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第三部第一章 夏祭りおよび、不思議なルーレット
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夏祭りおよび、不思議なルーレット
アーテ王女が北の山の洞窟から戻ると、夏祭りの計画は、佳境に入っていた(帰りのアーテ王女の行動について触れておく、結論をいうと、アーテ王女の北の山からの帰還は、すんなり行なわれた。霧が、アーテ王女を悩ませることもなかったし、何か、不思議な体験をすることもなかった。ただ、真夏の太陽は、アーテ王女を困らせることが多かった。途中アーテ王女は木陰で何度も休まねばならなかったし、そのたびに持ってきた飲み水を飲んで、開けてしまった。これにはアーテ王女は不安を覚えた、飲み水なしで、果たしてバンズの町にたどりつくことができるのか、不安であった。しかし、アーテ王女は何とか、最後に残った、ローランド女史のカツサンドを糧に、バンズの町に、七時ごろ、帰りつくことができた。結果的に、アーテ王女のこのときの冒険は、およそ七時間であったことになる、ちなみに、アーテ王女は村長のうちに帰りつくと、村長からさんざんにおこられた。すなわち、アーテ王女の帰りがあまりに遅く、夕食にも顔をださなかったため、捜索隊を組織しかけていたのである)。
村長は、連日客を迎えて、その対応に追われていたし、町の広場には、さまざまな夜店の準備が開始されていた。
町の人々は、これから始まる夏祭りのことで、頭がいっぱいなのだろう。
きっと、すばらしいこの夏の祭典に、人々は酔いしれていることだろう。
しかし、アーテ王女はそうした中にあっても、釈然としない気分に襲われていた。
あの、竜王が残した言葉の数々が、アーテ王女を不思議な気分におとしめていたのである。
まずはなにから考えよう。
アーテ王女は村長宅に与えられた自室にこもると、そればかりを考えていた。
竜王から与えられた鏡を見つめては、その中にわからない、言外の意味を発見しようと試みていた。
アーテ王女をたずねる人は、そのあとも絶えなかったし、質問する人の数は、それよりも増えていたが、アーテ王女はべつに、それをほとんど意識してはいなかった。
特に、このころ増えたのは、アーテ王女がいってきた、ノーザンマウンテンの洞窟に関する質問だったが、アーテ王女は自身それについてははぐらかすことが多かった。質問の中には、アーテ王女にもわからないものがあったから、それはしょうがないことだった。しかしあまり話したくない、それが、アーテ王女の本音だった。
特に、いったいノーザンマウンテンの洞窟になにがあったのか、そうした質問には、アーテ王女もどのように答えていいのかわからなかった。
竜がいた。
それから鏡を与えられた。
しかし、それらのことは、あまり人には言わないほうがいいのではないかという意識が働いて、アーテ王女の口述を詰まらせた。
アーテ王女はただ単に、北の山の洞窟には、不思議な力を持った竜がいた、程度の説明で、終わらせていたし、アーテ王女が冒険出発前、デカルト哲学と、スピノザ哲学についての相違点の質問をした青年から聞いた程度の説明をするだけで、とめていた。
伝説。
伝説の王女。
しかしアーテ王女の日々には、ほとんど変化は見られなかった。
周囲の人々は、アーテ王女が北の山の洞窟から帰ったら、きっと不思議な力を持って戻ってくるものとばかりおもっていたらしく(アーテ王女が北の山に旅立ったという一報は、どういう経緯をたどったのか、たちまち町中に広がったらしかった)、そうしたアーテ王女の様子に、違和感を持った様子の人々が、増えていた。
何か隠している。アーテ王女は。
だから、あれは危険だ。
アーテ王女批判に熱中している人々の中からは、アーテ王女のそうした態度に不信感をあおる人々が多かった。
伝説。
しかしそれは、この時点にあって、人々を驚かす、道具にすぎないものであった。
アーテ王女にさえわからない、そのことの真相が、わかるようになるまでは、それは、ただ、釈然としない、虚空を切る話に過ぎなかったのである。
かくしてアーテ王女の日々は過ぎていったが、アーテ王女にとっては、平和な日常は、退屈ではあっても、貴重であったようである。
