54 / 61
四章 夏
赤色
しおりを挟む
時間を掛けてレンズを覗き込み、ゆっくりとボタンを押した。カシャっとした音を鳴らし、カメラを膝の上に置く。
「どう? 何か変わった?」
僕の質問も受け取らず、周囲を見渡す。そして、首を横に振った。
「ううん、何も変わってない」
予想は外れていたようだ。どこか安心したように大きく息を吐く彩音は、水を飲みたいと言って塀から降りた。撮られた写真を確認しながら、僕もその後を追う。
しばらく日陰で海を眺めた後は、足を水道場で洗い、ロッカーから荷物を取り出して駅へと向かう。初めての海の感想を聞きながら、僕は最後の色についてばかり考えていた。
「今日は青色を堪能できたってことで、赤色はまたいつかゆっくり見つけよう」
「そうだね」
返事をして、長い道のりでカメラの中に収まる想い出を眺めながら、電車で自宅付近へと運ばれる。とある駅で浴衣姿の女性が車内に乗り込んだ。
「……綺麗」
彩音は見惚れているようだった。
「お祭りでもあるのかな」
僕はスマホの画面を開く。ネットで調べると、家からそこまで遠くない場所で花火大会が開かれるようだ。
「僕らも行こう」
「え? 私、浴衣は持ってないし……」
「浴衣は必ず着なきゃいけないものじゃないから大丈夫だよ。それに、来年とかにでも浴衣を買ってまた行こう」
彩音は嬉しそうに頷いた。数駅を跨いでいる間にだんだんと太陽は今日の役割を終え始めている。代わりとして、地球に齧られたようにほとんど欠けた月が顔を覗かせている。人も随分と増え、僕らは電車から駅のホームに乗り移る。一斉に降りた人の群れは僕らの距離を自然と近づけた。
「逸れないようにね」
「大丈夫だよ、貴方、わかりやすいもの」
どこにいても見つけ出してくれそうな安心感のある一言に、思わず吹き出してしまう。
改札から鳴る高い音の数だけ、人の量を示していた。駅の壁に沿って流れに身を任せ、会場へと向かう。道を占領する人々を見て、まるで川の上の花びらみたい、と彩音は笑っていた。路肩に佇む木の腹にしがみ付くアブラゼミがやけにうるさいと感じた。そんなことに意識が向いていたせいか、袖に何かが止まるような感覚に、大袈裟に驚いてしまった。
「やっぱり逸れそうだから、ここ掴んでるね」
Tシャツの一部を、細長い指先で摘む彩音の右手だった。汗臭くないかが少し心配だ。下駄が足元から這い上がってくるような音と、道中の店から漂う焼きものの匂いが混ざり合い、夏の存在を改めさせられる。
駅から二十分ほどで、会場へと辿り着いた。既に人が公園から溢れ返りそうなほどの威圧感に、僕は若干嫌気が差していた。
「大丈夫?」
一つ尋ね、頷いただけの返事をもらう。屋台の並ぶ道を歩いていると、袖を引っ張られる感覚が右腕に走った。
「見て。あれ、積乱雲じゃない?」
指先で示された方向を向くと、カナリアイエローのシロップのかけられたかき氷を口にする子どもが近くを歩いている。
「かき氷だよ。夏といえば、って感じ」
ふーん、と言い目を離さない彩音を横に、僕は屋台の前で立ち止まる。
「どう? 何か変わった?」
僕の質問も受け取らず、周囲を見渡す。そして、首を横に振った。
「ううん、何も変わってない」
予想は外れていたようだ。どこか安心したように大きく息を吐く彩音は、水を飲みたいと言って塀から降りた。撮られた写真を確認しながら、僕もその後を追う。
しばらく日陰で海を眺めた後は、足を水道場で洗い、ロッカーから荷物を取り出して駅へと向かう。初めての海の感想を聞きながら、僕は最後の色についてばかり考えていた。
「今日は青色を堪能できたってことで、赤色はまたいつかゆっくり見つけよう」
「そうだね」
返事をして、長い道のりでカメラの中に収まる想い出を眺めながら、電車で自宅付近へと運ばれる。とある駅で浴衣姿の女性が車内に乗り込んだ。
「……綺麗」
彩音は見惚れているようだった。
「お祭りでもあるのかな」
僕はスマホの画面を開く。ネットで調べると、家からそこまで遠くない場所で花火大会が開かれるようだ。
「僕らも行こう」
「え? 私、浴衣は持ってないし……」
「浴衣は必ず着なきゃいけないものじゃないから大丈夫だよ。それに、来年とかにでも浴衣を買ってまた行こう」
彩音は嬉しそうに頷いた。数駅を跨いでいる間にだんだんと太陽は今日の役割を終え始めている。代わりとして、地球に齧られたようにほとんど欠けた月が顔を覗かせている。人も随分と増え、僕らは電車から駅のホームに乗り移る。一斉に降りた人の群れは僕らの距離を自然と近づけた。
「逸れないようにね」
「大丈夫だよ、貴方、わかりやすいもの」
どこにいても見つけ出してくれそうな安心感のある一言に、思わず吹き出してしまう。
改札から鳴る高い音の数だけ、人の量を示していた。駅の壁に沿って流れに身を任せ、会場へと向かう。道を占領する人々を見て、まるで川の上の花びらみたい、と彩音は笑っていた。路肩に佇む木の腹にしがみ付くアブラゼミがやけにうるさいと感じた。そんなことに意識が向いていたせいか、袖に何かが止まるような感覚に、大袈裟に驚いてしまった。
「やっぱり逸れそうだから、ここ掴んでるね」
Tシャツの一部を、細長い指先で摘む彩音の右手だった。汗臭くないかが少し心配だ。下駄が足元から這い上がってくるような音と、道中の店から漂う焼きものの匂いが混ざり合い、夏の存在を改めさせられる。
駅から二十分ほどで、会場へと辿り着いた。既に人が公園から溢れ返りそうなほどの威圧感に、僕は若干嫌気が差していた。
「大丈夫?」
一つ尋ね、頷いただけの返事をもらう。屋台の並ぶ道を歩いていると、袖を引っ張られる感覚が右腕に走った。
「見て。あれ、積乱雲じゃない?」
指先で示された方向を向くと、カナリアイエローのシロップのかけられたかき氷を口にする子どもが近くを歩いている。
「かき氷だよ。夏といえば、って感じ」
ふーん、と言い目を離さない彩音を横に、僕は屋台の前で立ち止まる。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
じれったい夜の残像
ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、
ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。
そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。
再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。
再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、
美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる