婚約者は男で姫でした~とりかえあやかし奇譚~

あさの

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とりかえあやかし奇譚

6.

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暫し手の内の笛を見下ろしていた敦宣だったが、視界の端に閃いたものにはっと我に返った。

咄嗟に無理やり捻った上半身のすぐ脇を小さな影が掠めた。衣の袖が厭な音を立てて引き裂かれる。
びたりと地面に着地し、跳ね回る影には見覚えがありすぎた。

「あの魚は…」

範子に怪我を負わせたあやかしの魚だ。

跳ねる影が再び此方に向かって跳んできそうな気配を察し、敦宣は踵を返して駆け出した。
逃げなければ。
今の敦宣は対抗する術を持たない。
範子に庇われたあの時、敦宣からは鋭利なヒレが不気味に煌めいたのがよく見えたのだ。もし喰らえばひとたまりもない。

広い庭園をあてどなく駆ける。
思ったよりもずっと早く息がきれ始める。こんなに早く息切れすることなどないはずなのに。
追われている恐怖が脚を鈍らせていると気付き、悔しさに臍を噛む。

不意に、背後に悪寒が走り抜ける。
じゃきん、と耳障りな音がしたと思った時には転倒していた。
強かに全身を打ち、一瞬息が止まる。

「あ…っ」

倒れた拍子に笛が転がっていく。
懸命に手を伸ばす。
伸ばして…それで?

――――吹けなかったら?

脳裏に閃いた考えが指先を凍らせる。

周りにはざんばらになった髪が散らばっている。身体に傷を負わなかった代わりに髪を切られたと気付く。大切にしていた長い髪だった。

地に伏して砂埃にまみれ、なんて無様で惨めなんだろう。打ち付けた身体が痛みを訴えている。

「…それがなんですか」

震える指先を伸ばす。

「範子さまも姉様も、もっと痛かった…!」

その時、天頂から差していた日差しが陰った。
見れば、誰かの足元がある。
その沓の側に笛が転がっている。
屈み込んだそのひとが、笛を拾い上げ、敦宣に差し出してきた。

「誰…?」

見上げても、逆光で顔は見えない。
でも何故か、その手がとてもあたたかい事を知っている気がした。
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