アーテ王女は何もない日々を、思索の時間に当てて、いろいろなことに思いをめぐらしたりした。
このころのアーテ王女は、『奇跡を行う国』にきて、もっとも安定した時期であったということができた。アーテ王女は部屋にこもって、思う存分自分の使命について考えることができたし、下痢気味のときは思う存分トイレで思考を重ねることができた。
アーテ王女の生活に変化が訪れたのは、夏祭りが始まったころからだった。時は、アーテ王女を待ってはくれない。それは、アーテ王女に果たすべき使命があったからである。しかし、アーテ王女はそれにも驚くことはなかった。アーテ王女は自身の果たすべき使命について、そのときがくれば、当然それに向かっていく気分にいたし、また、アーテ王女ははやく、その使命に対して向かっていきたい気分にいた。
アーテ王女の生活に変化が訪れたのは、繰り返すが、夏祭りが始まった後だった。
夏祭り。
アーテ王女はこの、人々の活気に満ち溢れた言葉に、大きな関心を持ってあたったが、微妙な距離もおいた。
バンズの町の人々が、町の街頭にロープを引っ張って、色とりどりのちょうちんを飾り始めたころ、アーテ王女もその手伝いに出ることが多かったし、また、それが当然であるとおもわれたが、アーテ王女にとってはこれは異国の人々が行なう祭りであって、けっしてアーテ王女が主役で行なう祭りではありえなかった。主役は、この『奇跡を行う国』の人々。しかも、それらは、いったいなにを考えているのかわからない、人々だった。
しかし、そんなアーテ王女の気持ちとは裏腹に、町の人々の、アーテ王女に対する親しみは、日に日に増していったようだった。アーテ王女が取り付けたちょうちんは、町の人々の観光スポットになったほどであった(ちょうちんの下に、アーテ王女が取り付けた旨の、表示がなされたりした)。
アーテ王女のこのころの行動は決まっていた。
朝、六時に起床。
顔を洗って、身支度を整えると、七時、朝食。
それから昼間での間村長の書斎で勉強。
午後、たずねてきた人々の応対(アーテ王女をたずねてくる人に、面会は午後にしてほしいと希望していた)。
別の用事があると、それに出向いた。
アーテ王女がそうした規則正しい生活を行なっていると、いつのころからか、部屋の外に、太鼓、笛、あるいは弦楽器の音が、聞こえてくるようになった。
祭りが始まったのだろうか。
アーテ王女は知らなかったが、そのようだった。
そういえば幾度か花火が上がるのを、真昼にきいていた。今思えばそれが、祭りが始まった合図だったのかも知れない。
祭り。
ちょうちん、笛太鼓、演劇、バンドの演奏は、夜遅くまで続き、この町の夏祭りの大きさを、アーテ王女に理解させた。
いつまで続くのだろう。
アーテ王女は、自身の時間も大事におもっていたが、祭りには関心を持ってあたった。
自身、時には勉強の時間を削って祭り見物に行くようなこともあったし、バンドの演奏にも、演劇にも、立ち止まって何時間も見物するようになっていた。
それは、祭りがはじまって、しばらく経ったある日のことだった。
アーテ王女がいつもの日課どおり、朝食のあと、村長の書斎で勉強にいそしんでいると、アーテ王女、外にでるといい、と、村長がいった。
いつまでも、部屋の中にいて、のんびりしているのもいいが、せっかくの夏祭り、楽しもうと、いうのである。
村長はアーテ王女にいくらかお駄賃を与えると、この小さなわれわれの哲学者を運命へと送り出した。
運命。
それは、目には見えない。しかし、常に人のすぐそばにあって、その進行を待っている存在であるのかもしれない。
アーテ王女はこのときが、自分の使命への旅立ちだとは、到底おもわなかったが、運命とは、常に、数奇なものである。いつ、どこで出会うかわからないが、必ず。しかしそれは、旅立つものをみている。
アーテ王女はまさに、このとき、その運命の使者に、動かされた。
アーテ王女が祭りの界隈をぶらつくと、さまざまな出店が出ていることが伺われた。
