こんなに遠くまできてしまいました

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四章:大人になったラスと真実を知った私

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 ベネッサさんを引っ張りながら早足で外に出る。
 ラスは敷地の端で、蹲っていた。
 息を呑んだ瞬間、ラスの身体が眩い光に包まれてぐにゃり、と歪む。
 その光はまるで白い炎のように、ラスを炙った。
 華奢な身体が炎の中で見悶えする。

「ラス……! ラス!!」

 喉の奥から悲鳴が漏れた。
 泣きそうになった私を、ベネッサさんがしっかり抱き寄せる。

「大丈夫よ、ミカ。苦しいのは、最初の変身だけだから。二回目からは自分の意志で、好きなように鳥にも人型にも変われるようになるの。ラスが大人になるのを、ここで見守ってあげて」

 そうなんだろう、きっと大丈夫なんだろう。
 それでも苦しむラスを見ているのは、身を切られるように辛かった。
 一秒が一時間にも感じられる。
 光が弱まり始めるのと同時に、ラスの姿もぼんやり薄れる。大きな影が彼を覆うように生まれた。

 白い炎がすっかり消えた後、そこにいたのは一羽の大きな鳥だった。
 巨大な鷲のようなその生き物は、キョトキョト、と辺りを見回したあと、私に目を留める。

「キュイ……」

 鳥は小さく鳴いて、その場で数回足踏みした。

「ラス……?」

 私は引き寄せられるように歩き出していた。
 ベネッサさんはもう止めない。
 鳥はじっと佇んだまま、私を見つめている。
 傍までいってゆっくりと手を伸ばすと、巨大鳥はそっと首を下げて頭を差し出す。
 撫でて、とせがむようなその仕草が何とも愛らしい。

 森で初めてダンさん達を見た時は、恐怖しか感じなかったというのに、今は全く別の感情が湧いてくる。
 なんて立派で美しい生き物なんだろう。
 雄々しい翼、鋭い嘴、そして青く澄んだつぶらな瞳。
 目前の鳥の全てに、感嘆を覚える。
 背伸びをして首のあたりを撫でてやると、巨大鳥はくすぐったさそうに身じろぎした。

「ラス、なんだね」
「キュイ」

 甘えたような甲高い鳴き声が、すぐに返ってくる。

「……大きくなったねぇ」

 一体どういう仕組みなのかと心底不思議になる。
 チェインやダンさんはまだ分かる。人間の時も立派な体格をしているし。だがラスは、ついさっきまで私の肩くらいの背しかなかった。
 それが鳥型を取った今は、両手を広げて二周くらい回らないと測れない大きさだ。

「ミカ。離れて、ちょっと飛ばせてあげて。うずうずしてるみたいだから」

 見つめ合っている私たちに、ベネッサさんの声がかかる。
 私は慌てて後退り、ラスから距離を取った。ラスは、キュイ、と淋しそうな鳴き声を上げる。

「ミカを連れて飛ぶのは、また今度ね。さあ、行って。自由を味わってきて!」

 ベネッサさんの言葉を合図に、ラスが何度か大きな翼をその場ではためかせる。
 その拍子に突風が巻き上がり、よろけそうになった。
 ベネッサさんが、私を引き留めた理由がようやく分かる。
 巨大鳥に変身したてのラスが、意図せず私を傷つけるのではないかと心配してくれたんだ。
 
 ぶわりと一際大きな風が巻き起こり、ラスが空に舞い上がる。
 彼は家の上空で、くるりくるり、と旋回した後、ぐんとスピードを上げて遠ざかっていった。

「はぁ~。これで私も子育て終了だわ」

 ベネッサさんが晴れ晴れとした顔で、うーん、と伸びをする。
 
「お疲れ様でした!」
「ありがとう、ミカ」

 顔を見合わせて微笑み、その場を後にする。
 もっと寂しいかと思っていたが、あんまり驚いたせいか、感傷は吹き飛んでいた。

 その後、2人で干していた洗濯物を取り込み、各自の部屋のベッドを整えたり夕食の準備をしたり、と忙しく動き回っているうちに陽が傾いてくる。
 ラスより早く、ダンさんが森から戻ってくる。

「どれ、あいつの帰りをみんなで迎えてやろうか!」

 ダンさんも息子の成人が嬉しいのだろう、上機嫌だ。
 私たちは家の前に並んで立ち、空を眺めてラスの帰りを待った。

 やがて一羽の巨大鳥が、上空に見えてくる。
 ラスだ!
 ダンさんともチェインとも違う。具体的にどう違うか説明するのは難しいが、私には特別輝いて見える。
 ラスは急降下し、家から離れた空き地に見事に着地を決めた。

