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三章 春
緑色
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「訊いといて悪いんだけど、たまには公園とかでゆっくりしたいな」
桜の花びらが頬に付着する感覚があった。そして、彩音のパーカーの中へと入り込んでいくのが見えた。フードの中に隠れたそれは、家に帰るまでわからないだろうな。などと関係のなことを考える。
「それもいいけど、あの川の写真を撮れば、この桜の色が見えるようになるかもしれないんだ。公園はまた別の日でも行けるけど、桜はこの時期にしか咲かないんだよ」
彩音のムスッとした表情を見るのは初めてだった。僕はその心情がわからない。
「どうしても今日じゃなきゃダメなの?」
「今日行けば、何か変わるかもしれない。そこは行ってみないとわからないけれど、早く彩音に色を見せたいんだ」
移動をやめ、足音のなくなった一瞬がとても長く感じた。
「色が見えなければ、桜は楽しめないの?」
「そうじゃないけど、色があれば本来の楽しさを感じると思うんだ」
「じゃあ私は今、全然楽しめてないってこと?」
僕は言い返す言葉が見当たらない。
「貴方、今日どこかおかしいよ」
その一言で、喉の奥から怒りのような本音が飛び出した。僕は何か、追ってもきていない何かに迫られているような心持ちだった。
「僕は早く君に色を知ってもらいたいんだよ」
「どうしてそんなに必死なの? もっとゆっくり時間をかけてもいいじゃない」
橋の上を自動車が通る。真下にいた僕たちは会話が一時的に止まる。
「春は一瞬で終わっちゃうんだ。彩音だって色を知りたくないの?」
向いていた背中はくるりと回転し、彩音は僕と向き合って話を続ける。日光の届かないこの場所は、お互いの顔が認識しづらい。
「なんだか、私が不幸みたいな言い方ね。私が色を全て見えるようになれば、満足するのは貴方じゃないの? 私は今色が見えなくたって、貴方といればそれで楽しかった」
言い返すこともできずに、視線の行き場がわからなくなった。
「桜の色を知らなくたって、桜を見上げて笑う貴方を眺めていたくって、これを作ってきたのに」
彩音は僕の胸にトートバッグを押し付ける。震えそうな手で受け取り、その中身を広げて確認した。
「これ……」
中にはレジャーシートと、巾着に包まれた箱のようなものが入っていた。
「色がわからないなりに、私は楽しもうと思ってた。けれど貴方は、どこか自分の好きなものを見せるのに必死になっている」
「違う……僕は……!」
喉の奥に言葉が詰まる。
「私は色がなくたって、貴方といる時間を大切にしたいと思ってたよ。今日、私がいつもより荷物が多いことにも気づいてなかったでしょ」
彩音は僕から視線を外して、川の上を流れるそれに目を逸らした。何も言えない僕に、続けて話す。
「ごめんなさい、今日はもう帰るね。少し、会うのも控えよう……。それはすぐには返さなくていいから。せっかくの春なのに、ごめん」
僕の横を通り過ぎて、歩いてきた道のりを足早に戻って行く後ろ姿を、僕は眺めることしかできなかった。僕からではない、鼻を啜る音が橋に反響して大きく聞こえた。追いかけようとするが、足がすくんで思うように動かせなかった。そんな自己防衛の言い訳で、僕は立ち尽くしたままだった。
見慣れた背中が階段を上り、川沿いの道から外れてその姿が見えなくなっても、俯いた僕は身体が硬直してしまったままだった。どのくらい立ち尽くしていたのかはわからないが、ふと気がつくと歩いていて、俯いたまま道を進むと散った桜しか眺めることができないのだと初めて知った。そしてしばらくして、僕は公園にたどり着いた。石に掘られた公園の名前は酸性雨の影響で汚れが目立っていた。砂場とブランコと滑り台、そして水道だけの質素な公園だ。
桜の花びらが頬に付着する感覚があった。そして、彩音のパーカーの中へと入り込んでいくのが見えた。フードの中に隠れたそれは、家に帰るまでわからないだろうな。などと関係のなことを考える。
「それもいいけど、あの川の写真を撮れば、この桜の色が見えるようになるかもしれないんだ。公園はまた別の日でも行けるけど、桜はこの時期にしか咲かないんだよ」
彩音のムスッとした表情を見るのは初めてだった。僕はその心情がわからない。
「どうしても今日じゃなきゃダメなの?」
「今日行けば、何か変わるかもしれない。そこは行ってみないとわからないけれど、早く彩音に色を見せたいんだ」
移動をやめ、足音のなくなった一瞬がとても長く感じた。
「色が見えなければ、桜は楽しめないの?」
「そうじゃないけど、色があれば本来の楽しさを感じると思うんだ」
「じゃあ私は今、全然楽しめてないってこと?」
僕は言い返す言葉が見当たらない。
「貴方、今日どこかおかしいよ」
その一言で、喉の奥から怒りのような本音が飛び出した。僕は何か、追ってもきていない何かに迫られているような心持ちだった。
「僕は早く君に色を知ってもらいたいんだよ」
「どうしてそんなに必死なの? もっとゆっくり時間をかけてもいいじゃない」
橋の上を自動車が通る。真下にいた僕たちは会話が一時的に止まる。
「春は一瞬で終わっちゃうんだ。彩音だって色を知りたくないの?」
向いていた背中はくるりと回転し、彩音は僕と向き合って話を続ける。日光の届かないこの場所は、お互いの顔が認識しづらい。
「なんだか、私が不幸みたいな言い方ね。私が色を全て見えるようになれば、満足するのは貴方じゃないの? 私は今色が見えなくたって、貴方といればそれで楽しかった」
言い返すこともできずに、視線の行き場がわからなくなった。
「桜の色を知らなくたって、桜を見上げて笑う貴方を眺めていたくって、これを作ってきたのに」
彩音は僕の胸にトートバッグを押し付ける。震えそうな手で受け取り、その中身を広げて確認した。
「これ……」
中にはレジャーシートと、巾着に包まれた箱のようなものが入っていた。
「色がわからないなりに、私は楽しもうと思ってた。けれど貴方は、どこか自分の好きなものを見せるのに必死になっている」
「違う……僕は……!」
喉の奥に言葉が詰まる。
「私は色がなくたって、貴方といる時間を大切にしたいと思ってたよ。今日、私がいつもより荷物が多いことにも気づいてなかったでしょ」
彩音は僕から視線を外して、川の上を流れるそれに目を逸らした。何も言えない僕に、続けて話す。
「ごめんなさい、今日はもう帰るね。少し、会うのも控えよう……。それはすぐには返さなくていいから。せっかくの春なのに、ごめん」
僕の横を通り過ぎて、歩いてきた道のりを足早に戻って行く後ろ姿を、僕は眺めることしかできなかった。僕からではない、鼻を啜る音が橋に反響して大きく聞こえた。追いかけようとするが、足がすくんで思うように動かせなかった。そんな自己防衛の言い訳で、僕は立ち尽くしたままだった。
見慣れた背中が階段を上り、川沿いの道から外れてその姿が見えなくなっても、俯いた僕は身体が硬直してしまったままだった。どのくらい立ち尽くしていたのかはわからないが、ふと気がつくと歩いていて、俯いたまま道を進むと散った桜しか眺めることができないのだと初めて知った。そしてしばらくして、僕は公園にたどり着いた。石に掘られた公園の名前は酸性雨の影響で汚れが目立っていた。砂場とブランコと滑り台、そして水道だけの質素な公園だ。
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