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四章 夏
砂色
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「どうして?」
不思議な顔で僕を見上げ、疑問をぶつけられている隙に、波は先ほどよりも高くなって僕らの足元を襲う。
「わっ!」
と、反射的に勢いよく立ち上がった彩音は、水の勢いと不安定な足場で体をよろめかせる。
「ね、海は気まぐれなんだ」
ふらふらとバランスを取るためにあちこちへと行き場を探す腕を掴み、僕は照れ隠しからか臭い台詞が口から出ていた。羞恥心から、目を逸らしてしまう。彩音は僕を見て、無邪気な笑顔を作った。不自然なほど綺麗なその表情に、僕は惹かれていたのかもしれない。
「あはは! 広いし、青だし、暑いけど冷たいし、気まぐれだし、海ってすごいね!」
初めて出会ったときは、こんな表情ができるなどと思ってもおらず、無感情な顔つきだったなと、不意に思い出す。
「あと、もう大丈夫だよ。ありがとう」
指先で掴んでいた彩音の手のひらをパッと離す。僕は目のやり場に困る。
「行こう。このまま水の上を歩いてみたい」
僕よりも十歩ほど先を歩く後ろ姿を撮り、同じペースで後を追う。波によって足音も消え、代わりに水を割く音に変わる。両手を後ろで組んでゆっくりと進む後ろ姿から、僕は目を離せずにいた。
「見て! あの雲、なんて雲かな? すごいフワフワで寝心地が良さそう!」
左手の人差し指をまっすぐと向ける方には、大きな、とても大きな積乱雲ができていた。どこまでも高く、雲の影が雲の中にできている。海上に現れたその存在は海にも負けないほどに雄大だ。カメラに収める姿を見られていたようで、僕は呆れられた溜め息を吐かれる。
「まーたカメラばっかり。直接見るのが良いんじゃない」
「うん、ただ彩音と一緒のときにしかこれは使わないから、想い出として一緒に見たものを残しておきたいんだ」
ふーん、と言いながら僕に近づき、隣に着く。
「じゃあ隣合わせで、同じ場所から同じ景色を見れば、ふたりで覚えられるし良いんじゃない?」
気がつくと、走っているわけでもないのに心拍数が上がっていた。太陽にうなじをジリジリと焼き付けられる感覚に、体が驚いてしまっているのだろうと、適当な理由を自分に聞かせた。カメラを手放し、再び肩から斜めにぶら下げる。
一面に広がる青空、潮を運ぶ海風、足元をふらつかせる優しげな冷たい波、水をかき混ぜる音、不自然なほど鼻の奥を刺激する磯の香り、その全てが愛おしく、脆かった。僕らの間に存在する沈黙が、それら全てを生み出しているようだった。
不意に、彩音がしゃがみ込む。
「どうしたの?」
人差し指を海水につけ、立ち上がる。
「海の水はしょっぱいって聞いたことあるんだけど、本当?」
「本当だよ」
僕の返事を受け取るように、彩音はその指を舐めた。
不思議な顔で僕を見上げ、疑問をぶつけられている隙に、波は先ほどよりも高くなって僕らの足元を襲う。
「わっ!」
と、反射的に勢いよく立ち上がった彩音は、水の勢いと不安定な足場で体をよろめかせる。
「ね、海は気まぐれなんだ」
ふらふらとバランスを取るためにあちこちへと行き場を探す腕を掴み、僕は照れ隠しからか臭い台詞が口から出ていた。羞恥心から、目を逸らしてしまう。彩音は僕を見て、無邪気な笑顔を作った。不自然なほど綺麗なその表情に、僕は惹かれていたのかもしれない。
「あはは! 広いし、青だし、暑いけど冷たいし、気まぐれだし、海ってすごいね!」
初めて出会ったときは、こんな表情ができるなどと思ってもおらず、無感情な顔つきだったなと、不意に思い出す。
「あと、もう大丈夫だよ。ありがとう」
指先で掴んでいた彩音の手のひらをパッと離す。僕は目のやり場に困る。
「行こう。このまま水の上を歩いてみたい」
僕よりも十歩ほど先を歩く後ろ姿を撮り、同じペースで後を追う。波によって足音も消え、代わりに水を割く音に変わる。両手を後ろで組んでゆっくりと進む後ろ姿から、僕は目を離せずにいた。
「見て! あの雲、なんて雲かな? すごいフワフワで寝心地が良さそう!」
左手の人差し指をまっすぐと向ける方には、大きな、とても大きな積乱雲ができていた。どこまでも高く、雲の影が雲の中にできている。海上に現れたその存在は海にも負けないほどに雄大だ。カメラに収める姿を見られていたようで、僕は呆れられた溜め息を吐かれる。
「まーたカメラばっかり。直接見るのが良いんじゃない」
「うん、ただ彩音と一緒のときにしかこれは使わないから、想い出として一緒に見たものを残しておきたいんだ」
ふーん、と言いながら僕に近づき、隣に着く。
「じゃあ隣合わせで、同じ場所から同じ景色を見れば、ふたりで覚えられるし良いんじゃない?」
気がつくと、走っているわけでもないのに心拍数が上がっていた。太陽にうなじをジリジリと焼き付けられる感覚に、体が驚いてしまっているのだろうと、適当な理由を自分に聞かせた。カメラを手放し、再び肩から斜めにぶら下げる。
一面に広がる青空、潮を運ぶ海風、足元をふらつかせる優しげな冷たい波、水をかき混ぜる音、不自然なほど鼻の奥を刺激する磯の香り、その全てが愛おしく、脆かった。僕らの間に存在する沈黙が、それら全てを生み出しているようだった。
不意に、彩音がしゃがみ込む。
「どうしたの?」
人差し指を海水につけ、立ち上がる。
「海の水はしょっぱいって聞いたことあるんだけど、本当?」
「本当だよ」
僕の返事を受け取るように、彩音はその指を舐めた。
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