4 / 16
4.
しおりを挟む
あらためて名刺の裏に手書きされた番号と、尋深の番号が表示されたスマホの画面とを見比べた。
電話が無理なのは明らかだ。悩む余地すら無い。連絡するにしてもメールかLINEだろう。LINEのやり取りもしたことはないものの、電話番号から友達登録だけはされていた。
だが、それにしても何と送るべきか。
今日は会えて嬉しかった——
それではまるで口説きにかかっているみたいだ。
元気そうで何より——
そんな程度なら送る意味も無いか。
この十五年、惰性に近い年賀状のやり取りは続いていた。今日は出張だと言っていたが、卒業後は彼女の出身地で就職して、結婚を機に転居して以降はずっと同じ住所だったように記憶している。名刺に記された勤務先の住所もその記憶を裏付けていた。
それにしても昼間、あの蕎麦屋で出会ったのはすごい確率だ。どちらかの歩みが少しずれただけでも出会うことはなかっただろう。例えば昼休み間際に架かって来た電話。あの電話のせいでランチに出る時間が遅れることがなかっただけでも、会えていなかったかもしれない。そんなことに運命を感じるほど若くはない。若くはないが、何かしらの感慨は感じざるを得ない。
学生時代、偶然の出会いを演出しようとして何度も失敗したことを思い出す。
尋深とは大学から帰る方向が同じで、二人とも自転車通学だった。学部は違ったけれど同じサークルに所属していたのだから、帰りが一緒になることがあってもおかしくはない。だが、一筋縄ではいかないのが現実だ。
通学路途中のコンビニで時間を潰しながら前の通りを眺めていても、一向に彼女は通らない。もう帰ってしまった後だったのか、どこか寄り道をしていたのか。はたまたそんな時に限って違う道を通って帰ってしまったのか。確認のしようもない。
そのコンビニで出会えたこともあったが、その時の彼女は友達と一緒だったので軽く会釈をしただけで終わってしまった。それでも、少し首を傾げるようにして見せてくれた控え目な笑顔だけでも、当時は大きな収穫だった。
一緒に帰ろうのひと言が言えない腰抜けだった。その頃の自分の後ろに立って背中を押してやりたい。針で突いてやりたい。そんなふうにさえ思う、赤面ものの苦くて青い思い出。
「お待たせしました。鰆の西京焼きです。お酒も今、お持ちしますね」
女将はすぐにカウンタを出て、細い腕で一升瓶を抱えるようにして持ってきた。銘柄を確認し、卵型の日本酒用のグラスに注いでくれる。
最近の日本酒の好みは「生」であったり「無濾過」であったり「原酒」であったりする。それにぴったりの一本だった。
「さ、どうぞ」
「いただきます」
手にも心地良いグラスを口に近づけた時、カウンタに置いてあったスマホが震えて着信を知らせた。
LINEの着信だったが、発信者の表示を見て手が止まった。
尋深からだ。
平静を装いつつ、グラスを置いてスマホに持ち替え、トーク画面を開いた。
>>どこで何してんの?
それだけだ。
何だ、これは?
まるで学生仲間のような口調。挨拶の言葉すら無い。
昼間はどーも、くらい書けないのか。
こちらが何と送ろうか思い悩んでいたのを知ってか知らずか——まあ、知っているわけはない。
女という生き物は時に本当に無神経だ。そう上書き保存した。
こんなのありなのかよ——。
散々悩んだ自分が馬鹿に思える。
癪に障ったので、ささやかな抵抗として極力単語だけで返信することにした。当然、挨拶など抜きだ。
>>飲み屋のカウンタ。
>>鰆の西京焼き。
>>奥播磨純米吟醸無濾過生。
送信ボタンを押し、暫く画面を眺めながら返信を待ったところで、すぐに来るわけもないと思い直し、西京焼きに箸を付けた。
あらためてグラスを手に取り、奥播磨を口に含む。すっきりとした口当たりながら、しっかりとした旨味が鼻腔に広がる。喉越しも嫌味なところが全く無く、西京焼きとの相性も絶妙だ。
そこで、またスマホが着信を知らせた。
>>なに⁈ どこの店?