中にはお好み焼き、焼きそば、水あめ、たこ焼き、クレープ、フランクフルトなど、食べ物に関するものが圧倒的におおかったが、その中に混じって、輪投げ、射的、水風船、金魚すくいなど、いわば、人の運を試すものも多くあった。詳しく調べたのではないため、アーテ王女にも、その存在はわからなかったが、見た感じでは、その規模は、六対四と、いったところだった。お店を出している人々は、ここぞとばかりに、自分のお店の品を売り出そうと、必死であるようだった。
アーテ王女は祭りの中に溶け込んだ。
なんという活気だろう。
これで夜になったら、きっとちょうちんが点灯されてきれいだろうなと、アーテ王女に祭りは思わせた。
しかし、アーテ王女はそうした祭りの中にも、孤独な雰囲気を味合わされていた。
すなわち、ここにいる人々にとっては、今、生きることに精一杯になればいい、しかし、アーテ王女は、それ以外にも、いろいろとやらなくてはならないことがある。
ここにいる人々と、アーテ王女のとの間にある、構造の違いに、アーテ王女は心底打ちのめされていた。
それは、そうした気持ちを、アーテ王女が抱えているときにおこったことである。
結論をいうと、おばあさんである。
アーテ王女はかつて、アーテ王女に重大な示唆をして、帰ったおばあさんが、遠くから、こちら側に近づいてきて、ふとした拍子に、何かを思い出したように、方向を転換し、祭りの裏路地へと入っていくのを発見した。
アーテ王女が見ていると、おばあさんは、そこからでてくる様子はない。
アーテ王女はそのおばあさんの行動に、いや、おばあさん自身であったかもしれない。とにかく関心を引かれ、それに向かって歩いていった。
おばあさんが入っていった裏路地は、ちょうどスーパーボールすくいの出店の前にあった。
見ると、前では子供たちがその行事に夢中になり、その目の前では、暗い路地に人の姿がない。
アーテ王女は八月の太陽を背負い。
そのおばあさんが消えていった、方角に夢中になった。すると。
アーテ王女が見るのを待っていたとばかりに、路地のおくで、おばあさんがまた、かどを曲がるのを目撃した。
どうしよう。
後を追おうか。
アーテ王女が困ったのは、運命が、アーテ王女を導き、そうしてアーテ王女が果たすべき使命へと向かわせるかも知れないと、おもわれたからである。
アーテ王女は、進むことに躊躇した。
裏路地。
それは薄暗く、八月の太陽の下でもひんやりとして、アーテ王女をまるで誘い込み、そうして食べてしまう、人食い家のようにおもわれた。
もしかしたら、この路地を入って、おばあさんを追ったら、アーテ王女は運命の時間と、正面から対決しなくてはならなくなる気がされた。
アーテ王女が黙って路地の様子を伺っていると、どうだろう。
まるでアーテ王女を誘うように、おばあさんが戻ってきて。
何か手招きでもする態度を示しただろうか、アーテ王女にはそのように見えた。そうしてまた、路地の奥へと消えていく様子であった。
巨竜はいった。使命を果たせと。
『幻の剣』?
いや、それよりも前にある、使命も。
アーテ王女はまた、自身おもった。決めたではないか、自分の目の前にある運命に立ち向かう。それに負けずに生きていこうと。
そうだったかな?
しかし。
アーテ王女は、路地へと入っていった。それが、アーテ王女の使命を果たすことになると、自身確信してのことである。
裏路地には、人がいなかった。
アーテ王女はただ一人、この、ひやりとした、住居と、住居の間を歩いてさらに路地を奥へと向かった。
その奥にはいったいなにがアーテ王女を待っているのだろうか。
アーテ王女はいったん立ち止まった。それは、ちょうどアーテ王女を起点として、裏路地のさらに曲がり角と、表通りとの、中間点だった。
アーテ王女がおもったのは、次のようなことである。
アーテ王女はもしも今、引き返せば、運命と背中合わせに生きていく必要がなく、村長の家で、何も不自由なく、生きていけるかも知れないということだった。もしも、路地をさきまで歩いていくと、もはや二度と、アーテ王女は気楽な生活を取り戻すことができないということだった。
アーテ王女は迷った。
しかし、帰れないではないか。
村長の家にいただけでは。
もしもアーテ王女が長橋国に帰りつきたいのであるならば、それならば、路地を、奥のほうまで突き進んでいかなければならないのではないか。
帰りたい。
また、自身の運命にもあいたい。
それは、アーテ王女の出生の秘密と、大きくかかわることなのだろうか?
