こい唄

あさの

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出発

4.

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そのあとどうやって戻ってきたのかわからない。
気が付くと、昭仁は朔良のいる離れの入口にぼんやりと立ち尽くしていた。

朔良に会いに来たわけでも、また訪問する約束をしていたわけでもない。それなのに、昭仁は朔良の離れの門扉を潜っていた。ここを潜って、すぐに視界に入る白い蔵を曲がれば、朔良のいる離れがある。

この広大な本家の屋敷には、昔、侍女や庭師などの雇われの者以外にも、本家に縁のある者が住んでいた。朔良の両親と、お抱えの医師一家だ。

今や、朔良の両親は既に亡い。
そして、本家が抱えていた医師一家も、もう住んでいない。

なぜ、住んでいないのか。その理由を、昭仁はよく知っている。

――――本家から、つまり月瀬頭首から、追い出されたからだ。

進む昭仁の耳に、ふと犬の鳴き声が入り込む。初めは気に留める余裕もなかった昭仁が、徐々に近付いてくる鳴き声にようやく顔をあげる。それは、朔良の離れがもう見える頃だった。

「雪…?」

朔良が拾ったという小犬の名前を呟き、昭仁が周りを見渡す。しかしそれらしき影はない。けれども犬の鳴き声は近い。よくよく聞いてみれば、それが下ではなく上の方からすることに気付いた彼が顔を上げる。果たしてそこには、塀の上から昭仁を見詰めている雪がいた。
両者が見つめ合うことしばし。
雪がその場で塀の瓦を踏みしめ、足場を確かめるような動きを見せる。

「ゆ、ゆき…?」

嫌な予感が昭仁をせき立てた。
まさか、いやそんなまさか。

しかしながらその予感はきっちり的中した。小さな犬は大人の男でもとてもよじ登れない塀の上から身を投じた。
昭仁目掛けて犬が宙を飛ぶ。

「わああっ!」

悲鳴の最後の方は、見事昭仁の顔面に落下した雪の柔らかい腹部を受けてくぐもったものになった。柔らかいといえども、いきなり顔面目掛けて犬が降ってきた昭仁は、体勢を崩してしたたかに尻をぶつけた。なんとか受け止めようとした腕は虚しく空をかく。

モモンガよろしく顔にへばり付いた雪は、昭仁が混乱の声をあげる前に次の行動に出た。

「な…なん、なんだよ雪!」

昭仁の顔を舐めだしたのだ。打ちつけた尻が痛いやら、犬を顔面で受け止めた衝撃やらで、起き上がることもままならない昭仁の顔を、雪がそれは懸命に舐める。

麿眉だなあ、と昭仁が密かに思っていた雪という小犬は、その特徴的な眉の形も合わさって、常時困っているような少々情けない顔をしている。それが今はどうしたことか、きりりと凛々しい。

ひょいと小犬を抱き上げてみると、雪は昭仁に向けて放せとでも言うように前脚をばたつかせた。その必死な様子に、昭仁からついに苦笑が漏れた。

「慰めてくれてるのか?」

雪が鼻を鳴らす。昭仁の苦笑がますます深まった。

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