驚いた表情と口から涎を垂らした物欲しそうな表情、二つの顔の絵文字が添えられていた。
軽く笑ってしまったところで、女将と目が合った。女将は何か言いたげだが、何も言わずに微笑んでいる。
何故かバツの悪さを感じ、すぐに視線をスマホに戻してしまった。
この店はグルメサイトにもほとんど情報が出ていない。辛うじて店名と住所、電話番号が分かるくらいのものだ。面倒なので情報サイトのリンクだけをLINEで送った。
奥播磨が進む。
西京焼きも味付け、焼き具合が絶妙で、コメとの相性も抜群だ。日本酒が飲めない人なら白ご飯が進むだろう。
次に届いたLINEを見て箸が止まった。
箸を箸置きに丁寧に置いてスマホを手に取り、読み直す。
>>三十分で着く。
加えて、ダッシュして走る姿のスタンプが一つ。
「まじか」
思わず声が出てしまった。
店内を見渡す。女将が一人で切り盛りしている店だからさほど広くはないが、週末といえども混んでもいない。広々と六席取られたカウンタの反対側の端に別の客が一人いた。テーブル席にも一組。それだけだ。
足元に置いてあった鞄をそっと隣の席に置いた。
「一人、連れが来るみたいなんだけど、大丈夫ですよね?」
さり気ない風を装って、包丁を使っていた女将に話かける。
「ええ。もちろん。名刺の女性ですか?」
顔を上げた女将は、とても楽しそうだった。
電話が無理なのは明らかだ。悩む余地すら無い。連絡するにしてもメールかLINEだろう。LINEのやり取りもしたことはないものの、電話番号から友達登録だけはされていた。
だが、それにしても何と送るべきか。
今日は会えて嬉しかった——
それではまるで口説きにかかっているみたいだ。
元気そうで何より——
そんな程度なら送る意味も無いか。
この十五年、惰性に近い年賀状のやり取りは続いていた。今日は出張だと言っていたが、卒業後は彼女の出身地で就職して、結婚を機に転居して以降はずっと同じ住所だったように記憶している。名刺に記された勤務先の住所もその記憶を裏付けていた。
それにしても昼間、あの蕎麦屋で出会ったのはすごい確率だ。どちらかの歩みが少しずれただけでも出会うことはなかっただろう。例えば昼休み間際に架かって来た電話。あの電話のせいでランチに出る時間が遅れることがなかっただけでも、会えていなかったかもしれない。そんなことに運命を感じるほど若くはない。若くはないが、何かしらの感慨は感じざるを得ない。
学生時代、偶然の出会いを演出しようとして何度も失敗したことを思い出す。
尋深とは大学から帰る方向が同じで、二人とも自転車通学だった。学部は違ったけれど同じサークルに所属していたのだから、帰りが一緒になることがあってもおかしくはない。だが、一筋縄ではいかないのが現実だ。
通学路途中のコンビニで時間を潰しながら前の通りを眺めていても、一向に彼女は通らない。もう帰ってしまった後だったのか、どこか寄り道をしていたのか。はたまたそんな時に限って違う道を通って帰ってしまったのか。確認のしようもない。
そのコンビニで出会えたこともあったが、その時の彼女は友達と一緒だったので軽く会釈をしただけで終わってしまった。それでも、少し首を傾げるようにして見せてくれた控え目な笑顔だけでも、当時は大きな収穫だった。
一緒に帰ろうのひと言が言えない腰抜けだった。その頃の自分の後ろに立って背中を押してやりたい。針で突いてやりたい。そんなふうにさえ思う、赤面ものの苦くて青い思い出。
「お待たせしました。鰆の西京焼きです。お酒も今、お持ちしますね」
女将はすぐにカウンタを出て、細い腕で一升瓶を抱えるようにして持ってきた。銘柄を確認し、卵型の日本酒用のグラスに注いでくれる。
最近の日本酒の好みは「生」であったり「無濾過」であったり「原酒」であったりする。それにぴったりの一本だった。
「さ、どうぞ」
「いただきます」
手にも心地良いグラスを口に近づけた時、カウンタに置いてあったスマホが震えて着信を知らせた。
LINEの着信だったが、発信者の表示を見て手が止まった。
尋深からだ。
平静を装いつつ、グラスを置いてスマホに持ち替え、トーク画面を開いた。
>>どこで何してんの?
それだけだ。
何だ、これは?
まるで学生仲間のような口調。挨拶の言葉すら無い。
昼間はどーも、くらい書けないのか。
こちらが何と送ろうか思い悩んでいたのを知ってか知らずか——まあ、知っているわけはない。
女という生き物は時に本当に無神経だ。そう上書き保存した。
こんなのありなのかよ——。
散々悩んだ自分が馬鹿に思える。
癪に障ったので、ささやかな抵抗として極力単語だけで返信することにした。当然、挨拶など抜きだ。
>>飲み屋のカウンタ。
>>鰆の西京焼き。
>>奥播磨純米吟醸無濾過生。
送信ボタンを押し、暫く画面を眺めながら返信を待ったところで、すぐに来るわけもないと思い直し、西京焼きに箸を付けた。
あらためてグラスを手に取り、奥播磨を口に含む。すっきりとした口当たりながら、しっかりとした旨味が鼻腔に広がる。喉越しも嫌味なところが全く無く、西京焼きとの相性も絶妙だ。
そこで、またスマホが着信を知らせた。
>>なに⁈ どこの店?
