黒い記憶の綻びたち

古鐘 蟲子

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16.見てはいけないという直感

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 これは大人になってからの話である。

 二十歳になったくらいの頃なので、これを書いている現在からはちょうど十年くらい前の話。


 その頃私は、酒を覚えたてでなおかつ酒に依存していた。

 行きつけのバーがあり、そこで朝まで飲むことが多かった。バーテンさんとは顔馴染みで、バーテンさんがワンオペで店を回しているときに忙しくなると、

「炭酸無くなったから買ってきて」

「牛乳無くなったから頼むわ」

 と、飲みに来ている私にお金を渡し、近所のコンビニまで遣いに走らせたこともしばしばあった。



 その日も、夜が明けきらないくらいの時間帯になって、

「牛乳切らしたから買ってきて」

 とお遣いを頼まれ、私も酔っ払いながらも快諾。

 その街は治安が良いとは言えなかったけれど、私もまだ若かったし、この繁華街にいるキャッチのほとんどは知り合いみたいなもんだったから、そんな時間に一人でほっつき歩くのも怖くはなかった。


 コンビニはバーから歩いて五分ほどのところにある。

 酔った足でルンルンと歩いていく私。

 コンビニの手前の交差点の角には、客待ちの代行が車を停めて待機している。
 繁華街ではよくある光景だった。

 私はその代行の車と建物の間の歩道を歩いていく予定であったが、ふと代行の車の中に目線が移る。

 運転席には、客待ちで飽きて携帯をいじる中年のドライバー。

 代行は通常二人一組で行う業務だから、当然助手席にはもう一人相方が座っている──はずだった。


 助手席に視線を移した私は、一瞬何がどうなっているのかよくわからなかった。

 なんだ──あれ。


 助手席に誰か座っている。けれど、何やら様子がおかしい。

 なんというか、普通ではない。

 言語化出来るまで少し時間がかかった。

 どんどん歩いていくうちに、その違和感の正体に気がつく。


 座高が高い──?

 いや、違う。そういうことでもない。それだけじゃないのだ。

 座席に向かって正座をしている。私が見えているのは顔ではなく、後頭部──坊主の男性の後頭部だったのだ。


「あ──こいつヤバいやつだ」

 ふと、この男性と目を合わせてはいけない。そう感じた。

 運転席のドライバーは何一つ気づいていない様子だが、助手席にいるのは恐らく生きた人間ではないというのが直感的に理解出来た。


 助手席のそれは、座席に向かって正座したまま動かない。近くにきてわかったのは、坊主の男性で白髪まじり、もういい歳で髪は多くない。真っ黒のスーツを着ている。

 私はその代行の車両の横を通り過ぎ、足早にコンビニに入って牛乳を購入。

 戻るときには代行の車自体いなくなっていた。


 そして、その代行が停まっていた場所から周りを見渡してみる。


 ──あぁ。そういうことか。
 納得がいった。

 コンビニの向かい側にあるのは、大きな病院なのだ。

 そしてふと思い至る。

 助手席の彼、その身に纏う黒いスーツ。

 あれは、喪服だった。


 繁華街だから黒服なんていっぱい居るけれど、あのスーツはそういう黒ではない。

 喪服特有の黒だ。そう思った出来事だった。
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