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一子との再会
10.
しおりを挟む蝉が鳴いている。
しばらくその忙しない声を聞いていた。そうしたら、不意に蝉の声が遠くなった。
あれ? と不思議に思っていたら、代わりに誰かの歌声が聞こえてきた。いや、気がついていなかっただけで、ずっと歌声はあったのかもしれない。
それは、綺麗な澄んだ歌声だった。けれど、どこか物悲しい。
どこかで聞いた気がするなあ、とぼんやり思った。
「――――……」
潜っていた水中から浮き上がったように、ふと目が覚めた。
起きてまず先に、虫の声が耳に入ってきた。夢の中で蝉の声だと思っていたのは、どうやら鈴虫のものだったようだ。
いつの間にか寝てたのか、と昭仁はぼんやりと瞬きを繰り返す。まだ少し意識がはっきりしてこない。その混濁した意識の中で、ひそやかな旋律を拾う。
寝転んだまま視線を巡らす。額と首筋に掻いた汗が流れた。開け放たれた回り縁、傾いた日が床を濡らすその濡れ縁に、腰かけた細い背中がある。
朔良だ。
彼は、庭を向いて小さく小さく歌を口ずさんでいた。それは静かな離れにおいても、微かにしか聞こえてこないほどのささやかな声だ。
なぜだろうか。昭仁はその旋律に懐かしさを覚えた。
「---…にいさん、起きたんですか?」
昭仁の起きた気配を察した朔良が振り返ってきた。
「うん…、朔良、おかえり」
昭仁は片肘をついて畳から起きあがろうとした。そうしようとした途端、ぐらりと視界が回った。少し吐き気もし、昭仁は俯いて小さく呻いた。
「うたた寝の間に体温があがりすぎたんでしょう。…じっとしてて」
側にやってきた朔良が、昭仁の目元を掌で覆った。回る視界を遮られ、闇が落ちる。昭仁の目元に降りた朔良の手は、冷たかった。
腫れぼったい瞼が冷えて心地好いはずが、昭仁はその冷たさが気になった。
「…朔良」
「しゃべらない方がいいですよ」
「平気だ。それより、手…冷たい」
途端に掌が外される。開けた視界に朔良が映る。
昭仁は咄嗟に、遠ざかる彼の手を掴んでいた。案の定、朔良は引き留められた手を不思議そうに見ている。昭仁は、自らの言葉が足りなかったのを反省した。
「ごめん、そういう意味じゃないんだ」
「大きなお世話だったのかと思いました」
「違うよ。ただ、あんまり冷たいから気になって…」
朔良の手は指先まで冷えきっていた。
「―――何か、あったのか?」
朔良は、答えなかった。代わりに、握られていた手を取り戻すと微かに笑って、再び昭仁の視界を掌で閉ざした。
昭仁が彼の名を呼び掛ける。その返事の代わりのように、昭仁の瞼にある掌が更に深く被さった。
「…にいさんは…」
朔良の小さな声がしたのは、少ししてからだった。
「ずっとここにいてくださいね」
掌は外されず、昭仁には朔良が今どんな顔をしているのかわからない。けれど、その声に潜む寂しさは気のせいではない。
「…………」
それをわかっていながら、昭仁はすぐに答えることができなかった。
――――ずっと朔良の側にいることはできない。
逡巡してしまった間に、掌は外された。
「…なんて、冗談です」
熱の籠った身体が、暑苦しさをしきりに訴える。その重苦しさは、いつまでも昭仁の胸に残った。
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