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一章:話の始まりはこうだった

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 この世界の一年は、320日。
 東の島には『魔法暦』がある。50日の晴れと30日の雨を合わせて『一の月』と数える。それを4度繰り返すと、年が変わる。
 女神サリムが天に還った年を魔法暦元年と定め、今年で魔法暦1523年を迎える。
 西の島に暦の概念はない。
 タリム人に必要なのはジャンプが可能になる渡り日ミュシカの正確な日付だけなので、晴れの〇〇日、雨の〇〇日、という呼び方で月日の移り変わりを数えている。
 サリム人にとって『雨』と『晴れ』に大きな違いはないが、タリム人にとっては違う。
 常時繁殖可能なサリム人と違い、タリム人の繁殖期は定まっているのだ。
 雨の15日から30日までの間、タリム人は繁殖可能な発情期を迎える。

***

 もう一人の私が教えてくれた情報は、生殖にまつわるものだった。
 ベネッサさんが先程言った『盛った男』というのはつまり、発情期に入ったタリム人の男性という意味だろう。
 
 タリム人の生殖って、私の知ってるものとは違うのかな。
 一見、彼らは地球人とあまり違わないように見える。もちろん、翼の有無を除いてだけど。
 心の中で首を傾げれば、新たな情報が追加された。


***
 
 発情期に入ると、タリム人の既婚女性は妊娠可能となる。未婚女性は不可。
 成人男性は既婚・未婚を問わず、強い性衝動にかられる。
 一度つがいを定めてもキュリアを交わさない限り、互いを所有する権利は生まれない。
 雨ごとに番う相手を変える者もいる。
 
***

 今度はキュリア、という新たな単語が出てきたが、これ以上は整理しきれない。
 私はひとまず考えるのを止めることにした。

「……ミカ、大丈夫?」

 突然黙り込んだ私の顔を、ベネッサさんが不安そうに覗き込んでくる。

「あ、はい。大丈夫です。『雨』のこと、大体分かりました」
「魔法が発動してたのね。分かったのなら、よかった」

 ベネッサさんは胸を撫で下ろす仕草をした後、真剣な表情を浮かべた。

「もうすぐ雨に入るからどうしようかと思ってたんだけど、理解できたなら大丈夫ね。ダンがミカを拾った話は、きっともう町中に広まってるわ。色んな人が求愛してくると思うけど、選択は慎重にね」
「噂で、求愛? もしかして、ただびとってだけでモテるんですか?」

 ベネッサさんはどう説明したものか、というように首を捻った。

「ただびとってだけで、なのかしら……。あのね、ミカの見た目ってとてもタリム様に似てるの。そっちの世界ではどうか知らないけど、こちらでは優れた容姿だと思われてる。あとは、匂いね」

 女神タリムに似ているから美人、と言われても、今一つピンとこない。
 元の世界では美人ではないが不細工でもない、くらいの平凡顔だから余計に信じられない気持ちになる。
 それに、匂いとは?

「どういう匂いがするんですか?」
「同性の私には分からないの。でも、伴侶を持たないタリムの男にとっては、たまらない匂いがするという話よ。それはサリム人にとっても同じで、昔は落ちてきたたたびとを巡るトラブルも多かったんですって。それで、最初に保護した人がただびとの夫になる、っていう不文律が出来たみたい」
「な、なるほど……」

 そういえば、そんなようなことを前にも聞いたような――……。
 あの時は、ラスが私の所有権を主張してベネッサさんに窘められたけど、でも、あれは違うよね。
 ラスは未成年だし、『うちで拾った子』をよその男にホイホイ渡したくない! という子どもらしい独占欲の現れだった気がする。

「ミカは未婚よね? 恋人もいないわよね? 想い人は?」

 改めて確認されると微妙な気持ちになるが、見栄を張っても仕方ない。

「そういう人はいません。好きな人も特には……」

 私の答えを聞いて、ベネッサさんはほっと息を吐いた。

「よかった……! 決まった相手のいない未婚女性だけがこちらの世界に呼ばれる、って聞いてるけど、何事にも例外はあるでしょう? もしミカに恋人や夫がいるのなら、タリム様への信仰が揺らいでしまうところだったわ」
「……そういう言い伝えがあるんですね」

 もしかしてこちらへ落ちるのは、独身の処女だけなんだろうか。
 ますますしょっぱい気持ちになる。
 
「そうなの。……でも、よかった、っていうのは無神経だったわ。突然生きる世界を変えられたミカにとっては、それどころじゃないわよね。ごめんなさい」
「あ、いえ。私なら大丈夫です。それに、無理に誰かと番え、ってことじゃないんですよね?」

 一番重要なことを確認してみる。
 ベネッサさんは「……多分」という何とも頼りない返事を寄越してきた。
 
「そ、そうだ。そろそろ洗濯物を見てこなくちゃ。ミカはゆっくりしててね!」

 彼女は早口で言うと、そそくさと逃げ出して行く。
 萎れたように畳まれた翼を見送り、嘘のつけない人なんだな、と思った。
 ベネッサさんは、何か私に隠している。
 でもそれが悪意あってのものだとは、どうしても思えない。
 おそらく『ただびと』にまつわる何かが、彼女の口を重くしているのだ。

「ただびと、って何なの?」

 一人残された台所で、呟いてみる。
 今まで通りならすぐに解説が始まるはずなのに、その言葉には何の反応もなかった。
 
 ユーグさんの魔法で、私は彼が知っていることを知るようになった。
 だが彼の知らないことは、知りようがない。
 もしくは、彼が隠そうとしていることは。

 胸の奥に不安が広がっていく。

「……はぁ」

 つい吐いてしまったため息は、やけに大きく聞こえた。

 

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