アーテ王女はふと、そんなことをおもった。
もしかしたら、いや。
アーテ王女は思考を停止した。
最後に勝ったのは、アーテ王女の知的好奇心である。
知りたい。何もかも。たとえそれが、破滅的な結末を招くことになろうとも。
知らなくても、帰ることはできるかもしれない、しかし、もしも、知らなかったら、アーテ王女はこの先一生そのことを悔いることになる気が、していた。
アーテ王女は裏路地を進んだ。
そうしてかどを曲がる。
階段があり、また、曲がり角があった。
そこにはもう、おばあさんの道案内はなかった。
アーテ王女がいくつか角を曲がると、それにともなって、冷気が増し、また、よりあたりが暗がりになるようにおもわれた。肌寒く、前がよく見えない。
それはアーテ王女が最後の角を曲がったときだった。もちろんそれは、はじめはわからなかった。それが最後の角であると知ったのは、角を曲がったときにわかったことである。
路地は、行き止まりであった。
そうしてその、行き止まりになった路地の、先に、ひとつの扉があった。
その扉に入れと、そのようにいうのだろうか、運命よ。
アーテ王女はおもった。
その扉を開ければ、もはや二度と、表の世界には返れなくなる。
すなわち、知りすぎるのである。
物事、なにに関しても知りすぎると、裏に別の世界があることを知り、裏の世界のことを知った人間は、その裏の世界から、二度と表の世界に戻ることはできないという烙印を与えられるのである。
アーテ王女はおもった。
知ることは生きること、そうして知りすぎることは、死ぬること・・・・・・。
しかし、こんなところ、裏路地で、めそめそしていることなど、この、戦闘的な哲学者にはできなかった。破壊してやろう。知ってやろう、この世界に闇があることを、そうして、見つけてみせる。また再び、その闇の中の世界から、元の、表の世界に戻るすべさえも。
アーテ王女が心を決めると、行動もはやい。
アーテ王女は心を決めると、すぐに扉にちかづいていった。
扉には、次のような文字が書かれていた。
アーテ王女が北の山の洞窟から戻ると、夏祭りの計画は、佳境に入っていた(帰りのアーテ王女の行動について触れておく、結論をいうと、アーテ王女の北の山からの帰還は、すんなり行なわれた。霧が、アーテ王女を悩ませることもなかったし、何か、不思議な体験をすることもなかった。ただ、真夏の太陽は、アーテ王女を困らせることが多かった。途中アーテ王女は木陰で何度も休まねばならなかったし、そのたびに持ってきた飲み水を飲んで、開けてしまった。これにはアーテ王女は不安を覚えた、飲み水なしで、果たしてバンズの町にたどりつくことができるのか、不安であった。しかし、アーテ王女は何とか、最後に残った、ローランド女史のカツサンドを糧に、バンズの町に、七時ごろ、帰りつくことができた。結果的に、アーテ王女のこのときの冒険は、およそ七時間であったことになる、ちなみに、アーテ王女は村長のうちに帰りつくと、村長からさんざんにおこられた。すなわち、アーテ王女の帰りがあまりに遅く、夕食にも顔をださなかったため、捜索隊を組織しかけていたのである)。
村長は、連日客を迎えて、その対応に追われていたし、町の広場には、さまざまな夜店の準備が開始されていた。
町の人々は、これから始まる夏祭りのことで、頭がいっぱいなのだろう。
きっと、すばらしいこの夏の祭典に、人々は酔いしれていることだろう。
しかし、アーテ王女はそうした中にあっても、釈然としない気分に襲われていた。
あの、竜王が残した言葉の数々が、アーテ王女を不思議な気分におとしめていたのである。
まずはなにから考えよう。
アーテ王女は村長宅に与えられた自室にこもると、そればかりを考えていた。
竜王から与えられた鏡を見つめては、その中にわからない、言外の意味を発見しようと試みていた。
アーテ王女をたずねる人は、そのあとも絶えなかったし、質問する人の数は、それよりも増えていたが、アーテ王女はべつに、それをほとんど意識してはいなかった。
特に、このころ増えたのは、アーテ王女がいってきた、ノーザンマウンテンの洞窟に関する質問だったが、アーテ王女は自身それについてははぐらかすことが多かった。質問の中には、アーテ王女にもわからないものがあったから、それはしょうがないことだった。しかしあまり話したくない、それが、アーテ王女の本音だった。
