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一章 秋
黒色
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電車に乗って数駅、お祖父ちゃんの家には時間をかけずに行ける距離だ。一人暮らしを始めてから、実家よりも近いくらいだ。 駅に到着し、ロータリーを半周して越え、狭い歩道の割に車が多く走り抜ける道で足を運ぶ。今の自分の家もそうだが、この辺りにはこれといって何もない。大通り以外は民家ばかりでたまに迷ってしまうくらいだ。裏路地に入り込んで、人気のない道を歩く。少しして、一台のバイクが僕の存在を欺くようにエンジン音を響かせて迫ってきていた。道路脇に寄って、側溝の下を覗いているうちに目的の家は見えていた。
ピンポーン、とカメラのないインターホンを押す。古い勝手口からは、二回以上鳴らさないと誰も出てこない。いつもお祖父ちゃんはテレビをつけたまま寝ているからだ。
二回目のチャイムを鳴らすと、いつも通りようやく姿を見せてくれた。
「おぉー! どしたんや急に!」
過度なリアクションが、逆に安心する。とりあえず入りやー、という一言に甘えて足を踏み入れた。
「茶でええか?」
扉のドアノブ、電気のスイッチ、焦茶色の食器棚、全てが時代とは反しているのに、どうしてか心地良い。
「うん、ありがとう」
きっと居間にある足の短いテーブル横で、タオルに包んだ枕へ頭を乗せて寝ていたのだろう。頭頂部だけ薄くなった髪型、唇を覆い隠す長い髭、皺の刻まれた頬、アニメや漫画では仙人と呼ばれていそうな人だ。
「とりあえず座っててや、すぐ持ってくでな」
方言のような、違うような、そんな言い方をする人だ。本人は無意識のうちにこの言い方になってしまうらしい。 僕はもう一度、ありがとう、と伝えて居間の短い足のテーブル前に腰を下ろした。ヤカンで沸かされた湯気の叫ぶ音を聞きながら、テレビのクイズ番組に見入る。いつも変わらず観ているのだろうと、ふと思う。
「ほれ、アチいからな、気ぃつけ」
「ありがとう」
湯気で縁が曇った若竹色の湯呑みを手に取り、毎度この家でしか飲まない煎茶の味を懐かしみながら、僕はリュックに手を突っ込んだ。
「お祖父ちゃん、このカメラなんだけど……」
小さく瞼のシワで隠れていた目を大きく曝け出し、離れた上と下の唇は少しだけ小刻みに震えている。
「……まだもっとったのか」
振り絞られたような声色に、僕は少し驚いた。
「このカメラについて、教えて欲しいんだ」
深呼吸で鼓動を落ち着かせたお祖父ちゃんは、テレビに背を向ける形で僕の左隣へ腰を落としした。そして頼りない両手がカメラを迎え、その感触を確かめる。
「これは、ワシの人生そのもののようなもんや」
慣れた扱いで電源を入れると、メモリに保存されている写真を一枚一枚噛み締めながら見送っている。
「ほう、よう撮れとるで」
昨日の紅葉の写真を見ながらそういう。
「ありがとう」
そして写真は、僕の知らないものらに移る。
「これらの写真について、訊きにきたんだ」
数枚写真を眺めてからカメラをテーブルに置いたお祖父ちゃんは、傷んでいそうな膝に手をつきながら立ち上がった。そして何も言わずに他の部屋にいき、戻ってきたときには何かを抱えていた。
「それは?」
「これは、ワシの人生を集めた一冊の一つや」
床を大きく使うように広げられたものは、アルバムだった。ほとんどが白黒で印刷されたもので、中はほとんど女性の写真ばかりだ。そしてSDカードに入っていたような、手を添えた写真も挟まれている。
「どうして手を撮るの?」
僕の疑問に、お祖父ちゃんは眉間に浅く皺を寄せている。言葉を探すように、アルバムを見返している。
「……いいか、幸助。人間、いくら化粧をしても、いくら着飾っても、歳は手に出るんや」
「手?」
お祖父ちゃんは硬そうな大きな手のひらを僕に見せつけて、続ける。
「そうや、老いってもんは手を見りゃわかるもんや。だからワシはばあさんの手をいつも撮っていたんや」
「僕の……お祖母ちゃん?」
お祖母ちゃんは僕が小学校低学年のころに亡くなっている。当時の記憶は曖昧だ。
「そうや。あの人がワシの人生を作ったようなもんや。せやからこの写真らはワシの人生を形に残したもんや」
古く、シミのできたモノクロ写真には若々しい手のひらが焼かれている。撮影日などが印字された写真には、少しだけシワのある手の甲が映し出され、チェキ写真には空を掴もうとする表現をした手が残っている。手のシワが増える毎に、写真そのものらは若いものになっていた。
SDカードに含まれていたものの正体を、ようやく理解できた。そして僕はこのデータやカメラをどうすべきか、胸の奥が僕に伝えたような気がした。
「お祖父ちゃん、このカメラ、返すよ」
ゆっくりと合わせられた顔には、驚きと、悲しみのような感情を混ぜたような表情が浮かべられている。
「どうしてや?」
「これはお祖父ちゃんの人生そのものなんでしょ? お祖父ちゃんが持ってるべきだと思うんだ」
