こんなに遠くまできてしまいました

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二章:初めての雨

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 私は気を取り直し、ラスと遊ぶことにした。

「何して遊ぶ? ラスはいつも何してるの?」
「うーん、今はぼーっとしたり、母さんの手伝いしたりかな。昔は何してたっけな……あ、そうだ!」

 ラスは何かを思いついたように瞳を輝かせ、「ちょっと待ってて」と言い残して部屋を出て行った。
 実際ほんの数分で戻ってきて、私の隣に腰掛ける。

「これで遊んでた。ほら」

 ラスが差し出してきたのは、二つの小さなお手玉だった。
 
「わあ、こっちにもあるんだね! 懐かしい」
「こっちにも? じゃあ、ミカも知ってるのか?」
「うん、知ってるよ。投げて遊ぶんでしょ?」
「そうだよ。へえ~、一緒の遊びもあるんだな!」

 ラスはいたく感心したように何度も頷き、「やってみせて?」と頼んでくる。
 知ってるといっても、施設にボランティアに来ていたおばあさんと一緒に少しやったことがあるだけだ。
 見様見真似で投げてみたが、上手く続けることが出来ない。
 
「意外と難しいな~。本当は歌いながら投げるんだけどね。……だめだ、集中してもすぐ落ちる!」
「ミカは下手だな~」

 ラスはけらけら笑って、「貸して。交代」と手を差し出してきた。
 お手玉を渡すと、澄んだ声で歌い始める。

 空の 遠くの そのまた 遠く
 見えない 光が 輝く谷に
 君の 求める 安らぎがある
 どうか恐れず 翼をたたみ 
 流れる風に その身まかせて

 歌のリズムに合わせながら、お手玉を器用に放り投げる。
 背中でキャッチしたり、片手だけで二つ交互に投げたり、ラスはとても上手だった。

「すごい! ラスは器用だね~」
「ミカもすぐ出来るようになるよ」

 ラスは少し頬を赤くして、照れたように笑った。可愛さの塊か!
 撫でまわしたい衝動をグッと堪えて、意識をお手玉に向ける。

「私も練習しよう。その歌、覚えたいな」
「いいよ、一緒に歌おう」
「うん! その前に、もう一回歌って。大体のメロディ覚えるから」

 私が頼むと、ラスは素直に再び歌い始めた。
 静かな部屋に柔らかく広がっていくラスの声に、目をつぶって聞き入る。
 愛らしい歌声は、心の奥にしまいこんでいた悲しい記憶をするりと解いた。

 ――『美香ちゃん、お歌うたってあげようか』

 名前も顔ももう覚えていないのに、声だけは今でもはっきり思い出せる。
 雨が降る度、部屋に閉じ籠る私を、あの子は心配してくれた。
 小さな手で私のTシャツの裾を掴み、愛らしい幼い声で「雨降り母さん」を歌ってくれた。
 
 『母さんが、迎えに来てくれたんだよ! 新しいお父さんと一緒に!』

 嬉しそうに飛び跳ねながら施設を去っていった彼女を、私は憎らしく思った。
 あんたのお母さんは、生きてていいね。
 心の中で吐き捨て、恨めしく見送った。
 おめでとうも言わなかった私は、その後一年もしないうちに彼女の訃報を耳にする。
 傘を持って迎えに来てくれたはずの母親は、新たな父親の暴力から幼い我が子を守らなかった。

「ミカ、……泣くな、ミカ」

 気づけばラスに抱き締められていた。
 彼はベッドの上に膝立ちになり、私の頭を抱え込んでいる。
 確かな温もりに、嗚咽が止まらなくなった。
 誰にも打ち明けられず、心に仕舞うしかなかった悲しみは、時を経て重い泥のように濁っている。
 分厚い窓ガラス越しに聞こえる静かな雨が、私の心に積もった泥を少しずつ溶かして流しているのかもしれない。
 ラスは私が泣き止むまで、何も聞かずに抱き締めてくれた。

 ◇◇◇


 感傷に沈んで泣いてしまったのは、ラスとお手玉をしたあの日だけだった。
 翌日からは、ラスと一緒になぞなぞを出し合って遊んだり、ユーグさんから借りた解体の本を見たりして過ごした。穏やかな日々は淡々と過ぎていき、あっという間に雨の14日を迎える。
 タリム人が発情期に入る前日だ。

 明日から、ダンさんとベネッサさんは家を出て山小屋で過ごす。
 発情期に入った夫婦は、子育て期間を除き、二人きりで過ごすのが普通らしい。
 ラスは、去年から一人で過ごすようになったと言っていた。
 性の話題は暗黙のタブーという環境で育った私にとって、発情期の話題はとても恥ずかしく、しばらくダンさんとベネッサさんを直視出来なかった。
 ユーグさんもこの期間は訪問を受け付けないという。
 彼はそれを直接伝えにやって来た。
 
「何かあってもすぐに助けてはあげられないから、迂闊なことはしないこと。慎重に行動すること。ラスが一緒だし大丈夫だと思うけど、本当に気をつけてね」

 玄関口に立ったユーグさんが真面目な顔で懇々と諭してくる。
 私は神妙な顔でこくこくと頷いた。
 ダンさん夫婦とユーグさんを頼ることは出来ない二週間。
 食事や洗濯などの家事はラスと分担でやることが決まっている。
 ここに来るまでは一人で暮らしていたんだし、大丈夫だろうと思うものの、イレギュラーな事態が起こったら怖いな、とも思う。

「とにかくそっとしてます。安全に生きること第一で」

 私が言うと、ユーグさんはようやく安心したように表情を緩めた。
 
「じゃあ、私はこれで」

 本当に注意喚起に来ただけらしい。
 律儀な人だな、と感心しながら、「ありがとうございました」と礼を述べる。
 一旦は背を向けたユーグさんは、歩き始める前にもう一度こちらを振り返った。

「……どうして私が発情期にここに来られないのか、聞かないの?」

 聞き取りにくい小さな声だった。
 その質問はおそらく、ユーグさんが何故サリムの民から離れ、西の島で一人暮らしているのかを尋ねることに繋がっている。
 そこまで深く踏み込んでいいものか、私には分からない。
 しばらく考えた後、「聞いてもいいんですか?」と尋ね返してしまった。

「ミカは臆病だね。私とおんなじだ」

 ユーグさんは微かに笑い、溜息をついた。

「君に言ってないことは、実はいくつもある。そのことで、きっといつか君は私を憎むだろう。それでもこうするのが一番いい、と私は決めてしまった。その責任は負うつもりだよ」

 彼が何を言っているのかさっぱり分からない。
 ただユーグさんが酷く苦悩している、ということだけが伝わってきた。
 私にかけた魔法のことだろうか。
 それとも、思いもつかない他の何か?
 
 ユーグさんは、靴の先の汚れが気になって仕方ない、というように何度もつま先をトントンと床に打ち付け、じっと自分の足元に視線を落とした。
 靴の先は最初から綺麗だった。私の答えを聞くまで帰らないつもりなのだろう。
 一体何を隠してるのか聞いても答えて貰えない気がしたが、一応は尋ねてみる。

「私にまだ言っていないことを全部話して、楽になったらいいんじゃないですか?」

 まるで刑事ドラマのような台詞になってしまったが、本音だった。

「うん。でも、今はまだその時じゃない」

 まるでアニメの悪役のような台詞を吐いて、ユーグさんは立ち去って行った。


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