特に、いったいノーザンマウンテンの洞窟になにがあったのか、そうした質問には、アーテ王女もどのように答えていいのかわからなかった。
竜がいた。
それから鏡を与えられた。
しかし、それらのことは、あまり人には言わないほうがいいのではないかという意識が働いて、アーテ王女の口述を詰まらせた。
アーテ王女はただ単に、北の山の洞窟には、不思議な力を持った竜がいた、程度の説明で、終わらせていたし、アーテ王女が冒険出発前、デカルト哲学と、スピノザ哲学についての相違点の質問をした青年から聞いた程度の説明をするだけで、とめていた。
伝説。
伝説の王女。
しかしアーテ王女の日々には、ほとんど変化は見られなかった。
周囲の人々は、アーテ王女が北の山の洞窟から帰ったら、きっと不思議な力を持って戻ってくるものとばかりおもっていたらしく(アーテ王女が北の山に旅立ったという一報は、どういう経緯をたどったのか、たちまち町中に広がったらしかった)、そうしたアーテ王女の様子に、違和感を持った様子の人々が、増えていた。
何か隠している。アーテ王女は。
だから、あれは危険だ。
アーテ王女批判に熱中している人々の中からは、アーテ王女のそうした態度に不信感をあおる人々が多かった。
伝説。
しかしそれは、この時点にあって、人々を驚かす、道具にすぎないものであった。
アーテ王女にさえわからない、そのことの真相が、わかるようになるまでは、それは、ただ、釈然としない、虚空を切る話に過ぎなかったのである。
かくしてアーテ王女の日々は過ぎていったが、アーテ王女にとっては、平和な日常は、退屈ではあっても、貴重であったようである。
アーテ王女は何もない日々を、思索の時間に当てて、いろいろなことに思いをめぐらしたりした。
このころのアーテ王女は、『奇跡を行う国』にきて、もっとも安定した時期であったということができた。アーテ王女は部屋にこもって、思う存分自分の使命について考えることができたし、下痢気味のときは思う存分トイレで思考を重ねることができた。
アーテ王女の生活に変化が訪れたのは、夏祭りが始まったころからだった。時は、アーテ王女を待ってはくれない。それは、アーテ王女に果たすべき使命があったからである。しかし、アーテ王女はそれにも驚くことはなかった。アーテ王女は自身の果たすべき使命について、そのときがくれば、当然それに向かっていく気分にいたし、また、アーテ王女ははやく、その使命に対して向かっていきたい気分にいた。
アーテ王女の生活に変化が訪れたのは、繰り返すが、夏祭りが始まった後だった。
夏祭り。
アーテ王女はこの、人々の活気に満ち溢れた言葉に、大きな関心を持ってあたったが、微妙な距離もおいた。
バンズの町の人々が、町の街頭にロープを引っ張って、色とりどりのちょうちんを飾り始めたころ、アーテ王女もその手伝いに出ることが多かったし、また、それが当然であるとおもわれたが、アーテ王女にとってはこれは異国の人々が行なう祭りであって、けっしてアーテ王女が主役で行なう祭りではありえなかった。主役は、この『奇跡を行う国』の人々。しかも、それらは、いったいなにを考えているのかわからない、人々だった。
しかし、そんなアーテ王女の気持ちとは裏腹に、町の人々の、アーテ王女に対する親しみは、日に日に増していったようだった。アーテ王女が取り付けたちょうちんは、町の人々の観光スポットになったほどであった(ちょうちんの下に、アーテ王女が取り付けた旨の、表示がなされたりした)。
アーテ王女のこのころの行動は決まっていた。
朝、六時に起床。
顔を洗って、身支度を整えると、七時、朝食。
それから昼間での間村長の書斎で勉強。
午後、たずねてきた人々の応対(アーテ王女をたずねてくる人に、面会は午後にしてほしいと希望していた)。
別の用事があると、それに出向いた。
アーテ王女がそうした規則正しい生活を行なっていると、いつのころからか、部屋の外に、太鼓、笛、あるいは弦楽器の音が、聞こえてくるようになった。
祭りが始まったのだろうか。
アーテ王女は知らなかったが、そのようだった。
そういえば幾度か花火が上がるのを、真昼にきいていた。今思えばそれが、祭りが始まった合図だったのかも知れない。
祭り。
ちょうちん、笛太鼓、演劇、バンドの演奏は、夜遅くまで続き、この町の夏祭りの大きさを、アーテ王女に理解させた。
