十五光年先の、

西乃狐

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 あらためて名刺の裏に手書きされた番号と、尋深の番号が表示されたスマホの画面とを見比べた。

 電話が無理なのは明らかだ。悩む余地すら無い。連絡するにしてもメールかLINEだろう。LINEのやり取りもしたことはないものの、電話番号から友達登録だけはされていた。
 だが、それにしても何と送るべきか。

 今日は会えて嬉しかった——
 それではまるで口説きにかかっているみたいだ。

 元気そうで何より——
 そんな程度なら送る意味も無いか。

 この十五年、惰性に近い年賀状のやり取りは続いていた。今日は出張だと言っていたが、卒業後は彼女の出身地で就職して、結婚を機に転居して以降はずっと同じ住所だったように記憶している。名刺に記された勤務先の住所もその記憶を裏付けていた。
 
 それにしても昼間、あの蕎麦屋で出会ったのはすごい確率だ。どちらかの歩みが少しずれただけでも出会うことはなかっただろう。例えば昼休み間際に架かって来た電話。あの電話のせいでランチに出る時間が遅れることがなかっただけでも、会えていなかったかもしれない。そんなことに運命を感じるほど若くはない。若くはないが、何かしらの感慨は感じざるを得ない。

 学生時代、偶然の出会いを演出しようとして何度も失敗したことを思い出す。
 尋深とは大学から帰る方向が同じで、二人とも自転車通学だった。学部は違ったけれど同じサークルに所属していたのだから、帰りが一緒になることがあってもおかしくはない。だが、一筋縄ではいかないのが現実だ。

 通学路途中のコンビニで時間を潰しながら前の通りを眺めていても、一向に彼女は通らない。もう帰ってしまった後だったのか、どこか寄り道をしていたのか。はたまたそんな時に限って違う道を通って帰ってしまったのか。確認のしようもない。

 そのコンビニで出会えたこともあったが、その時の彼女は友達と一緒だったので軽く会釈をしただけで終わってしまった。それでも、少し首を傾げるようにして見せてくれた控え目な笑顔だけでも、当時は大きな収穫だった。

 一緒に帰ろうのひと言が言えない腰抜けだった。その頃の自分の後ろに立って背中を押してやりたい。針で突いてやりたい。そんなふうにさえ思う、赤面ものの苦くて青い思い出。

「お待たせしました。鰆の西京焼きです。お酒も今、お持ちしますね」

 女将はすぐにカウンタを出て、細い腕で一升瓶を抱えるようにして持ってきた。銘柄を確認し、卵型の日本酒用のグラスに注いでくれる。
 最近の日本酒の好みは「生」であったり「無濾過」であったり「原酒」であったりする。それにぴったりの一本だった。

「さ、どうぞ」

「いただきます」

 手にも心地良いグラスを口に近づけた時、カウンタに置いてあったスマホが震えて着信を知らせた。
 LINEの着信だったが、発信者の表示を見て手が止まった。
 尋深からだ。

 平静を装いつつ、グラスを置いてスマホに持ち替え、トーク画面を開いた。

>>どこで何してんの?

 それだけだ。
 何だ、これは?
 まるで学生仲間のような口調。挨拶の言葉すら無い。
 昼間はどーも、くらい書けないのか。

 こちらが何と送ろうか思い悩んでいたのを知ってか知らずか——まあ、知っているわけはない。
 女という生き物は時に本当に無神経だ。そう上書き保存した。

 こんなのありなのかよ——。
 散々悩んだ自分が馬鹿に思える。
 しゃくさわったので、ささやかな抵抗として極力単語だけで返信することにした。当然、挨拶など抜きだ。

>>飲み屋のカウンタ。
>>鰆の西京焼き。
>>奥播磨純米吟醸無濾過生。

 送信ボタンを押し、暫く画面を眺めながら返信を待ったところで、すぐに来るわけもないと思い直し、西京焼きに箸を付けた。
 あらためてグラスを手に取り、奥播磨を口に含む。すっきりとした口当たりながら、しっかりとした旨味が鼻腔に広がる。喉越しも嫌味なところが全く無く、西京焼きとの相性も絶妙だ。

 そこで、またスマホが着信を知らせた。

>>なに⁈ どこの店?

 驚いた表情と口からよだれを垂らした物欲しそうな表情、二つの顔の絵文字が添えられていた。
 軽く笑ってしまったところで、女将と目が合った。女将は何か言いたげだが、何も言わずに微笑んでいる。
 何故かバツの悪さを感じ、すぐに視線をスマホに戻してしまった。
 
 この店はグルメサイトにもほとんど情報が出ていない。辛うじて店名と住所、電話番号が分かるくらいのものだ。面倒なので情報サイトのリンクだけをLINEで送った。

 奥播磨が進む。
 西京焼きも味付け、焼き具合が絶妙で、コメとの相性も抜群だ。日本酒が飲めない人なら白ご飯が進むだろう。

 次に届いたLINEを見て箸が止まった。
 箸を箸置きに丁寧に置いてスマホを手に取り、読み直す。

>>三十分で着く。

 加えて、ダッシュして走る姿のスタンプが一つ。

「まじか」

 思わず声が出てしまった。
 店内を見渡す。女将が一人で切り盛りしている店だからさほど広くはないが、週末といえども混んでもいない。広々と六席取られたカウンタの反対側の端に別の客が一人いた。テーブル席にも一組。それだけだ。

 足元に置いてあった鞄をそっと隣の席に置いた。

「一人、連れが来るみたいなんだけど、大丈夫ですよね?」

 さり気ない風を装って、包丁を使っていた女将に話かける。

「ええ。もちろん。名刺の女性ですか?」

 顔を上げた女将は、とても楽しそうだった。
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