「なかなか立派な姿じゃないか」

 ダンさんの言葉に嬉しくなった。
 早く人型に戻って欲しい。
 「凄かったね!」って沢山褒めたいし、初めての飛行がどうだったか教えて欲しい。

 ラスが人間に戻る時は、特に何も起こらなかった。
 ぐにゃりと姿が歪んだと思ったら、あっと言う間に巨大鳥が縮んでいく。
 同じ場所にふわりと姿を現した青年に、私はぽっかり口を開けた。

 ラスが巨大鳥に変わった時以上の衝撃に打たれ、呆然としてしまう。

「ミカ……!」

 ラスらしき青年は、精悍な顔に満面の笑みを浮かべ、私に駆け寄ろうとした。

「や、やだ、来ないで!!!!」

 私は両目を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。
 青年は半裸だった。
 びりびりに破れたシャツがかろうじて腰に引っかかっていたお陰で、全裸ではなかったが、元の世界なら即通報されている。

「え、なんで……?」

 低く艶やかな声が、戸惑いを滲ませる。
 ああ、声まで違う。
 背もすごく伸びてた。
 丸い頬がそがれて、シャープな輪郭になっていた。
 美女になるんじゃないかと思っていたけど、違った。
 ラスは、一瞬見ただけの私が尻込みしてしまうほどの美青年になっていた。
 中身は同じだと分かっているのに、どうしようもなく動揺してしまう。

「ごめんね、ミカ。服を準備しておくの、忘れてたわ! ラスもごめん、そのままそこに居て!」

 ベネッサさんが慌てた様子で家に戻っていく。
 ようやく自分の恰好に気づいたのか、ラスはそれ以上近づいてこようとしない。
 私は両目を押さえてしゃがんだまま、ベネッサさんが戻ってくるのを待った。

「――着替えたよ、ミカ。近くに行っていい?」
「うん……ごめんね、びっくりして」

 私は何とか気持ちを立て直し、ゆっくり立ち上がる。
 それからそっと声の方を見た。
 引き締まった長身の青年が私に歩み寄り、目に毒なほど魅力的な笑みを浮かべる。

「いや、俺もうっかりしてた。驚かせてごめんな」

 形のいい唇が動き、甘い低音を響かせた。
 切れ長の美しい瞳は、まっすぐ私を映している。
 
 いや、ごめん、誰……!?

 私は一年ぶりに意識を飛ばし、そのまま後ろに倒れ込んだ。


  ◇◇◇


「――訳わかんねえ。鳥型に変わった時は、そりゃちょっとは驚いてたけど、すごく嬉しそうな顔してたんだぜ? なのに人型に戻ったら、俺の顔見るなりぶっ倒れるって、どういうことなんだよ」

 拗ねた低音に、ふっと意識が浮上する。
 はっきり言って、すごく好みの声だ。

「君の見た目が随分変わったから、きっとびっくりしたんだよ。ただびとはサリム人と同じで、成人したからといっていきなり急に体が成長したりしないんだ。ミカも知識としては知ってるはずなんだけどね」

 苦笑を含んだその声は、ユーグさんのものだった。
 ぼんやりした頭をハッキリさせようと、瞼を押し開ける。

「ユーグ、さん? ……ここ、私の部屋?」

 馴染んだマットの感触を背中に感じながら目を開けると、心配そうに眉をひそめた美青年が私の顔を覗き込んでくる。

「大丈夫か? ミカ」

 彼の隣から、ひょいとユーグさんも顔を見せた。

「大変だったみたいだね。起きられそう?」

 これはユーグさん。うん、知ってる。私の恩人の魔法使い。

「急に倒れたからびっくりしたぞ。あまり心配させるなよ、ミカ」
「あの、……ほんとにラス、なの?」

 信じられない気持ちで確認する。
 ユーグさんは噴き出し、くつくつ笑った。

「現実逃避しても無駄だよ、ミカ。そのうちラスに怒られるぞ?」
「うう……だって、これで十六とか、ええ~……」

 上体を起こし、改めてラスと向き合ってみたが、何度見ても22、23歳辺りにしか見えない。
 目鼻立ちのパーツを個別に見れば、確かにラスの面影があるんだけどね。
 全体の印象が違い過ぎる。
 
「嫌なの? ミカ、大人になった俺は嫌い?」

 切れ長の瞳が悲しそうに伏せられる。

「あ、ごめん! 違うの、嫌いじゃないよ!」

 私は急いで否定した。

「ほんと驚いただけなの。こんなに変わるとは思ってなくて……」
「そっか。よかった」

 ラスはホッと息を吐き、私の前に膝をつく。
 それから、ぎゅ、と抱き締めてきた。
 広い胸にすっぽりと包まれる。

「うわあああああ!!」

 し、刺激が強すぎる!!
 私は反射的に叫んでしまい、再びラスを落ち込ませた。
 


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