いつまで続くのだろう。
アーテ王女は、自身の時間も大事におもっていたが、祭りには関心を持ってあたった。
自身、時には勉強の時間を削って祭り見物に行くようなこともあったし、バンドの演奏にも、演劇にも、立ち止まって何時間も見物するようになっていた。
それは、祭りがはじまって、しばらく経ったある日のことだった。
アーテ王女がいつもの日課どおり、朝食のあと、村長の書斎で勉強にいそしんでいると、アーテ王女、外にでるといい、と、村長がいった。
いつまでも、部屋の中にいて、のんびりしているのもいいが、せっかくの夏祭り、楽しもうと、いうのである。
村長はアーテ王女にいくらかお駄賃を与えると、この小さなわれわれの哲学者を運命へと送り出した。
運命。
それは、目には見えない。しかし、常に人のすぐそばにあって、その進行を待っている存在であるのかもしれない。
アーテ王女はこのときが、自分の使命への旅立ちだとは、到底おもわなかったが、運命とは、常に、数奇なものである。いつ、どこで出会うかわからないが、必ず。しかしそれは、旅立つものをみている。
アーテ王女はまさに、このとき、その運命の使者に、動かされた。
アーテ王女が祭りの界隈をぶらつくと、さまざまな出店が出ていることが伺われた。
中にはお好み焼き、焼きそば、水あめ、たこ焼き、クレープ、フランクフルトなど、食べ物に関するものが圧倒的におおかったが、その中に混じって、輪投げ、射的、水風船、金魚すくいなど、いわば、人の運を試すものも多くあった。詳しく調べたのではないため、アーテ王女にも、その存在はわからなかったが、見た感じでは、その規模は、六対四と、いったところだった。お店を出している人々は、ここぞとばかりに、自分のお店の品を売り出そうと、必死であるようだった。
アーテ王女は祭りの中に溶け込んだ。
なんという活気だろう。
これで夜になったら、きっとちょうちんが点灯されてきれいだろうなと、アーテ王女に祭りは思わせた。
しかし、アーテ王女はそうした祭りの中にも、孤独な雰囲気を味合わされていた。
すなわち、ここにいる人々にとっては、今、生きることに精一杯になればいい、しかし、アーテ王女は、それ以外にも、いろいろとやらなくてはならないことがある。
ここにいる人々と、アーテ王女のとの間にある、構造の違いに、アーテ王女は心底打ちのめされていた。
それは、そうした気持ちを、アーテ王女が抱えているときにおこったことである。
結論をいうと、おばあさんである。
アーテ王女はかつて、アーテ王女に重大な示唆をして、帰ったおばあさんが、遠くから、こちら側に近づいてきて、ふとした拍子に、何かを思い出したように、方向を転換し、祭りの裏路地へと入っていくのを発見した。
アーテ王女が見ていると、おばあさんは、そこからでてくる様子はない。
アーテ王女はそのおばあさんの行動に、いや、おばあさん自身であったかもしれない。とにかく関心を引かれ、それに向かって歩いていった。
おばあさんが入っていった裏路地は、ちょうどスーパーボールすくいの出店の前にあった。
見ると、前では子供たちがその行事に夢中になり、その目の前では、暗い路地に人の姿がない。
アーテ王女は八月の太陽を背負い。
そのおばあさんが消えていった、方角に夢中になった。すると。
アーテ王女が見るのを待っていたとばかりに、路地のおくで、おばあさんがまた、かどを曲がるのを目撃した。
どうしよう。
後を追おうか。
アーテ王女が困ったのは、運命が、アーテ王女を導き、そうしてアーテ王女が果たすべき使命へと向かわせるかも知れないと、おもわれたからである。
アーテ王女は、進むことに躊躇した。
裏路地。
それは薄暗く、八月の太陽の下でもひんやりとして、アーテ王女をまるで誘い込み、そうして食べてしまう、人食い家のようにおもわれた。
もしかしたら、この路地を入って、おばあさんを追ったら、アーテ王女は運命の時間と、正面から対決しなくてはならなくなる気がされた。
アーテ王女が黙って路地の様子を伺っていると、どうだろう。
まるでアーテ王女を誘うように、おばあさんが戻ってきて。
何か手招きでもする態度を示しただろうか、アーテ王女にはそのように見えた。そうしてまた、路地の奥へと消えていく様子であった。
巨竜はいった。使命を果たせと。
『幻の剣』?
