幻獣店

ひつじのはね

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1章 幻獣店のふたり

リーヤの記憶

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俺、なんで師匠のとこにいるんだっけ。リーヤはベッドにうつ伏せて、ぼんやりと考えた。

あの日ぬかるんだ泥の中、もうろうとしながら、こんな寒い中で死ぬのかと思ったんだっけ。抱え上げたその手が、胸が、温かくて心地よくて、もうこれで満足だと思ったんだ。


――次に目を開けたとき、いい匂いがして、温かくて、もう死んじゃったのかなと思った。

「起きたね。いいこだ、ほら、少しでも食べてごらん?」
レリィスは片膝をたてて背もたれにし、リーヤを片腕で抱えるように支えた。されるがままに、リーヤはことんと胸元に寄りかかる。
「どうかな?ほら、お口を開けて」
鼻先に温かく美味しい香りが近づいた。カサカサしたのどがごくりと鳴って、唇に触れたさじを思わず口に含んだ。
「そう、ちゃんと飲み込めるかい?……大丈夫そうだね」
レリィスは、ちょうどドラゴンの子に給餌するように、椀からひとさじひとさじすくっては、ゆっくりと時間をかけてリーヤに食べさせた。どろりとした液状のものは、まさにドラゴンの離乳食のようだ。

「しっかり食べられたね!……もうないよ、今日はおしまい」
ぼんやりとぼやけたままの視界に、はっきりしない思考で、もうない、という言葉が耳に響いた。こんなに美味しいのに、もうないのか……名残惜しくぺろりぺろりと口の周りをなめて、リーヤの視界はまた徐々に狭まっていった。

どのくらいそんな状態だったのかは知らない。
リーヤは、ある日視界がはっきりとして、思考能力が戻って来ているのを感じた。ガバリと起き上がろうとしたけれど、力の入らない身体はそれを許さず、両手で身体を支えてなんとか上半身を起こした。
わずかな動作で荒くなる呼吸……軟弱な自分に腹をたてながら周囲を見回すと、薄暗くシンとした室内に不安が募った。

リーヤが寝かされている部屋は、ごちゃごちゃと様々な物品が雑多に散らばっていた。棚にはリーヤが見たことのない数の分厚い本が並び、高価であろうそれらが無造作に床にまで積まれてあった。
棚や窓辺などおよそ物が置ける場所には全てなにがしか置いてあり、そのどれもが見慣れない物だった。
「なん……だ……ここ……」
呟いた声が随分と掠れて小さいことに驚いて、ケンケンと乾いた咳をする。

その物音で気付かれたのだろうか、無音だった室内に遠くからの靴音が響いた。
リーヤは思わず逃げようと視線を走らせたものの、思うように動かない身体に舌打ちした。
(くそ……どうにでもしやがれ!)
半ば自棄になってばさりと後ろへ倒れ込むと、目を閉じた。

ギィ……

そっと開かれた扉から、軽い靴音と共に誰かが入って来たのを感じる。

ギッ、と大きくベッドが沈み、ふわりと良い香りが漂った。
閉じたまぶた越しに、ふっと影が落ちたのを感じて、緊張が高まる。ことん、と何かをサイドテーブルに置いた音がしたと思った時、するりと首後ろに温かい手が滑りこんできた。思わずビクリとした身体に、リーヤはしまったとほぞを噛んだ。
一方レリィスは、いつもくたりと脱力していた身体に、妙に力が入っていることに驚いてリーヤを覗き込む。
「おや?意識が戻ったかい?」
いつものように頭を支え、そっと背中を起こして抱え込むと、リーヤはそろそろと目を開けた。