大きく肺に空気を送り、ゆっくりと吐き出したお祖父ちゃんはアルバムに手を伸ばす。ペラペラとゆっくり捲り、とあるページでその手を止めた。
「ここにおる女性はみんなあんたの祖母さんや。わけぇやろ?」
「うん、二十代くらい? かな」
お祖父ちゃんは一つ、咳払いをして再び話を始める。
ピンポーン、とカメラのないインターホンを押す。古い勝手口からは、二回以上鳴らさないと誰も出てこない。いつもお祖父ちゃんはテレビをつけたまま寝ているからだ。
二回目のチャイムを鳴らすと、いつも通りようやく姿を見せてくれた。
「おぉー! どしたんや急に!」
過度なリアクションが、逆に安心する。とりあえず入りやー、という一言に甘えて足を踏み入れた。
「茶でええか?」
扉のドアノブ、電気のスイッチ、焦茶色の食器棚、全てが時代とは反しているのに、どうしてか心地良い。
「うん、ありがとう」
きっと居間にある足の短いテーブル横で、タオルに包んだ枕へ頭を乗せて寝ていたのだろう。頭頂部だけ薄くなった髪型、唇を覆い隠す長い髭、皺の刻まれた頬、アニメや漫画では仙人と呼ばれていそうな人だ。
「とりあえず座っててや、すぐ持ってくでな」
方言のような、違うような、そんな言い方をする人だ。本人は無意識のうちにこの言い方になってしまうらしい。 僕はもう一度、ありがとう、と伝えて居間の短い足のテーブル前に腰を下ろした。ヤカンで沸かされた湯気の叫ぶ音を聞きながら、テレビのクイズ番組に見入る。いつも変わらず観ているのだろうと、ふと思う。
「ほれ、アチいからな、気ぃつけ」
「ありがとう」
湯気で縁が曇った若竹色の湯呑みを手に取り、毎度この家でしか飲まない煎茶の味を懐かしみながら、僕はリュックに手を突っ込んだ。
「お祖父ちゃん、このカメラなんだけど……」
小さく瞼のシワで隠れていた目を大きく曝け出し、離れた上と下の唇は少しだけ小刻みに震えている。
「……まだもっとったのか」
振り絞られたような声色に、僕は少し驚いた。
「このカメラについて、教えて欲しいんだ」
深呼吸で鼓動を落ち着かせたお祖父ちゃんは、テレビに背を向ける形で僕の左隣へ腰を落としした。そして頼りない両手がカメラを迎え、その感触を確かめる。
「これは、ワシの人生そのもののようなもんや」
慣れた扱いで電源を入れると、メモリに保存されている写真を一枚一枚噛み締めながら見送っている。
「ほう、よう撮れとるで」
昨日の紅葉の写真を見ながらそういう。
「ありがとう」
そして写真は、僕の知らないものらに移る。
「これらの写真について、訊きにきたんだ」
数枚写真を眺めてからカメラをテーブルに置いたお祖父ちゃんは、傷んでいそうな膝に手をつきながら立ち上がった。そして何も言わずに他の部屋にいき、戻ってきたときには何かを抱えていた。
「それは?」
「これは、ワシの人生を集めた一冊の一つや」
床を大きく使うように広げられたものは、アルバムだった。ほとんどが白黒で印刷されたもので、中はほとんど女性の写真ばかりだ。そしてSDカードに入っていたような、手を添えた写真も挟まれている。
「どうして手を撮るの?」
僕の疑問に、お祖父ちゃんは眉間に浅く皺を寄せている。言葉を探すように、アルバムを見返している。
「……いいか、幸助。人間、いくら化粧をしても、いくら着飾っても、歳は手に出るんや」
「手?」
お祖父ちゃんは硬そうな大きな手のひらを僕に見せつけて、続ける。
「そうや、老いってもんは手を見りゃわかるもんや。だからワシはばあさんの手をいつも撮っていたんや」
「僕の……お祖母ちゃん?」
お祖母ちゃんは僕が小学校低学年のころに亡くなっている。当時の記憶は曖昧だ。
「そうや。あの人がワシの人生を作ったようなもんや。せやからこの写真らはワシの人生を形に残したもんや」
古く、シミのできたモノクロ写真には若々しい手のひらが焼かれている。撮影日などが印字された写真には、少しだけシワのある手の甲が映し出され、チェキ写真には空を掴もうとする表現をした手が残っている。手のシワが増える毎に、写真そのものらは若いものになっていた。
SDカードに含まれていたものの正体を、ようやく理解できた。そして僕はこのデータやカメラをどうすべきか、胸の奥が僕に伝えたような気がした。
「お祖父ちゃん、このカメラ、返すよ」
ゆっくりと合わせられた顔には、驚きと、悲しみのような感情を混ぜたような表情が浮かべられている。
「どうしてや?」
「これはお祖父ちゃんの人生そのものなんでしょ? お祖父ちゃんが持ってるべきだと思うんだ」
大きく肺に空気を送り、ゆっくりと吐き出したお祖父ちゃんはアルバムに手を伸ばす。ペラペラとゆっくり捲り、とあるページでその手を止めた。
「ここにおる女性はみんなあんたの祖母さんや。わけぇやろ?」
「うん、二十代くらい? かな」
お祖父ちゃんは一つ、咳払いをして再び話を始める。
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