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今をときめく貴公子の秘密
6.
しおりを挟む「範子、御菓子食べない? 頂いたものでとても美味しいのよ」
「うん」
範子が頷くやいなや、示し合わせたかのように乳母姉妹の女房が菓子を差し出してきた。丹波の国から貢進されたという甘栗子らしい。
ぱくりとひとつ口に放り込み、控えめな甘さに舌鼓を打つ。
ふと姉を見ると、手に持つ菓子を物憂げに見詰めている。
「姉上、どうしたの?」
「ああ…。これね、梅壷の女御様から頂いたものなの。彼女、最近里下がりされたのよ。お身体を悪くされて…」
梅壷の女御はこの姉と親しくしている。範子は直に会ったことはないが、ふたりがこの局で仲良く談笑しているのを何度か耳にしたことがある。
「そうなんだ…心配だね」
梅壷の宮は右大臣の娘だ。そう思えば、先程無理に場を辞して置き去りにした右大臣に対して罪悪感も生まれてくる。
「ええ。招くお客人も減って、この局も淋しくなったわ」
緑したたる庭の植木の葉を眺めて梨壷が呟く。と、寂しげだった横顔が、含みのある笑みをたたえて範子を見た。
「ゆえ、今を時めく侍従の君におかれましては、足しげく通ってわたしの話し相手になって頂けると嬉しいのだけれど」
「よしてよ、姉上。そんなにかしこまらないで」
「ふふ、ちゃんと予約しないと、人気者の侍従の君は引っ張りだこなんだもの」
「もう…」
「ねえ、範子。また聴かせて頂戴よ」
「うん、いいよ」
これにもまた、初めから知っていましたと言わんばかりに女房から笛を差し出される。
有り難く受け取り、範子は笛を己が口元へ向けた。
やがて梨壷からは流麗な音色が流れ出した。絹のごとき滑らかな音に、耳にした誰もが足を止める。
やがて長く伸びた高音が余韻を残して消える。静寂が充ちる。
音が消えたことを惜しむように吐息をついたのは更衣だ。
「いつ聴いても、お前の笛の音は素晴らしいわ」
「ありがとう、姉上。…実はね、最近腕の良い奏者を見付けたんだ」
「まあ、どなたかしら。あ、わかった。噂の婚約者でしょう。その顔は図星ね!」
「…よくわかったね」
「わかるわよ。姉ですからね。ああ、わたしも一度聴いてみたいものだわ。その『胡蝶の君』とは仲良くやっているの? 確か、お身体が強くなくて部屋からろくに出られないのでしょう?」
「うん。でも時々合奏するときもあるよ。姫は琵琶がとても上手でね、笛も吹けるらしいんだけど、きっと上手なんだ」
「そう。良いお友達を持ってよかったわね。それにしても、笛の上手な姫なんて珍しい…まるでお前みたい」
「えっ、そ、そうかな…?」
範子はひやりと背中に冷や汗をかく。
範子が女と知っている梨壷は、妹に美姫の婚約者の噂が流れても、それは友情だろうと思っている。しかし、女の勘とでも言うべきか。梨壷は鋭い。
実は、この姉にもまだ打ち明けていないことがある。
さんざん宮中で範子の婚約者という噂が流れている右大臣の末姫『胡蝶の君』のことだ。
この件に関して、範子の一存で口を割ることは出来ない。それこそ、右大臣の言っていたように、もし事が宮中に知れ渡ることになれば『終わり』なのだ。
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