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二章 冬
朱色
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「灰色の建物が、地球という魚の鱗。だとするとこの焼けたような濃いイチョウみたいな色の空は、海みたい」
僕には持ち合わせていない想像力だった。知る世界が違うだけで、こんなにも見え方が異なっていることに衝撃を受ける。僕は一枚、写真を撮る。
十二月の空模様。僕らはガラスの前から離れずに太陽が沈み切るのを見送り、新月に限りなく近い月が現れ始めていた。
ビルの表面から漏らす蛍光灯の光が星空の灯りを上書きし、地球の鱗と言われたそれらは全てを否定し、自己主張の強いものとなっている。遠くにうっすらと形を見せる山は輪郭を時間と共に暗く消し、気がつくと僕らはそこに一時間近くも立っていたようだ。人もだんだんと増え始め、随分と騒がしくなっていた。
「そろそろ行こうか。次は、この真下だ」
「この下? あー、そういえばクリスマスツリーがあったね」
この建物に上がる前、僕らの身長を優に越すツリーがあり、色の心配もする必要はなさそうだった。再びエレベータで地上へと、僕らは暖房の効いた建物から冷え込んだ外へと出た。人の多さに若干引きつつも、僕らが目にしたものは、とても高く、圧倒的な存在感を放つシャンデリアだ。白に近い、暖く純粋な灯火のような光をキラキラと輝かせ、人々を注目させていた。
「すごい……ねぇ、こんなすごいところにいてもいいの?」
感動と同時に不安をぶつけられ、僕は軽く笑った後に言葉を返した。
「うん、ここは誰でもいていいところだから、安心して。それに、今日はせっかくのクリスマスイブなんだから、みんなにとって特別な日にならなくちゃ」
胸のモヤモヤした気持ちがなくなったように彩音は口角をあげて、再び顔を覗かせる。この笑顔を作ることができて、僕はどこかほっとした。
「じゃあ、もっとクリスマスらしいものを見に行こう。すぐそこだから」
シャンデリアの写真を撮ってからそう言う。キョトンとした表情を向けた後、瞼を大きく開く動作が僕に思い出したと伝えてくれた。
「うん、この先にあるよ」
豪華なレッドカーペットのような道の先に指を差すと、緩やかな上り坂の上には既にその先端がチラリと見えている。キラキラと飾られた植木に道を譲られているような気分だった。ゆっくりと当たりを見渡しながら上り着いた広場には、昼間とは見違えるほどに美しく眩しいクリスマスツリーが人々に幸せを分けている。
写真を撮る人達、寄り添い合う人達、ただ茫然とツリーを眺める人達、それぞれに大切な人がいて、人生があって、僕もそれのたった一つに過ぎない。そんなことを思う。
「ねぇ?」
袖を引っ張る白い姿が、隣に映る。
「どうしたの?」
「……今日はありがとう。こんな素敵なもの、初めて目にした」
瞳に反射する鮮やかな金色のネオンと、マフラーに隠しきれていない赤らんだ頬に、魅了させられているようだった。
「それなら良かった。僕にとっても、すごく良い日になった」
「……クリスマスなんて、関係ないものだと思ってた。どんな行事なのかも知らないまま大人になって、知らないまま消えていくんだろうなって」
苦い思い出を無理に喉から引っ張り出しているようだ。僕は、何も言わないで聴く。
「私が、クリスマスはどんなものなのかを知ったのは一年前だったの。赤い服を着た人が、子ども達に欲しいものを配るみたいね。けれど、私にはこれまで何もなかった」
立ち尽くす僕に、お構いなしに話を続ける。周りの人々は、岩を避ける川のように僕らを無視して通り過ぎていく。
「だから思ったの。クリスマスなんてものは、子どものころに良い思いをした人が楽しむイベントなんだって。だから大人になってもその余韻が抜けずに子どものいない人達でも楽しい日だと勘違いしてるって……」
偏見や持論のようにも思えたが、どこか納得できてしまった。
「けど……ようやくわかった気がする。他人が見ていた景色とか、幸せとか、喜びが。……ありがとう」
優しく向けられた、はにかんだ笑顔は、周りの音をも打ち消すほどに幸せの文字を形に表したようだった。
「そうだ、そこに立ってよ」
「え? そこに?」
ツリーの前に立ってもらい、僕はカメラを縦向きで彩音をレンズに写した。カシャっとした音は本人には届いていないようだ。手を振って戻ってきてもらい、写真をふたりで確認する。
「すごい……写真撮るの上手」
ありがとう、その一言と共に笑顔を返すと、僕らの横から知らぬ声をぶつけられた。
「なあ、あれコスプレイヤーか何か?」
彩音を指差す声主は、周囲の視線を一度に集めた。慌てて俯くも、その白い髪の毛はどうしても目立ってしまう。ざわざわと僕らに集まる視線は緊張を騒ぎ立て、寒さもわからぬほどに焦っていた。不安気な隣を見下ろして、僕は彩音の腕を掴んだ。
「行こう!」
逃げるようにして駅の方へと腕を引いて歩く姿は滑稽だろうとも思えた。きっと周りからは笑われている、とも感じる。しかし再び戻ってあの場にいるのも難しい。僕は心が慌てていた。
「……ごめんなさい」
駅までの動く歩道の上で、背中に声が掛かった。端に寄って振り向くと、顔を見せないように俯いた姿に、自分の愚かさが胸を締め付ける。
「……ごめんなさい」
「……どうしたの?」
表情がわからない。ただ言葉だけで会話する、まるで手紙のようなやりとりだ。
「私のせいで、また迷惑かけて」
