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月瀬朔良
10.
しおりを挟むその夜更け、自室に戻った昭仁は、漏れ出るため息を隠さないでいた。
彼の前には、いつぞやの夜に書き出してそのままの手紙がある。紙面はしかし、前から手つかずのまま、新しい文章が書き足されてはいない。
筆を持ち、難しい顔をして思い悩む昭仁は、昼間の朔良とのことを思い出し、持ったばかりの万年筆を文机の上に戻した。
昼の朔良に対して尋ねた自らの言葉と、それに対する彼女の表情が、また昭仁の脳裏に浮かぶ。
あー、と意味をなさない呻きをあげて、昭仁は文机に突っ伏した。机が揺れて、万年筆がころりと畳に落ちてしまう。けれど、拾う気力も起きない。
彼女のことを理解しきれぬ内に、あまりにも軽率なことを尋ねてしまったのだろう。朔良の瞳は凍てついていた。つくづく酷いことを聞いてしまった。
もう何度目かもわからないため息が、昭仁の口から零れた。
「…これじゃあ、志人さんのところにとても帰れないな…」
「―――――ずっとここに居ればいいじゃないですか。昔みたいに」
いきなり自分以外の声がしたことに、昭仁は飛び上がらんばかりに驚いた。疾走する心臓を持て余しながら、振り返った先にいたのは、
「朔良様…どうしてここに…」
昭仁の背後に佇んでいたのは、今は離れの私室で休んでいるはずの朔良そのひとだった。
見れば、いつの間にか、その背後の障子が開け放たれている。昭仁は、朔良の気配にまったく気付けなかった。
最もな問いを茫然と投げ掛けた昭仁は、すぐにそれよりも重要なことに気付いた。
「あなた…声が…」
そして、何よりもその声は。
朔良が自失からなかなか立ち直らない昭仁を見下ろす。相変わらず、その表情は読めない。
おもむろに口を開くと、朔良は出せないはずの声で続けた。
「あの藪医者から本当に何も聞いてはいないんですか?」
「藪医者って…、志人さんのことですか…?」
「他に誰がいるんです。…あのひと、何も言っていないんですね」
いつもならば、静々と歩を進める朔良が、裳裾がめくれ上がりはしないものの、普段よりも大股で昭仁の目の前にやってくる。
「じゃあ、僕が代わりに言います」
月瀬朔良は、間違いなく女と聞かされていたはずだ。
しかし、昭仁の目の前にいるその朔良が、座り込む昭仁を見下ろし、至極簡単に言い放った。
「――――昭仁兄さん、僕、男ですから」
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