十五光年先の、

西乃狐

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  大学入学から六年も前。中学一年の春のことだ。硬式テニス部がなかったので、中学では帰宅部で通すつもりでいた。それなのに、思いがけず天文部に所属することになった。

 天文学になんて興味はなかったけれど、同じクラスの田口という男から頼まれたのだ。部員数が足りなくて廃部の危機だから名前だけでも貸してくれと。
 田口は度のきつそうな眼鏡をかけた、ちょっとおたくっぽい雰囲気を持つ男だったけれど、名前くらい貸してもいいかと思わせる程度には良い男だった。

 天文部員は僕と田口の他には三年生が三人だけの合計五人。部として存続できるボーダーラインだった。一年経てば二人だけになってしまうわけだが、とりあえず卒業まで望みを繋いだ三年生には大いに歓迎されて悪い気はしなかった。

 ただ名前を貸すだけという約束は三年生に伝わっていなかったらしく、いきなりゴールデンウイークの新歓キャンプに誘われた。一年の二人が一つずつテントを担がされて学校の裏山を越え、次の山までもを越えるはめになったのだが、それは参加を断わる口実が見つからなかったせいではない。何を隠そう、恥ずかしながら、天文部の部長が美人だったからだ。

 目的のキャンプ場は、キャンプ場だと知らなければ、山の中にしては樹木が少なくて平坦な場所だなあと感じる程度の土地だった。キャンプ場名も読めないほど朽ち果てた看板に気づいた者ですら、せいぜいキャンプ場の跡地だと思うのが関の山だろう。けれど、よくよく見れば簡易トイレと水道もあって、蛇口を捻れば水も出た。聞けば付近の山一帯が天文部OBの実家の所有だそうで、ほぼ天文部の為だけに整備されたものだという。観測に邪魔な木があれば、好きに切り倒しても良いことになっているらしい。
 あのキャンプ場は今でも健在だろうか。

——ここが今夜のキャンプ地だぞお。

 平地部の中央付近を川とも呼べないような細い細い水の流れが横切っていて、部員たちはそれを天の川と呼んでいた。
 先輩にも手伝ってもらいながら、その天の川を挟んで一つずつテントを張った。

——わたし、こっちね。

 唯一の女子部員であった部長が一方のテントのポールに「男子禁制」と書かれた札をぶら下げた。途端に天の川の向こう側が聖域のように思えたものだ。

 彼女は同級生の男子部員からかぐやと呼ばれていた。家具屋の娘だというわけでもなく、由来は定かではない。ただ、竹から生まれたわけではないにせよ、天文部の美人部長にかぐやという名前は相応ふさわしく感じられた。

 夏雪の女将はいつも和装で髪を綺麗に纏めている。着物の襟足からのぞく白い肌が、炊き立ての白米のように眩しくて魅力的だ。そして僕にとって女性のうなじと言えば、かぐや部長が原点だった。
 中学一年など、つい数日前まで小学生だった、まだまだ尻の青いガキだ。同じ中学生とはいえ、三年生の部長はガキから見れば十分に大人だった。キャンプ場までの道すがら、かぐや部長の後頭部で束ねられた髪が揺れるのを見て、確かに馬の尻尾はこんな風かもしれいなどと思ったのは最初のうちだけだ。すぐに、その揺れる髪の向こうに見え隠れする白いうなじから目が離せなくなった。同じ人間の肌とは思えない透き通るような質感。見てはいけないものを見ているような罪悪感に裏打ちされた興奮。それはうなじというものの艶めかしさを初めて教えてくれたうなじだった。

 女子の背中にブラジャーのラインを見つけてドキドキしたり、人並みにエッチなことに対する興味や好奇心は肥大化しつつあったけれど、特定の女性を性的な対象として意識して、同時にそれ以上の好意を抱いて見たのは、やはりかぐや部長が初めてのように思う。
 
 春から初夏に向かう季節とはいえ、山の夜はそれなりに冷えた。カップ麺だけの食事を済ませた後、五人の天文部員は草原に並べた寝袋に入って寝転がった。身を委ねたのは、大量のビー玉をまき散らしたかのような星空だ。

——望遠鏡とか覗かないんですか。

 田口の疑問を三年生が一蹴した。

——十年早い。

——中学は三年しかないじゃないですか。

——よく気づいたな。冗談冗談。うちの部の新歓キャンプは肉眼で宇宙を見て過ごすのが習わしなんだ。

 真ん中の寝袋に部長が入り、その両隣が一年生の二人だと指定されていた。
 最も重要なファクターは天候だけれど、それには恵まれた夜だった。天体観測の為に作られたキャンプ場には邪魔な外灯も無い。五人は満天の星空に囲まれていた。

——星空が嫌いだって言う人に、わたしはまだ出会ったことがないよ。

 かぐや部長の言葉を受けて、頭の中で星空を嫌ってそうな知り合いを探してみた。

——確かにいないかも。

 そう答えたのは田口だ。慌てて頷いて同意してみたものの、みんな空を見上げていたから、頷いただけでは気づいてもらえなかっただろう。

——紀元前の大昔から人類は天文学に取り組んできたけれど、ある意味では天文学の歴史はまだまだ浅いとも言えるの。望遠鏡や観測技術が発達するたび宇宙は広く大きくなっていく。そして広がれば広がるほど、分からないことは増えていく。

 かぐや部長は独り言のように語った。
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