驚いた表情と口から涎を垂らした物欲しそうな表情、二つの顔の絵文字が添えられていた。
軽く笑ってしまったところで、女将と目が合った。女将は何か言いたげだが、何も言わずに微笑んでいる。
何故かバツの悪さを感じ、すぐに視線をスマホに戻してしまった。
この店はグルメサイトにもほとんど情報が出ていない。辛うじて店名と住所、電話番号が分かるくらいのものだ。面倒なので情報サイトのリンクだけをLINEで送った。
奥播磨が進む。
西京焼きも味付け、焼き具合が絶妙で、コメとの相性も抜群だ。日本酒が飲めない人なら白ご飯が進むだろう。
次に届いたLINEを見て箸が止まった。
箸を箸置きに丁寧に置いてスマホを手に取り、読み直す。
>>三十分で着く。
加えて、ダッシュして走る姿のスタンプが一つ。
「まじか」
思わず声が出てしまった。
店内を見渡す。女将が一人で切り盛りしている店だからさほど広くはないが、週末といえども混んでもいない。広々と六席取られたカウンタの反対側の端に別の客が一人いた。テーブル席にも一組。それだけだ。
足元に置いてあった鞄をそっと隣の席に置いた。
「一人、連れが来るみたいなんだけど、大丈夫ですよね?」
さり気ない風を装って、包丁を使っていた女将に話かける。
「ええ。もちろん。名刺の女性ですか?」
顔を上げた女将は、とても楽しそうだった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
隠れ御曹司の愛に絡めとられて
海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた――
彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。
古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。
仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!?
チャラい男はお断り!
けれども彼の作る料理はどれも絶品で……
超大手商社 秘書課勤務
野村 亜矢(のむら あや)
29歳
特技:迷子
×
飲食店勤務(ホスト?)
名も知らぬ男
24歳
特技:家事?
「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて
もう逃げられない――
【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~
蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。
なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?!
アイドル顔負けのルックス
庶務課 蜂谷あすか(24)
×
社内人気NO.1のイケメンエリート
企画部エース 天野翔(31)
「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」
女子社員から妬まれるのは面倒。
イケメンには関わりたくないのに。
「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」
イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって
人を思いやれる優しい人。
そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。
「私、…役に立ちました?」
それなら…もっと……。
「褒めて下さい」
もっともっと、彼に認められたい。
「もっと、褒めて下さ…っん!」
首の後ろを掬いあげられるように掴まれて
重ねた唇は煙草の匂いがした。
「なぁ。褒めて欲しい?」
それは甘いキスの誘惑…。
一夜限りのお相手は
栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月
遠距離恋愛は続かないと、貴方は寂しくそう言った
五右衛門
恋愛
中学校を卒業する日……桜坂光と雪宮麗は、美術室で最後の時を過ごしていた。雪宮の家族が北海道へ転勤するため、二人は離れ離れになる運命にあったためだ。遠距離恋愛を提案する光だが、雪宮は「遠距離恋愛は続かない」と優しく告げ、別れを決断する。それでも諦めきれない桜坂に対し、雪宮はある約束を提案する。新しい恋が見つからず、互いにまだ想いが残っていたなら、クリスマスの日に公園の噴水前で再会しようと。
季節は巡り、クリスマスの夜。桜坂は約束の場所で待つが、雪宮は現れない。桜坂の時間は今もあの時から止まったままだった。心に空いた穴を埋めることはできず、雪が静かに降り積もる中、桜坂はただひたすらに想い人を待っていた。
糖度高めな秘密の密会はいかが?
桜井 響華
恋愛
彩羽(いろは)コーポレーションで
雑貨デザイナー兼その他のデザインを
担当している、秋葉 紫です。
毎日のように
鬼畜な企画部長からガミガミ言われて、
日々、癒しを求めています。
ストレス解消法の一つは、
同じ系列のカフェに行く事。
そこには、
癒しの王子様が居るから───・・・・・
カフェのアルバイト店員?
でも、本当は御曹司!?
年下王子様系か...Sな俺様上司か…
入社5年目、私にも恋のチャンスが
巡って来たけれど…
早くも波乱の予感───
ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編
タニマリ
恋愛
野獣のような男と付き合い始めてから早5年。そんな彼からプロポーズをされ同棲生活を始めた。
私の仕事が忙しくて結婚式と入籍は保留になっていたのだが……
予定にはなかった大問題が起こってしまった。
本作品はシリーズの第二弾の作品ですが、この作品だけでもお読み頂けます。
15分あれば読めると思います。
この作品の続編あります♪
『ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編』
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~
けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。
ただ…
トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。
誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。
いや…もう女子と言える年齢ではない。
キラキラドキドキした恋愛はしたい…
結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。
最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。
彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して…
そんな人が、
『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』
だなんて、私を指名してくれて…
そして…
スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、
『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』
って、誘われた…
いったい私に何が起こっているの?
パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子…
たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。
誰かを思いっきり好きになって…
甘えてみても…いいですか?
※after story別作品で公開中(同じタイトル)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる