こい唄

あさの

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出発

3.

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座敷簾の下がる向こうで身じろぐ気配がし、僅かに映る影の形が変わる。
「大奥様」と微かに聞こえたことから、使用人が頭首の身体を起こす手伝いをしたようだ。

「---昭仁です。御祖母様、ご無沙汰をしておりました」

「昭仁、こちらへ。近く寄りなさい」

重ねた歳を感じさせるが張りのある頭首の声が、昭仁の緊張を煽った。彼女の声を最後に聞いた日に、たちまち戻ってしまったかのような感覚に陥る。
ごく僅かに覚えている記憶の断片が蘇る。
耳に障る金切り声。障子の破れる音―――。

「…はい」

簾の下がる側近くへ寄ると、頭首が簾の奥で重苦しい吐息をついた。

「このようなみっともない格好で許してください」

「いえ…、私のことはお気になさらず」

心臓の悪い頭首は、こうして寝込む日がある。
昭仁がそう言うと、彼女は「ありがとう」と礼を言って続けた。その物言いは昭仁の予想と反し、しっかりしている。

「昭仁、見ない間に大きくなりました。志人のもとにいると聞き及んでいますが、あの子も健勝ですか」

「はい」

「そう、それは良かったわ。志人は昔から我が月瀬らしくない粗野な行いをして私を困らせたものだから、貴方もさぞ苦労していることでしょう」

「いえ…」

表面的には昔話を語るような言葉の数々に、昭仁はそう返すのが精一杯だった。まるで、針のむしろにされている気分だった。言葉にある細かな針が次々と刺さる。

そして、次に頭首の口から出てきた言葉に、どくりと昭仁の心臓が不吉な音を立てて脈打った。

「だから、志人にはあの子、撫子はとても任せられないからお前を呼びました」

それは決定的な言葉だった。頭首は朔良ではなく、撫子と言った。朔良の言った言葉を思い出す。あのひとは、自らの娘と孫の区別がついていない、と言ったあの声を。

俯き、声をなくしている昭仁に、容赦のない声が降りかかる。

「感謝なさい、昭仁。卑しい家系のお前に、月瀬の敷居を再び跨がせることを許したのです。これ以上の失態をして私を失望させないで頂戴ね」

頭首は重い吐息を吐いて、言葉を紡ぐ。

「撫子は嫁入りもまだのこれからも先がある若い身です。何より、わたしの大切な娘です。お前には期待していますよ、昭仁。お前の父のようなことにはゆめゆめならぬよう」

その声を呆然と聞きながら、昭仁は何故か、寺で夕日に照らされていた朔良の横顔を思い出していた。

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