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発露
9.
しおりを挟む徐にだらりと敦宣の腕が落ちた。乾いた音を立てて笛が地に転がる。
「敦宣…?」
ただならぬ気配を察し、範子が敦宣を覗き込み、そしてその表情を見て全てわかってしまった。
――――音が、出ないのだ。
身体の横に落ちた白い手が小刻みに震えている。
声もなく立ち尽くす彼に、何と言えば良いのかわからない。
しかし視界の端に映った影に範子は我に返った。
「敦宣ッ!」
考えるより先に無我夢中で飛び付いていた。
次に感じたのは腕に走る例えようのない衝撃。胡蝶の悲鳴が遠く聴こえた。
咄嗟に瞑った目を開く。どうやら肩口から倒れ込んだらしい。
あやかしは、と上体を起こし視線を巡らせれば、件の怪魚は何故かびたびたと苦しげに跳ね回っている。魚影がぬらりと照り光っているのは何故だろう。
「のりこ、さま…」
がさがさに掠れた弱々しい声が聴こえたのはそんな時だ。
覆い被さった敦宣が一点を見詰め、ひゅ、と息を呑んでいる。わなわなと震えながら伸ばされた手が範子の腕に触れる。その手があっという間に赤黒く染まっていく。
見れば、狩衣の袖から覗いた範子の剥き出しの腕が真っ赤に染まっていた。
傷を負ってしまったのか。初めて気付く。
なるほど、あの魚のあやかしにある水の気配は、己が血かと、頭の冷静な部分が考える。
不思議と熱いとしか感じていなかった。が、自覚した途端、傷を負った腕が心の臓になったかのようにどくどくと疼き出す。かなり深くやられたらしい。
起き上がった敦宣が傷を押さえるものの、彼の手からひたひたと血が滴り落ちる。押さえても押さえても滴る血が止まらない。
「…ぁ、あ、そんな…範子さま…」
「敦宣…きみは、へいき…?」
「はい…、範子さまが庇ってくださったから…」
ならよかった。と範子は胸を撫で下ろした。
ああ、でも泣きそう。
…ほらねやっぱり。
君、私のことそんなに嫌いじゃないんでしょ。大嫌いなひとに対してそんな顔しないものね。
血を流しすぎたのか、ぼんやりとそんなことを思う。
「…血が…、わたくしのせいで…、わたくしが、いたから…」
敦宣から零れ落ちた呟きを聞いた刹那、朦朧としていながらも、ほとんど無意識に傷のない手で彼の肩を掴んでいた。
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