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四章 夏
アップルグリーン色
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僕は財布だけを片手に、玄関から彩音に手招きをする。テレビもつけたまま扉の鍵を閉め、僕らは雨跡で街灯の光を反射させている坂を、遅いペースで下る。雨がいつの間にか止んでいたことを、坂の途中で思い出す。シトシトと電線や住宅の屋根から水が落下する音だけが鼓膜を揺らす。いつもなら十分もかからない道に十五分かけ、僕らはコンビニに到着した。
「ここだよ」
「コンビニ? 何か足りないものでもあった?」
店内に入る直前で、ある忘れ物に気づく。上着を貸してと言いつつ、自分の纏ったパーカーのファスナーを下ろす。
「はい、帽子はないけど、これならフードがあるから」
僕らは上着を交換し、店内へ足を踏み入れた。自分とは違う匂いが体から放たれているのが、少し違和感だった。若い店員の挨拶を流すように受け、僕はオレンジ色のカゴを持つ。お菓子コーナーへと直行し、スナック菓子とポップコーンを一袋放り入れる。
「あとは……デザートかな」
スタスタと店内を巡る僕の後ろを彩音はただ着いて回る。手のひらサイズのシュークリームが詰め合わされたものをカゴに入れ、彩音はどれが良いのかと尋ねる。
「私、お財布持ってきてない……」
「泊まってもらうんだから、僕が出すよ」
彩音は黙って首を横に振る。
「大丈夫だよ。今日だけだから、遠慮しないで」
「……ごめんね。ありがとう」
お金の管理をしっかりとできているのも、彩音の良いところだ。しかし恐縮そうな表情を浮かべているのを見て、胸がちくりと痛んだ。
棒アイス二つをカゴに入れ、レジを通した。お店を出るとひんやりとした空気が僕らを包む。
「寒いね……上着返すよ。こっちの方が暖かいだろうし」
ジージャンを脱ごうとする僕の腕は、掴まれて止められる。思わずその先に目が誘われた。
「大丈夫。こっちがいい」
そう言うならいいけど、と一言だけ放って、僕らは道を確かめるように戻る。狭い割には車通りの多い道をゆっくりと歩き、後ろからモーターのような音が浮いて聞こえてくる。それが気になり、思わず振り返る。
「あ、モノレール」
中央線の代わりとして空中に敷かれたレールの上を列車が滑り、僕らを追い越していく。それを支える柱は整列させられていて、ずらりと無限に続いているようだった。
「あのモノレール、すごいよね。空中を走っているみたいで」
上を見上げる彩音の横顔はいつもにも増してとても綺麗だった。鼻筋が通っており、アルビノでなければきっとアイドルや女優になっていてもおかしくないと、そう思う。
錆びついたような小さな橋を渡り、狭い歩道を占領するように並んで歩く。この時間ともなると、裏道にほとんど人や車は存在していなかった。曲がり角を反射させるカーブミラー、途切れ途切れの薄汚いガードレール、クリーニング屋のシャッターに描かれた跳ねる鯨の絵、全てが僕らのためにあるものとさえ感じるほどだ。
「こんな生活も、悪くないのかもね」
沈黙が彩音の声によって消された。僕はその意味を尋ねる。
「ここだよ」
「コンビニ? 何か足りないものでもあった?」
店内に入る直前で、ある忘れ物に気づく。上着を貸してと言いつつ、自分の纏ったパーカーのファスナーを下ろす。
「はい、帽子はないけど、これならフードがあるから」
僕らは上着を交換し、店内へ足を踏み入れた。自分とは違う匂いが体から放たれているのが、少し違和感だった。若い店員の挨拶を流すように受け、僕はオレンジ色のカゴを持つ。お菓子コーナーへと直行し、スナック菓子とポップコーンを一袋放り入れる。
「あとは……デザートかな」
スタスタと店内を巡る僕の後ろを彩音はただ着いて回る。手のひらサイズのシュークリームが詰め合わされたものをカゴに入れ、彩音はどれが良いのかと尋ねる。
「私、お財布持ってきてない……」
「泊まってもらうんだから、僕が出すよ」
彩音は黙って首を横に振る。
「大丈夫だよ。今日だけだから、遠慮しないで」
「……ごめんね。ありがとう」
お金の管理をしっかりとできているのも、彩音の良いところだ。しかし恐縮そうな表情を浮かべているのを見て、胸がちくりと痛んだ。
棒アイス二つをカゴに入れ、レジを通した。お店を出るとひんやりとした空気が僕らを包む。
「寒いね……上着返すよ。こっちの方が暖かいだろうし」
ジージャンを脱ごうとする僕の腕は、掴まれて止められる。思わずその先に目が誘われた。
「大丈夫。こっちがいい」
そう言うならいいけど、と一言だけ放って、僕らは道を確かめるように戻る。狭い割には車通りの多い道をゆっくりと歩き、後ろからモーターのような音が浮いて聞こえてくる。それが気になり、思わず振り返る。
「あ、モノレール」
中央線の代わりとして空中に敷かれたレールの上を列車が滑り、僕らを追い越していく。それを支える柱は整列させられていて、ずらりと無限に続いているようだった。
「あのモノレール、すごいよね。空中を走っているみたいで」
上を見上げる彩音の横顔はいつもにも増してとても綺麗だった。鼻筋が通っており、アルビノでなければきっとアイドルや女優になっていてもおかしくないと、そう思う。
錆びついたような小さな橋を渡り、狭い歩道を占領するように並んで歩く。この時間ともなると、裏道にほとんど人や車は存在していなかった。曲がり角を反射させるカーブミラー、途切れ途切れの薄汚いガードレール、クリーニング屋のシャッターに描かれた跳ねる鯨の絵、全てが僕らのためにあるものとさえ感じるほどだ。
「こんな生活も、悪くないのかもね」
沈黙が彩音の声によって消された。僕はその意味を尋ねる。
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