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二章 冬
雄黄色
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「本当だね。隣、いい?」
頷く横顔を見て、僕はベンチに腰掛ける。ふたりだけの世界に、誰もいないように思える。会話はないが、気まずさも感じない。沈黙が肯定される場所だった。
「ここの公園は、何て言うの?」
僕は気になって、彩音に尋ねる。
「わからない。私も初めてここにきたの」
みはらしの良いこの場所は駐車場もなさそうで、アクセスが悪いためか、人もあまりこなさそうだ。
「そうなんだ。正面の木がなければ、きっともっと良く見えるのにね」
僕らが目を向ける先には、悪意のない木々が夜景を隠してしまっている。せっかくベンチもあり、長居するには良さそうな場所なのにな、と考えてしまう。
「あっち側」
彩音が指を差す方に目を向ける。
「階段があるの。まだもっと上から見られるのかもしれない」
「行ってみようか」
僕らは膝を伸ばして立ち上がり、少し急な階段をゆっくりと重い足を持ち上げて進む。
「大丈夫?」
振り返って彩音の手を引く。うん、の二文字の返事をもらって隠れた通り道のような箇所に出た。崖のような場所に、腰下くらいの高さの柵が敷かれている。そして、息をも忘れる。まさに星空と大地が入れ替わったような景色だった。パノラマの一面に広がる家々と街灯。遠くに見えるマンションや工場の銀河を表すような光の束。天の川のように街を分裂させる大通りを通る車のヘッドライト。
「あそこの大通り、見て。この夜景の中で一番目立ってる」
僕はふと思い出したことがあり、スマホで時間を確認する。十二時を回る、十分前だった。
「あの道の先には、どんな街があるんだろう」
「人の住む街、もう嫌じゃないの?」
うん、とそれだけをもらう。冷たく、草木の香りを含んだ風が吹く。マフラーに顎を鎮める。彩音はブルブルと体を一瞬震わせた。
「今日、マフラーは?」
僕は彩音がいつもの秋色のマフラーをしていないことに、ようやく気がついた。
「忘れちゃったの。家を出るときに別のことを考えていて」
「珍しいね。いつもしっかりしてるのに」
止まない風が、遠回しに僕らを無理に退かそうとしているようだった。
「……え?」
「寒そうだから」
マフラーを彩音の首元に巻くと、不思議そうな表情を向けられた。照れ臭さは合ったが、寒そうにしている人を横に、何もしない方が僕は居心地が悪かった。そう自分に言い聞かせる。
「僕、暑がりだから」
そう言ってくしゃみをする僕に、彩音は微笑していた。首元に何か巻くものがあるのとないのでは、こんなにも違うのかと噛み締める。大きく見渡すように顔を逸らした。すると僕の顔に向けて、手が伸ばされた。
「こうすればいいんじゃない?」
マフラーを首に巻き直され、隣を振り向く。微笑んだせいで少し細くなったその目が寒さを忘れさせる。ふたりで同じものを使うにしては、このマフラーは短すぎたようだ。僕の右腕に、彩音の左肩が触れている。僕らはしばらくそのまま、何もしないで時間を流した。ただ同じものを見ているだけの時間がたまらなく愛おしく感じた。
「寒くない?」
「大丈夫だよ」
僕の問いに、深い意味もない返事だけがくる。ポケットのスマホが、存在を知らせるように震えた。
「誰からだろう」
頷く横顔を見て、僕はベンチに腰掛ける。ふたりだけの世界に、誰もいないように思える。会話はないが、気まずさも感じない。沈黙が肯定される場所だった。
「ここの公園は、何て言うの?」
僕は気になって、彩音に尋ねる。
「わからない。私も初めてここにきたの」
みはらしの良いこの場所は駐車場もなさそうで、アクセスが悪いためか、人もあまりこなさそうだ。
「そうなんだ。正面の木がなければ、きっともっと良く見えるのにね」
僕らが目を向ける先には、悪意のない木々が夜景を隠してしまっている。せっかくベンチもあり、長居するには良さそうな場所なのにな、と考えてしまう。
「あっち側」
彩音が指を差す方に目を向ける。
「階段があるの。まだもっと上から見られるのかもしれない」
「行ってみようか」
僕らは膝を伸ばして立ち上がり、少し急な階段をゆっくりと重い足を持ち上げて進む。
「大丈夫?」
振り返って彩音の手を引く。うん、の二文字の返事をもらって隠れた通り道のような箇所に出た。崖のような場所に、腰下くらいの高さの柵が敷かれている。そして、息をも忘れる。まさに星空と大地が入れ替わったような景色だった。パノラマの一面に広がる家々と街灯。遠くに見えるマンションや工場の銀河を表すような光の束。天の川のように街を分裂させる大通りを通る車のヘッドライト。
「あそこの大通り、見て。この夜景の中で一番目立ってる」
僕はふと思い出したことがあり、スマホで時間を確認する。十二時を回る、十分前だった。
「あの道の先には、どんな街があるんだろう」
「人の住む街、もう嫌じゃないの?」
うん、とそれだけをもらう。冷たく、草木の香りを含んだ風が吹く。マフラーに顎を鎮める。彩音はブルブルと体を一瞬震わせた。
「今日、マフラーは?」
僕は彩音がいつもの秋色のマフラーをしていないことに、ようやく気がついた。
「忘れちゃったの。家を出るときに別のことを考えていて」
「珍しいね。いつもしっかりしてるのに」
止まない風が、遠回しに僕らを無理に退かそうとしているようだった。
「……え?」
「寒そうだから」
マフラーを彩音の首元に巻くと、不思議そうな表情を向けられた。照れ臭さは合ったが、寒そうにしている人を横に、何もしない方が僕は居心地が悪かった。そう自分に言い聞かせる。
「僕、暑がりだから」
そう言ってくしゃみをする僕に、彩音は微笑していた。首元に何か巻くものがあるのとないのでは、こんなにも違うのかと噛み締める。大きく見渡すように顔を逸らした。すると僕の顔に向けて、手が伸ばされた。
「こうすればいいんじゃない?」
マフラーを首に巻き直され、隣を振り向く。微笑んだせいで少し細くなったその目が寒さを忘れさせる。ふたりで同じものを使うにしては、このマフラーは短すぎたようだ。僕の右腕に、彩音の左肩が触れている。僕らはしばらくそのまま、何もしないで時間を流した。ただ同じものを見ているだけの時間がたまらなく愛おしく感じた。
「寒くない?」
「大丈夫だよ」
僕の問いに、深い意味もない返事だけがくる。ポケットのスマホが、存在を知らせるように震えた。
「誰からだろう」
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