いや、それよりも前にある、使命も。
アーテ王女はまた、自身おもった。決めたではないか、自分の目の前にある運命に立ち向かう。それに負けずに生きていこうと。
そうだったかな?
しかし。
アーテ王女は、路地へと入っていった。それが、アーテ王女の使命を果たすことになると、自身確信してのことである。
裏路地には、人がいなかった。
アーテ王女はただ一人、この、ひやりとした、住居と、住居の間を歩いてさらに路地を奥へと向かった。
その奥にはいったいなにがアーテ王女を待っているのだろうか。
アーテ王女はいったん立ち止まった。それは、ちょうどアーテ王女を起点として、裏路地のさらに曲がり角と、表通りとの、中間点だった。
アーテ王女がおもったのは、次のようなことである。
アーテ王女はもしも今、引き返せば、運命と背中合わせに生きていく必要がなく、村長の家で、何も不自由なく、生きていけるかも知れないということだった。もしも、路地をさきまで歩いていくと、もはや二度と、アーテ王女は気楽な生活を取り戻すことができないということだった。
アーテ王女は迷った。
しかし、帰れないではないか。
村長の家にいただけでは。
もしもアーテ王女が長橋国に帰りつきたいのであるならば、それならば、路地を、奥のほうまで突き進んでいかなければならないのではないか。
帰りたい。
また、自身の運命にもあいたい。
それは、アーテ王女の出生の秘密と、大きくかかわることなのだろうか?
アーテ王女はふと、そんなことをおもった。
もしかしたら、いや。
アーテ王女は思考を停止した。
最後に勝ったのは、アーテ王女の知的好奇心である。
知りたい。何もかも。たとえそれが、破滅的な結末を招くことになろうとも。
知らなくても、帰ることはできるかもしれない、しかし、もしも、知らなかったら、アーテ王女はこの先一生そのことを悔いることになる気が、していた。
アーテ王女は裏路地を進んだ。
そうしてかどを曲がる。
階段があり、また、曲がり角があった。
そこにはもう、おばあさんの道案内はなかった。
アーテ王女がいくつか角を曲がると、それにともなって、冷気が増し、また、よりあたりが暗がりになるようにおもわれた。肌寒く、前がよく見えない。
それはアーテ王女が最後の角を曲がったときだった。もちろんそれは、はじめはわからなかった。それが最後の角であると知ったのは、角を曲がったときにわかったことである。
路地は、行き止まりであった。
そうしてその、行き止まりになった路地の、先に、ひとつの扉があった。
その扉に入れと、そのようにいうのだろうか、運命よ。
アーテ王女はおもった。
その扉を開ければ、もはや二度と、表の世界には返れなくなる。
すなわち、知りすぎるのである。
物事、なにに関しても知りすぎると、裏に別の世界があることを知り、裏の世界のことを知った人間は、その裏の世界から、二度と表の世界に戻ることはできないという烙印を与えられるのである。
アーテ王女はおもった。
知ることは生きること、そうして知りすぎることは、死ぬること・・・・・・。
しかし、こんなところ、裏路地で、めそめそしていることなど、この、戦闘的な哲学者にはできなかった。破壊してやろう。知ってやろう、この世界に闇があることを、そうして、見つけてみせる。また再び、その闇の中の世界から、元の、表の世界に戻るすべさえも。
アーテ王女が心を決めると、行動もはやい。
アーテ王女は心を決めると、すぐに扉にちかづいていった。
扉には、次のような文字が書かれていた。
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でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷では不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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