かに今の私は知っている。
「……ユーグは馬鹿だね」
そうとしか言えない。
彼は涙に濡れた頬をぐい、と拭い「そうかな」と首を傾げる。
「今すぐ、時の魔法を解いて」
私はきっぱり命じた。
不可能なわけではないと思う。
この世界に解呪できない魔法は存在しない。
ユーグは駄々っ子のように首を振った。
「嫌だ」
「解いたら、私とユーグは、あとどれくらい生きられるの?」
冷静に問うと、ユーグはぎゅ、と眉根を寄せた。
「……気づいたんだ?」
「うん。ねえ、ユーグ。もう、五年だよ? ユーグの家にある魔法書は全部読んでるし、落ち着いたら色々思い出した。『時魔法の対価は、術者の時のみ』だっけ? 私の魔法は、ユーグの寿命を代償に発動してる。だから、私が歳を取らないのは一時的なもので、ユーグの寿命が尽きた時に私も死ぬ。私は、皆に置いて行かれるわけじゃない。私とユーグが、皆を置いていくの。違う?」
ユーグはとうとう両手で顔を覆った。
苦しげな呻き声が喉から漏れる。
「どうして、それには怒らないんだよ……っ! 私は結局、君を死なせる! どうしてそれを、詰らないんだ!」
「ユーグなら分かるでしょう? 私が一番怖いのは『死』じゃないからだよ」
ユーグは掠れた声で噎び泣いた。
彼なりに私を大切に思っているのだと、よく分かる泣き方だった。
ユーグが落ち着くまでじっと待つ。
心は不思議なほど穏やかだった。
もう怒りや悲しみはない。ぽつんと残ったのは、寂しさだけ。
ダンさんやベネッサさん、そしてラスと別れるのは、たまらなく寂しいことだった。
ようやく泣き止んだユーグは、鼻をぐずぐず言わせながら顔を上げた。
真っ赤に腫れた瞼と鼻の先が痛々しい。
自分も似たような顔をしているだろうな、と思うと少しおかしくなった。
「魔法を解けば、君はたぶん年を越せない。次の雨を越えられるかも分からない」
「このまま魔法をかけ続けた場合は?」
「20年は保たせられるはずだ」
私は20年間この姿のままで生き、ユーグの支払う対価が尽き果てた時に一緒に塵に還るのか。
どんな心中パターンなの、それ。
悪いけど、ユーグの自己満足に付き合ってあげられるほどの情はない。
せっかく生き延びたんだから、この世界で与えられた寿命を全うして欲しい。
私も向こうの世界でそうやって生きてきたからこそ、こっちの世界で新しい家族と出会えた。
そのうちきっと良いことあるよ。
ツイてない仲間の私が言うんだから、間違いない。
「解いてくれないなら、崖から飛び降りる。ユーグほどの強運が私にもあるかどうか、試してやろうじゃない」
わざとふざけて言ってみたが、本気だと彼には伝わったのだろう。
ユーグの顔に絶望が広がる。
「君を死なせたくない」
同じ台詞を、彼は繰り返した。
まるで言い続けているうちに、私の気が変わるんじゃないかと思っているみたいな言い方だった。
「ごめんね、ユーグ。誰かの寿命を奪って生きる人生には、耐えられそうにない。あなたもタリムの男なら、私の『自由』を守って」
「……そんな風に言われたら、抗えない」
ユーグは再び泣き出した。
「どうしてミカばかり……こんなのってあるかよ」と泣きじゃくる。
そうだよね。私もよく思ってた。
なんで私ばっかり、って。
でも違うんだよ。私も皆も、等しく不幸で幸せなんだ。生きるってそういうことなんだ。
辺りが暗くなった頃、ようやくユーグは「分かった、魔法を解く」と約束してくれた。
私に残された時間は、そう多くない。
思い残すことがないように、いっぱいダンさんに甘えよう。ベネッサさんに親孝行しよう。
それから、ラスに……――。
ラスは泣くかな。
ちらりと考えただけで、胸が引き絞られる。
ああ、それだけが心残りだ。
ラスには泣いて欲しくない。
彼がユーグのように泣いて縋ってきたら、私はきっと頷いてしまう。
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乙女ゲームの中では一人ぼっちだったエリザベート。
私は人生をあきらめない。
エリザベート・ノイズの二回目の人生が始まった。
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