「そんなことないよ。仕方のないことだもん。誰も悪くないし、謝る必要なんかない」
「…………今までこんなことばかりで、誰かに指を差されて笑われて他人と同じことはできなくて、けど貴方といるとそんな風には思わせてくれないくらい素敵なことばかりで……」
僕には持ち合わせていない想像力だった。知る世界が違うだけで、こんなにも見え方が異なっていることに衝撃を受ける。僕は一枚、写真を撮る。
十二月の空模様。僕らはガラスの前から離れずに太陽が沈み切るのを見送り、新月に限りなく近い月が現れ始めていた。
ビルの表面から漏らす蛍光灯の光が星空の灯りを上書きし、地球の鱗と言われたそれらは全てを否定し、自己主張の強いものとなっている。遠くにうっすらと形を見せる山は輪郭を時間と共に暗く消し、気がつくと僕らはそこに一時間近くも立っていたようだ。人もだんだんと増え始め、随分と騒がしくなっていた。
「そろそろ行こうか。次は、この真下だ」
「この下? あー、そういえばクリスマスツリーがあったね」
この建物に上がる前、僕らの身長を優に越すツリーがあり、色の心配もする必要はなさそうだった。再びエレベータで地上へと、僕らは暖房の効いた建物から冷え込んだ外へと出た。人の多さに若干引きつつも、僕らが目にしたものは、とても高く、圧倒的な存在感を放つシャンデリアだ。白に近い、暖く純粋な灯火のような光をキラキラと輝かせ、人々を注目させていた。
「すごい……ねぇ、こんなすごいところにいてもいいの?」
感動と同時に不安をぶつけられ、僕は軽く笑った後に言葉を返した。
「うん、ここは誰でもいていいところだから、安心して。それに、今日はせっかくのクリスマスイブなんだから、みんなにとって特別な日にならなくちゃ」
胸のモヤモヤした気持ちがなくなったように彩音は口角をあげて、再び顔を覗かせる。この笑顔を作ることができて、僕はどこかほっとした。
「じゃあ、もっとクリスマスらしいものを見に行こう。すぐそこだから」
シャンデリアの写真を撮ってからそう言う。キョトンとした表情を向けた後、瞼を大きく開く動作が僕に思い出したと伝えてくれた。
「うん、この先にあるよ」
豪華なレッドカーペットのような道の先に指を差すと、緩やかな上り坂の上には既にその先端がチラリと見えている。キラキラと飾られた植木に道を譲られているような気分だった。ゆっくりと当たりを見渡しながら上り着いた広場には、昼間とは見違えるほどに美しく眩しいクリスマスツリーが人々に幸せを分けている。
写真を撮る人達、寄り添い合う人達、ただ茫然とツリーを眺める人達、それぞれに大切な人がいて、人生があって、僕もそれのたった一つに過ぎない。そんなことを思う。
「ねぇ?」
袖を引っ張る白い姿が、隣に映る。
「どうしたの?」
「……今日はありがとう。こんな素敵なもの、初めて目にした」
瞳に反射する鮮やかな金色のネオンと、マフラーに隠しきれていない赤らんだ頬に、魅了させられているようだった。
「それなら良かった。僕にとっても、すごく良い日になった」
「……クリスマスなんて、関係ないものだと思ってた。どんな行事なのかも知らないまま大人になって、知らないまま消えていくんだろうなって」
苦い思い出を無理に喉から引っ張り出しているようだ。僕は、何も言わないで聴く。
「私が、クリスマスはどんなものなのかを知ったのは一年前だったの。赤い服を着た人が、子ども達に欲しいものを配るみたいね。けれど、私にはこれまで何もなかった」
立ち尽くす僕に、お構いなしに話を続ける。周りの人々は、岩を避ける川のように僕らを無視して通り過ぎていく。
「だから思ったの。クリスマスなんてものは、子どものころに良い思いをした人が楽しむイベントなんだって。だから大人になってもその余韻が抜けずに子どものいない人達でも楽しい日だと勘違いしてるって……」
偏見や持論のようにも思えたが、どこか納得できてしまった。
「けど……ようやくわかった気がする。他人が見ていた景色とか、幸せとか、喜びが。……ありがとう」
優しく向けられた、はにかんだ笑顔は、周りの音をも打ち消すほどに幸せの文字を形に表したようだった。
「そうだ、そこに立ってよ」
「え? そこに?」
ツリーの前に立ってもらい、僕はカメラを縦向きで彩音をレンズに写した。カシャっとした音は本人には届いていないようだ。手を振って戻ってきてもらい、写真をふたりで確認する。
「すごい……写真撮るの上手」
ありがとう、その一言と共に笑顔を返すと、僕らの横から知らぬ声をぶつけられた。
「なあ、あれコスプレイヤーか何か?」
彩音を指差す声主は、周囲の視線を一度に集めた。慌てて俯くも、その白い髪の毛はどうしても目立ってしまう。ざわざわと僕らに集まる視線は緊張を騒ぎ立て、寒さもわからぬほどに焦っていた。不安気な隣を見下ろして、僕は彩音の腕を掴んだ。
「行こう!」
逃げるようにして駅の方へと腕を引いて歩く姿は滑稽だろうとも思えた。きっと周りからは笑われている、とも感じる。しかし再び戻ってあの場にいるのも難しい。僕は心が慌てていた。
「……ごめんなさい」
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「……ごめんなさい」
「……どうしたの?」
表情がわからない。ただ言葉だけで会話する、まるで手紙のようなやりとりだ。
「私のせいで、また迷惑かけて」
「そんなことないよ。仕方のないことだもん。誰も悪くないし、謝る必要なんかない」
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