「……おはよう、長いお昼寝だったね?」

自分を覗き込む琥珀色の瞳に一片の害意も敵意も読み取れず、向けられた優しい微笑みにただ戸惑って、リーヤは目を伏せた。
「意思がある目だね。良かった……戻ってこられたね、いいこだ」
いいこ……?自分に向けられているとは思えない台詞に、リーヤはますます混乱する。この人はなにか勘違いをしているのだろうか。意を決して顔を上げた時、大きな手がそっとリーヤの頭を撫でた。
「長いこと眠っていたからね、ゆっくり色々考えるといいよ。ほら、ごはん食べるかい?目が覚めたなら、もう少ししっかりしたものにしていかなきゃね」
よいしょと抱えなおされ、あまりに近い距離に、リーヤは再びぎくりと身体を固くした。
「さあ、この調子だともう物足りないかな?」
鼻歌でも歌いそうな調子で、レリィスはリーヤの口元へ匙を近づけた。鼻腔をくすぐる心地よい香りに、反射的に口を開けそうになって赤面する。
「い……いって!自分、で……」
顔をそむけて精一杯の抵抗をすると、レリィスはくすくすと笑った。
「そう?じゃあ自分で食べられるかな?」
食べられるに決まってる!むっとして匙と器を受け取ろうとした所で、ままならない自分の身体に愕然とする。匙をもつ手さえ震える始末で、中身の入った器など支えられるはずもなかった。

「……!」
イライラとした様子に、レリィスがぐっとベッドへ乗り上げ、自分の足の間にリーヤを座らせた。背中から抱え込まれるような姿勢に、面食らったリーヤがレリィスの大きな身体を押しのけようとする。
「おっと、こぼれちゃうよ。自分で食べてごらん、できるから。ちょっと手伝うだけだよ」
よしよしと撫でられて、まるで幼児にでもなったようだとリーヤはふて腐れた。
両方の手に大きな手が添えられ、リーヤの動きに沿って補助を入れる。さっきまでの不自由さは消え、不本意ながら食べやすいと思ってしまったことで、リーヤはさらに仏頂面になった。

「ほら、もう自分でできるんじゃない?」
ゆっくりと時間をかけて半分ほど食べたところで、右手の補助が消えた。さじを持つ手は頼りないけれど、徐々に以前の感覚を取り戻しつつあるようだ。
丁寧に底までこそげるようにして椀を空にすると、もうないのかと背後を振り返った。
「ふふっ、しっかり食べられてるね。次はもう少し固形食にしようね、今はまだこれだけだよ」
ぽんぽんと頭に手を置かれ、リーヤはがっかりとして器を見つめた。味の付いた温かい飯……どれほどぶりだろうか、その美味さで一口ごとに身体の隅々に力が戻ってくる気さえした。


それから、もどかしくなるほど少しずつ食事の形態は向上し、普通の食事になった頃には、リーヤは自由に動き回れるようになっていた。
彼を拾った変わり者の青年は、心配になるほどのんびりとして、そして綺麗だった。
リーヤは当初、なぜ自分を助けたのかと勘ぐっていたけれど、色々な幻獣を拾ってきては世話する姿を見て、自分もその一環だったのだろうとどこか複雑な心境になった。
「そこらの幻獣より、俺の方が役にたつだろ!」
いつしか拾ってきた幻獣たちと張り合うように、リーヤは自分にできることを探し始めた。

「師匠!俺がやるって言ってんのに!」
「そう?じゃあお願いしようかな」
漂ってきたいい香りに、リーヤが慌ててキッチンへ駆け込むと、案の定レリィスが鍋をかき混ぜている所だった。いつの間にか『師匠』と呼ばれるようになったレリィスは、両手を挙げてその場を譲る。
「やっぱり……師匠、これじゃ1人分しかないじゃん!」
「あ、そっか。リーヤの分しか考えてなかったねえ」
きょとんとして笑うレリィスに、リーヤの額に青筋が立った。
「だから!俺にばっか食わせねーでちゃんと自分のことを考えろっつってんじゃん!」
「えーと、ありがとう?でもぼく、そんなにお腹空かないからね」

だからそんなに細いんだ!とプリプリしながら乱暴に鍋をかきまぜる姿に、レリィスはくすりと笑って目を細めた。



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